上古中国語文法化研究序説 ――「于」「而」「其」の意味機能変化を例に――

戸内 俊介

1980年代以降、言語学の領域では文法化(grammaticalization)が盛んに議論されてきた。文法化研究は、動詞や名詞といった内容語(content word)が前置詞や助詞、接辞等の機能語(functional word)へ変化していく動機や過程を明らかにするものであるが、言語の通時的変遷に注目するものである以上、古い言語に対する関心も自然と高まった。

無論それは中国語においても例外ではなく、文法化研究では現代中国語のみならず上古中国語もしばしば議論の対象となっている。中国語史における文法化研究の多くは、当然のことながら、機能語が内容語からどのような変化を経て成立したのか、という問題に重点が置かれている。しかしこのような「狭義の文法化」のほか、もともと文法形式であったものがさらに拡張されて異なる意味機能を担うようになる、あるいは一旦文法化した形式がさらに抽象的な機能を獲得するプロセスもまた、「広義の文法化」として位置づけ、同一俎上において議論することが可能であると考えられ、このような観点からの研究も現に行われている。

以上のような現状を踏まえ、本研究は個別の事例として「于」「而」「其」の3つの機能語を取り上げ、それぞれに対する意味機能的分析の結果を踏まえた上で、それらの機能拡張のプロセスを「広義の文法化」という視点から分析することにより、文法化理論に基づくより一般性の高い中国語文法史記述の全面的な展開に向けて基礎を固めることを目的とする。

分析対象である上古中国語コーパスについては、一般に用いられる『論語』『春秋左氏伝』等の伝世文献のみならず、同時代の資料である出土文献―殷代の甲骨文や西周時代の金文(青銅器銘文)、戦国時代の楚簡(楚国で抄写された竹簡)等―を併用する。

本研究の構成は以下の通りである。

 

【第1章】

言語学の文法化の議論について概観しつつ、上古中国語における文法化研究の現状と問題点を指摘した上で、本研究の目的と意義を提示する。また用いる言語資料とその言語的特徴について簡潔に説明した。

 

【第2章】

上古中国語に見える文法化現象の中でも最も典型的な事例として、本章ではまず「于」を取りあげる。「于」は形態論的に「往」と関係づけられることから、本来、移動を表す動詞であったというのが有力な説であるが、殷代中国語においては多様な成分―時間、場所、受領者等―を目的語として取ることできる介詞としての機能が広く観察され、中国語史の最古の段階から相当に文法化が進んだ語と言える。本章ではとりわけ時間介詞としての「于」に着目し、この機能がどのように成立したのかについて議論を進める。時間介詞「于」の例は以下の通りである。

(1)       壬辰貞:“王于癸巳步。”(『甲骨文合集』32947)

〔壬辰の日(第29日目)に検証した、「王は癸巳の日(第30日目)になって行軍する」と〕

時間介詞「于」はこれまで、時点を表すものと解釈されることが多く、この理解を前提として動作行為の行われる地点を導く介詞「于」から拡張したものであるとの説明が従来なされてきたが、Takashima, Ken-ichiはA Study of Copulas in Shang Chinese (The Memories of the institute of Oriental Culture No.112, 1990)で、甲骨文の時間介詞「于」は単に時点を表すのではなく、明確な“futurity”(未来時指向)を帯びているということを指摘しており、本研究もこれを是認した上で、以下のような文法化プロセスを構築する。

「于」はそもそも移動を表す動詞であったと考えられるが、甲骨文の段階ではすでに動詞的用法は見えない。「于」は甲骨文の前段階で「V1+于(V2)+着点」のような連動文から「V+于(介詞)+着点」に再分析されたことによって、移動の到着点を導く介詞に文法化し、その後これがメタファーによって時間概念領域に写像されたことで、時間介詞に拡張したと考えられる。本研究はこれまで看過されていたTakashima説を「于」の文法化研究の枠組みに導入することで、時間介詞「于」の未来時指向は移動動詞「于」の移動性の反映であると解釈しつつ、「于」についての新たな文法化のメカニズムを提示するものである。

 

【第3章】

上古中国語における接続詞「而」は前後の述語性成分を繋ぐのが中心的機能であるが(例(2))、その他、「NP而VP」及び「NP1而NP2VP」構造(本研究では「NP而」文と総称)という周辺的な用法も見られる(例(3)(4))。

(2)       關雎,樂而不淫哀而不傷。(『論語』八佾篇)

〔『関雎』は楽しくとも度を越さず悲しくとも傷つけられない

(3)       子産而死,誰其嗣之。”(『春秋左氏伝』襄公三十年) :「NP而VP」

〔子産が死ねば、誰が子産を嗣ぐだろうか〕

(4)       若上之所爲而民亦爲之,乃其所也。(『春秋左氏伝』襄公二十一年):「NP1而NP2VP」

〔もし上のすること、民もこれをなせば、そのようになります〕

「NP而」文の「而」の意味機能についてはこれまで多くの説が出されてきたが、本章では、「NP而」文はそもそもNP/NP1のフレーム(frame)的意味或いは百科事典的意味によってもたらされるイメージが前景化され、それが「而」後ろの表す事態とは相反する関係にあることを言い立てる構文で、「而」は聞き手に対し意外性を注意喚起するためのマーカーであると本研究は考える。「NP而」文はこの他、NP/NP1が談話で付与されたイメージを前景化し、これが「而」後ろの事態と相反する関係にあることを表すこともでき、さらに話し手がNP/NP1に対し持つ主観・価値観を前景化し、聞き手へ押しつける構文ともなっていると推察される。

