余象斗の小説と日用類書

林 桂如

本論では、明代福建の出版者・余象斗が編集した日用類書に見える公案・歴史・宗教に関する記載から出発し、これら通俗的な、日常生活と密接な関係を持ち、庶民の関心をひきやすい主題をどのように小説の素材としたのかなどについての分析をおこない、余象斗の小説に関する編集方法・内容選択の傾向・特色などを考察した。

本論は三部に分かれる。主な内容は以下の通りである。第一部は公案を主題とし、日用類書『三台万用正宗』「律例門」、法律書『三台明律招判正宗』、通俗類書『万錦情林』に見える公案関係の記述、公案小説『廉明公案』『諸司公案』などについて検討した。

まず、余象斗が法律書『三台明律招判正宗』、公案小説『廉明公案』『諸司公案』を刊行した背景について論述した。そして余象斗の『万錦情林』と、いとこである余泗泉の『燕居筆記』との関係について考察し、『燕居筆記』は『万錦情林』の増補本であろうと推測した。

『万錦情林』については、その「僧姦判」・「詞判強姦」などから、余象斗は公案小説を編集する際に、『万錦情林』を編集するときに利用した原資料を再利用しつつ、公案小説の最後の判決文や明代の刑罰に合わせるために小説内の主人公の言動を改変したと考えられる。

『廉明公案』について、まず構造面に関しては、余象斗は『蕭曹遺筆』系統の書籍を参考に部類を立て、そのなかから訴状-判決文を完備した用例を全て写し、さらに他の公案小説などに収録されていた公案の話を取りあげて、それに訴状と判決文を挿入したうえで、その主題に応じた部類の、『蕭曹遺筆』系統の書籍から引用したものの前にまとめて収めたのだと思われる。内容面については、鬼神の力で事件を解決する話をできるだけ用いないこと、皇帝の親戚をめぐる案件を採用しないこと、庶民生活に緊密に関わる訴訟文書を大量に引用して公案小説を法律書と結びつけることを方針として編まれたと言うことができる。

『諸司公案』は『廉明公案』の続編として刊行されたが、その編集の際余象斗は『廉明公案』のような、訴訟文書のみで記述する方法を捨て、体裁を整えて、『疑獄集』などに載っている既成の話を利用し、案件の時間・人物などを明代に置き換えたうえで、それらの案件に対応する訴状と判決文を加えている。『諸司公案』を編集する際の要点は、案件そのものではなく、案件の記述を通して、人びとに訴訟文書の書き方や法律常識を読者に伝えることであったと考えられる。

第二部では、余象斗が刊行した歴史小説を対象とし、特に『列国前編十二朝』に着目した。『列国前編十二朝』は万暦四十六年の『列国志伝評林』と一組にされ、万暦四十三年の朱篁本『列国志伝評林』に対抗するために、蘇州での販売を意図し、コストが低い地元建陽で製作したものである可能性が高い。

『列国前編十二朝』は万暦三十八年の『袁氏綱鑑』を底本として編集されたものであるが、そのほかの書物も利用されている。例えば、冒頭に置かれる卲康節の説は『西遊記』・『水滸伝』から着想を得てここに置かれたのであろうこと、第一則「西方佛定神開天闢地」に出てくる「毘多崩娑那」・「地帝鶏」という佛名や、世尊が毘多崩娑那に教えた真言などは『楞厳経』の経咒に由来するものであること、戦争の場面の部分は『三国志演義』や繁本系統『水滸伝』を参考に編集されたものであろうことなどがあげられる。なかでも『水滸伝』については、余象斗自身が出版した簡本『水滸志伝評林』ではなく繁本系統『水滸伝』を利用していることが注目される。その理由は、戦争の描写が簡本より生き生きしていることとともに、『列国前編十二朝』編集の時期がまさに繁本系統『水滸伝』の流行期に重なっていたためだとも考えられる。

また、『列国前編十二朝』の評注についての考察では、評注のうち『袁氏綱鑑』から引用された評と注は、その前後の内容が『列国前編十二朝』の正文になる時に、一緒に写されたのであろうと推測した。そして、『袁氏綱鑑』に由来しない小説の正文にも適宜注、評をつけ、疑問があがる所には「釈疑」を書き、余象斗自身の筆になる評論を入れ、小説全篇のバランスを取ろうとしたのだと考えられる。

第三部では、日用類書『三台万用正宗』の宗教関連の記述と、小説『北遊記』『南遊記』との関係について考察した。万暦期に盛んに行われていた宗教行事や、宗教に深く関わる題材を扱った書籍がさかんに出版されていたという背景に加え、余象斗は、自らが僧侶と交際していた経験と、出身地である建陽の人びとの信仰心が厚かったことから、神に関する書籍が必ず流行することを見通して、『三台万用正宗』に「僧道門」を入れ、『北遊記』『南遊記』などの小説をも編集したのだと考えられる。

