韋應物詩論 ―「悼亡詩」を中心として―

黒田 眞美子

韋應物(七三五?~七九〇?)は、唐代を代表する自然詩人の一人と目されている。先行研究も、自然詩を対象とすることが多い。だが彼は、そのほかに数多くの悼亡詩を詠んだ。悼亡詩とは、妻の死を悼む作である。西晋・潘岳、孫楚に始まり、唐以前には計六篇が数えられる。唐代に至ると、管見の限り初・盛唐には無く、安史の乱後、突如、韋應物の悼亡詩(以下「韋悼」と略称)が出現する。拙論は、質量豊かな「韋悼」がなぜ出現し得たのか、いかなる特質を有するかを考察し、さらに韋應物詩の枢要と目される自然詩との関わりを審究する。悼亡詩を中心に据えて、従来の韋應物詩論とは異なる観点から、その本質を闡明せんとする試みである。

序章では、上記の問題提起を行い、先行研究、韋應物略伝、先唐悼亡詩の概略を記した。先行研究は、三種(1伝記研究、2自然詩論、3その他、文学史的周辺研究など)に大別され、その紹介と併せて拙論の立場を明らかにした。略伝では、時代背景、特に安史の乱が与えた衝撃を述べて、出仕と閑居の繰り返しという韋の人生の特異性に言及した。先唐悼亡詩は、後述の潘岳・江淹両詩を除く短章の四篇(孫楚・沈約・庾信・薛徳音)を対象に略記して系譜を補い、悼亡詩が時代状況と深く関わり、詩人にとって重要な意味を有していることなどを指摘した。

 第一章「韋應物の悼亡詩十九首への懐疑」では、まず妻の出自・係累から結婚の経緯や二人の関係を記述し、特に乱後の苦難を共に乗り越えてきたという妻への共感と妻喪失の大きさを述べた。次いで「韋悼」の十九首連作構成に疑義を呈した。拙論の底本(四部叢刊所収本)や通行本の十四部による体裁は、北宋・王欽臣に始まるとされるが、十九首連作も、王によって再構成された蓋然性が高い。十九首は、四季の推移を基軸として構成されている。本来、悼亡詩とすべきにもかかわらず、他部に収録された諸篇は、季節感が希薄であり、詩題も「寄~」「酬~」など、「寄贈」「酬答」各部居にふさわしい作品であることによって、他部に組み入れられたと推論し、新たに十四篇を提示した。

第二章「韋應物の悼亡詩と潘岳の哀傷作品との関わり」では、まず「韋悼」の特質を考察し、今(悲)と昔(喜)の対比が多用されており、それは空間移動を伴っていること、その詩境はノスタルジックな時空であることを指摘した。次いで潘岳の悼亡詩(以下「潘悼」と略称)と比較し、韋應物は「潘悼」の詩語やモチーフを踏襲して詩境を広める一方、官務への復帰による〈悲傷の克服〉という現実的モチーフを、忌避していることを証した。これは「韋悼」の詩興が、過去に回帰するノスタルジーであることの傍証でもあった。さらに潘岳の「寡婦賦」など他ジャンルの哀傷作品との関わりを分析した。「韋悼」の新しさとして、〈妻像〉〈夢〉などのモチーフが挙げられるが、それらは「潘悼」には無く、哀傷諸篇に見出された。韋應物は、悼亡詩というジャンルに拘ることなく模擬した。この営為は、実は潘岳自身の試みであった。その点こそが「韋悼」と「潘悼」との本質的関わりであることを論じた。この模擬性ゆえに、韋應物は、潘岳との価値観の相違や「寡婦賦」との性差をも対照化して動的に関わらせることができ、それらの触媒によって詩境を広め得た。ここに「韋悼」の多様性が生み出された動因の一つが認められた。

  第三章「韋應物の悼亡詩と江淹詩篇との関わり」は、斉梁・江淹「悼室人」(以下「江悼」と略称)との比較である。「江悼」は「佳人永へに暮れたり」と詠い始め、「佳人」は「江悼」の象徴的詩語である。「韋悼」は「佳人」を継承して、幽艶な詩境を築いた。また「江悼」「韋悼」は、ともに「潘悼」には無い「夏の歌」を詠むが、道教的神仙世界に妻を登場させる「江悼」に対して、「韋悼」は仏教的解脱を求めるという対照的内容である。しかし、両詩とも現実的「潘悼」とは異なる次元での悲哀の止揚という共通性が認められた。また江の代表作「雑體三十首」には「潘黄門 述哀」があり、その中の「寂寞」という詩語は、「韋悼」中、二例認められ、韋詩においても特質と関わる重要な詩語である。『楚辭』が出自のこの詩語を、六朝時代最も多用したのは江淹であり、従来の意味(「無人」「無聲」の静寂)に、悲傷(情)による空しさを含ませた嚆矢でもあった。さすれば「江悼」は、詩語詩句の表層レベルでは「潘悼」ほど顕著ではないものの、本質的意味において、「韋悼」に大きな影響を与えたと指摘した。