「NP而」文がこのような主観的な意味を表すようになったのは、「而」を加えることでNP/NP1が名詞述語化され、その属性や、それに対する話し手の主観が前景化されるからであり、「NP而」文はこれが「而」後ろの表す事態と逆接の関係にあることを表す構文である。この意味では、「而」はなお接続詞の範疇を脱していないが、主観性を表す成分へ拡張しているとも言える。主観化(subjectification)は文法化に伴う現象であることが知られており、してみれば、「NP而」文の「而」は一定程度の文法化を経ていると考えられる。

 

【第4章】

本章ではモダリティ成分の「其」を取り上げ、殷代から春秋戦国時代における意味的機能的変遷を検証する。この「其」は副詞として用いられるもので({其m}と簡称)、「その」と訓読される代名詞({其p}と簡称)ではない。まずは春秋戦国時代の例である。

(5)       君其備禦三鄰,慎守寶矣。(『春秋左氏伝』昭公七年)

〔君はどうか隣国三国に備え、慎んで宝をお守り下さい〕

(6)       孰殺子産,吾其與之。(『春秋左氏伝』襄公三十年)

〔子産を殺した者に私は身方しよう〕

{其m}はかねてより「命令、意志、推量、仮定、未来、反語」等を表す多義語と分析されてきたが、本研究は魏培泉が〈論先秦漢語運符的位置〉(Linguistics Essays in Honor of Mei Tsu-lin: Studies on Chinese Historical Syntax and Morphology (Ed. by Alain Peyraube and Sun Chaofen), École des Hautes Études en Sciences Sociales,1999)でirrealis(非現実)マーカーであるとした説に同意しつつ、この非現実性が{其m}の各種意味の成立に由来していると考える。例えば、{其m}には目下から目上への要求を表すポライトネス(例(5))や、話し手が実現しにくい事態を構想する(例(6))という含意が読み取れるが、いずれも非現実性から派生したと考えられる。但しirrealisは、本来的には話し手がある事態が非実現であると判断していることを表すが、上古中国語では非断定(non-assertion)或いは非肯定(non-affirmative)を表すのにも用いられていると見なせる。

時代を遡った西周時代の{其m}も、irrealisマーカーであると考えられるが、春秋戦国時代のようなポライトネスや実現のしにくさという含意が見られない。例えば次の例では王が目下に{其m}を用いて命令している。

(7)       王令曰:“(中略)女其以成周師氏戌于古師。”(彔卣:『殷周金文集成』5419)

〔王はに命令して言った、「(中略)おまえは成周の師氏を率いて古師を守護せよ」と〕

従ってこれらの含意は西周から春秋戦国時代に至るまでに生産されたこと、またいずれも{其m}の非現実という側面から来る「実現の遠さ」という解釈が、語用論的強化によって、意味として定着していったと解釈され、意味拡張における文法化のメカニズムを想定することができる。

{其m}はさらに時代を遡った殷代甲骨文にも見える。例えば、

(8)       己巳卜王貞:“亡(憂)。”己巳卜王貞:“其有()。”(『甲骨文合集』24664)

〔己巳の日に卜い王が検証した、「(我々に)憂いがない」と。己巳の日に卜い王が検証した、「ひょっとしたら(我々に)憂いがあるかもしれない」と〕

(9)       庚寅卜賓貞:“今早王其步伐夷。”

庚寅卜賓貞:“今早王勿步伐夷。”(『甲骨文合集』6461正)

〔庚寅の日に卜い、賓が検証した、「この朝、(我が)王は夷を討ちに行軍しよう」と。庚寅の日に卜い、賓が検証した、「この朝、(我が)王は夷を討ちに行軍すまい」と〕

甲骨文の{其m}については、Serruys, Paul L-M.が Studies in the Language of the Shang Oracle Inscriptions (T'oung Pao vol.60, E.J. Brill, 1974)で提起した“undesirable”を表すとする説が広く受容されてきた。謂わば、望ましくない選択肢に{其m}がつけられるという理解であるが、本研究では占卜主体がコントロールできない事態の占卜文(災いがあるか、豊作になるか等)のときのみSerruys説が成立するとの分析結果が得られた(例(8))。望ましくない事態に{其m}というirrealisマーカーが用いられるのは、不幸に対して非肯定的態度を取るという人の本性によると考えられる。一方、占卜主体がコントロールできる事態(殷王が何らかの行為を行うなど)の占卜文ではSerruys説が当てはまらず、{其m}は占卜主体の意志を表すものだと解釈できる(例(9))。意思表明は典型的な非現実事態である。

このように、{其m}は上古中国語において古くからirrealisマーカーであるが、時代が下ると共に種々の意味的拡張を経ていると言え、もともと文法形式であったものがさらに拡張した「広義の文法化」の枠組みで捉えることができるものである。

 

【第5章】

本章では、上記議論を総括しつつ、今後の展望について言及した。

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