これについて、ここでは三つの部分に分けて比較考察を行った。まず『三台万用正宗』「僧道門」に見える玄天上帝・五顕霊観・東岳大帝・城隍という四位の道教神と余象斗の小説『北遊記』『南遊記』『廉明公案』との関係について考察した。次に、『三台万用正宗』「民用門」の「沿江祭祀請神文」に見える関羽・趙公明と、『南遊記』冒頭の闘宝会の描写などから、余象斗の小説の編集方法を分析した。最後に、『南遊記』に現われる華光の母・吉芝陀の描写について論述した。

玄天上帝については、『三台万用正宗』にある玄天上帝の降誕表文に、当時流行していた金丹術で修行した玄天上帝の形象が描き出されており、この玄天上帝の形象は余象斗の小説『北遊記』に描写された玄天上帝とも一致していることがわかる。一方、『三台万用正宗』の五顕霊観表文を『南遊記』と比べてみると、その描写は『南遊記』より簡単であり、『南遊記』にある華光の投胎や、母を地獄から救出する物語は『三台万用正宗』には見えないこと、さらに『南遊記』では華光は道教神ではなく、佛弟子として登場していることなどから、『南遊記』は『三台万用正宗』『北遊記』より遅れて成立したものだと推測される。

東岳大帝については、『三台万用正宗』の東岳大帝の降誕表文に描写される泰山を敬慕する建陽人の姿や、『廉明公案』に見えるように、建陽で東岳廟へのお参りが盛んであったことなどから、当時不正な裁判に不満を抱く人が人間界の法官に失望して冥界の法官である東岳大帝に訴えるようになっていく様子がうかがえた。東岳廟への参詣が盛んであったということは、その反面で人間界の司法への不満を抱く人が多かったことを意味すると考えられるため、東岳廟信仰の隆盛と公案小説・法律書などの流行とは、「司法不当」という社会問題の二つの側面であると言えよう。

『三台万用正宗』に記載されている城隍神は蕭何である。法律を作った元祖という身分がある蕭何は、建陽地区で城隍神として祀られていた。ここからも、城隍神信仰-地方官への不信と期待-訴訟-『蕭曹遺筆』などの法律書の流行-公案小説の出現というつながりが見てとれる。

つづいて余象斗の小説の編集方法を分析した。『三台万用正宗』「民用門」の「沿江祭祀請神文」に見える趙公明と関羽は財神とされている。『北遊記』にもこの二位の神の姿が見られる。余象斗は『北遊記』で趙公明の部分を編集する際に、東晋から明代に至るまでの趙公明に関する文献から小説の筋にふさわしい部分を選び出して川を渡る人に危害を加える魔物とし、最後には川を渡る客商を守る玄天上帝の部下になるという設定にした。この趙公明の描写はほぼ出典があるものであり、日用類書に記載されている、客商を守る財神というイメージとも呼応している。

関羽についても前述した趙公明の部分と同じように、余象斗が関羽に関するいくつかの説を組み合わせてつくりあげている。生前の部分は『三国志伝』を利用し、亡くなった後の部分は佛教の記載を使い、最後の封号と形象は道教経典によったのである。余象斗は小説という空間に、ジグソーパズルのように各時期のその人物に関する記載をはめ合わせていた。各部分は誰もがよく知っている話であったために受け入れられやすかった一方、全体としては誰もが聞いたことがない話となったため、新鮮なものと感じられたであろう。

余象斗の小説編集の特徴はもう一つある。それは小説の冒頭におかれる宴会の描写である。余象斗はこの宴会のなかに、当時庶民の良く知っていた要素をとり入れ、読者の興味をそそる空間を作り、そしてそのなかに自身の出版物の情報を紛れ込ませた。例えば『南遊記』の闘宝会に現れる人物は、余象斗が、人物大要のような場面を作ろうとして、この小説の各則のなかからそれぞれ一人を選び出したものたちである。しかし、そのなかには闘宝会にしか現われない人物がいる。八洞神仙・普庵祖師・目連尊者である。普庵祖師と目連尊者は当時ともに一般庶民によく知られていた神佛であった。八洞神仙がもっとも目立つ一番目に登場するのは、余象斗自らが刊行した八洞神仙を主人公とした『東遊記』を宣伝するという目的があったためだと考えられる。

最後に、『南遊記』において華光の母である吉芝陀について考察した。吉芝陀が人を食う病気を治す薬とされたのが仙桃であったことから、余象斗が参照した『西遊記』の版本では、子供の形をしているのは人参果ではなく、それ以前の伝承のままの仙桃であった可能性があるとも考えられる。そのほか、華光の小説の版本については、謝肇淛が読み、『五雑俎』に記したのはおそらく余象斗の『南遊記』ではなく、より以前の、目連色の濃い華光小説であっただろうと推測できる。

本論では以上のような考察を通じて余象斗の小説をめぐる諸問題や具体的な編集方法などを明らかにしてきた。この考察は明代書商が小説出版に果たした役割の理解の一助となるものであろう。

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