 第四章「韋應物の悼亡詩と〈古詩十九首〉との関わり」では、「韋悼」との類似性が認められる「古詩十九首」(以下「古十九」と略称)との関わりを考察した。韋は「擬古詩」(以下「韋擬」と略称)をも作成しており、模擬性を観点とした。その結果、『詩經』を原拠とする詩語が「古十九」を媒介させることで意味を変換させ、また「古十九」を原拠とする詩句や表現が潘岳作品を受容して踏襲されるという重層性、「古十九」と関連の深い「長門賦」や西晉・陸機「擬古詩」をも襲用するという複合性が認められた。これらの特質は、「韋悼」出現の遠因とみなせよう。模擬という営為を十全に駆使しながら、新たなる創造を試みたのである。それを実現したのは、玄宗の「太平の世」を謳歌した青春と乱後の苦難を共有した妻、二つの喪失への哀惜であった。「韋擬」考察によって、それを把握し得た。「韋擬」は「韋悼」との近似性を指摘されるが、その先後は不明であった。「韋擬」成立は洛陽前期と推定し、死の世界にも等しい乱後の荒廃をいかに復興すべきか、深刻に苦悩する三十代の彼の姿が浮上する。女性の独白体をも借りることによって、隠された主題として「太平の世」の喪失を詠む。その詩興と手法が下支えとなり、後の「韋悼」に結実した。「韋悼」における今昔の往還は失われた時空への旅であり、旅のよすがとなるのが、「韋擬」も含めた「古十九」であった。

 第五章「韋應物の自然詩―洛陽時代を中心にー」は、韋詩の枢要というべき自然詩および自然描写についての論述である。まず「自然」という語の「みずから」という本来的意味から、次第に多義性を獲得していく様相を記述し、その中で『文心雕龍』などが、見られる〈物〉と見る詩人〈我〉との相即的関係、すなわち「景情融合」に言及しており、それを韋の自然詩考察の観点とした。その際、王維・孟浩然、遡れば、陶淵明・謝靈運などの自然詩人との比較を勘案し、横軸として、同時代の大暦詩人との関わりをも視野に入れた。韋詩は、洛陽・灃上滁州・蘇州の三期に分けられるが、本章では洛陽時代を対象に、前期・揚州旅行期・後期に分けて、各時期の特質を考察した。前期においては、盛唐詩の継承と新しさの追求という過渡的傾向が見られ、古都洛陽の歴史を踏まえて乱後の荒廃を慨嘆する。暗黒世界というべき光景は、韋詩の原画であり、心象風景であった。揚州旅行では、自由な境遇が独自性を生み出す契機となった。老いの認識から過去への眼差しを獲得し、技巧的には、歇後に類する歇中法という斬新な手法を試みる。後期は、それらを駆使して、〈景〉〈情〉の融合を試みている。〈情〉は、王孟よりも深い悲哀を直接に表現し、〈景〉は時間の推移を背景に、〈清〉〈幽〉なる詩興を生ずるが、それは大暦詩風の類型でもあった。

終章「自然詩と<悼亡詩>」では、最後のまとめとして、「韋悼」の自然を中心に論究し、最終的に韋詩の本質に迫る。「韋悼」の成立は第二期灃上滁州時代であり、自然詩論としては第五章の続編となるので、「景情融合」を続けて観点とした。韋の自然詩に数多く吹いている「風」は、川や池の水に作用して「清景」をもたらすが、それは妻との思い出を蘇らせる今昔二重写しの景色であり、妻への哀惜の<情>が内在していた。韋詩の<清>は、風や水の流動感に因るが、今昔往還の動きに重なるのである。「雨」も多様な興趣を醸し出す。特に「林」に降り注ぐ「微雨」が印象的であり、それは陶潜詩を祖述する。だが陶詩は田園での喜びを詠うのに対して、韋詩の雨は、自閉的空間を形成して彼の「幽情」を包みこむ。詩人は、悲哀に身を委ね、いつしか現実の時空を超えた「幽」なる「淒境」に至る。韋詩の「廃墟」も陶詩を祖述するが、陶詩は無常感を表すのに対して、韋詩はそこに美を見出す。王維詩の「衰草」などをも踏襲して、韋は衰残の美を表現した。彼はその中に、過去の時間の堆積と未来の滅びを観想する。青春の蹉跌と妻の逝去という二つの悲劇が、詩人を衰残の<景>へと導いたが、特に前者を共有した妻の喪失が大きな影を及ぼしている。その美は、哀惜の<情>を内包するがゆえに美しい。韋詩の特質である<清><幽>は、過去からいずれ闇に消える時間の関数としての機能をもつことで、衰残の美の因子となり、「景情融合」を成立させたのである。衰残の<景>こそ、<情>との融合が可能であるが、それは乱直後の洛陽の廃墟、あの黒い原画に通じていく。大暦詩人に衰残の美がないのは、韋の二つの悲劇を体験せずにすんだからであり、逆に言えば韋詩の審美観の所以を物語る。韋詩は第二期において大暦詩風からの離脱が明らかになったのである。

 韋の自然論の多くは、結論として<清><幽>を特色とする「景情融合」と説くに止まる。拙論では悼亡詩を視座に据えることによって、その所以や実相を明らかにした。「韋悼」は失われた時空を求める今昔往還の旅であり、時間を凝視することで生まれる蕭條とした「清景」と寂寞たる「幽情」との融合によって生じる衰残の美を詩人は求め続けた。韋應物詩は、「韋悼」によって育まれ、内奥に闇を抱えることで、「景情融合」を実現したのである。

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