本論は三島由紀夫の諸作品の具体的な分析を通じて、いわゆる「戦後文学史」を刷新することを目的としている。5部10章からなるその梗概は、以下の通りである。

第1部では、1941年から48年まで、いまだ無名だった三島由紀夫の初期作品群を対象に論じ、彼が「小説家」となるまでの前史を描き出す。第1章では短篇『花ざかりの森』(41年)をとりあげ、十六歳当時のこの創作が同時代の文学的言説に準拠するこの作家の方法論をすでに備えていることを論証した。本作を貫く発想は、戦時期における愛国主義(パトリオティズム)の文学的拠点ともなった日本浪曼派における「古典回帰」と「文芸復興」の言説運動、とりわけ保田與重郎の思想に深く影響されたものであった。この章では、作品の分析を通じてその影響関係を明らかにするとともに、昭和十年代における古典回帰の思潮が内包した「近代性」に文学史的な光を当てるための視座を準備した。

第2章では敗戦直後の作品を対象に、戦後派文学の隆盛下で三島があえて選んだ「時代錯誤」について考察する。『軽王子と衣通姫』(47年)は、「近代文学」派を中心とする戦後文学の隆盛を尻目に、記紀の神話を下敷きにした短篇である。しかし本作では、記紀に共通する王子と姫の兄妹関係が除外されている。この短篇とほぼ同時期、三島は自身初の長篇小説『盗賊』(48年)に着手していた。レイモン・ラディゲの影響下で企てられたこの作品では、「心中」に到る男女の間に恋愛関係が存在しない。本章では第1章で指摘した「読むという行為」の作品内での配備、また『盗賊』に関しては異稿と決定稿の相違に注目し、それらに共通する自己目的化された死という主題を具現するために各作品が導入する方法を検証した。

第2部では、三島の代表作となった二篇の一人称小説を読み解く。49年、三島は『仮面の告白』の書き下ろしによって、戦後文学の旗手の座へと駆けのぼった。第3章では、三島がこの作品を通じて獲得した文体の強度と、敗戦後の文学的・思想的状況に対してそれが発揮した批評的な射程について検討した。『仮面の告白』の「私」は、書くという行為において、「私」という存在の同一性を否定する。脱主体化されたこの「私」の召喚において、『仮面の告白』は、「主体性」の恢復を共通課題としていた同時代の知的文脈の中で稀有な前衛性を示す。本作をいちはやく評価したのが、「夜の会」を組織するなど戦後前衛芸術運動のフィクサーとして活躍した花田清輝であったことは、示唆的である。

 第4章では『金閣寺』(56年)を論ずる。吃音者として設定された主人公の「私」は、自己自身の言葉の所有に失敗し、みずからを疎外された存在として規定する。放火はこうした疎外からの自己恢復を目的としているように見える。しかしそれが奏功しなかったことは、この小説の文体が「私」自身の自己表現とは捉えられないことによって、証されているだろう。この章では、「私」が金閣の美という観念に対して傾ける情動の屈折と振幅を跡付け、この小説に展開された主体と言語との関係の様態を分析する。

 第3部では、昭和30年代における「文学的ムード」の瀰漫に対して三島が示した批判意識を、そのただなかでベストセラーとなった二作の分析を通して明らかにする。第5章で注目したのは、通俗でナイーヴな恋物語として迎えられた『潮騒』(54年)のなかに、文学主義批判の悪意ある試みが挿入されている点である。ギリシア的な「古典主義」に範例をとる本作が呈示する「外面性」は、文学の本質を内面的な想像力に求めるロマン主義的な発想を拒否している。「メタフィジック批評」の旗印の下、単一美学の構築を主張した服部達が『潮騒』に躓いたのも、その「外面性」ゆえである。本章では、文学的な内面性を抹消するためにこの小説がいかなる操作を遂行しているか、そしてこの小説の文体がいかにして表面的な可視性を装っているかを解明する。

 第6章では、「よろめき夫人」という流行語を生み、『潮騒』以来のベストセラーとなった『美徳のよろめき』(57年)を論ずる。当時の批評界を牽引した第4次「批評」グループ(佐伯彰一・篠田一士・村松剛ら)は、文学における「想像力」の自律性を説き、「風俗」と「制度」を想像力の条件として肯定的に位置づけた。『美徳のよろめき』は、こうした動向を横目に睨みながら書かれた「姦通小説」である。主人公は姦通を現実にうつし、一度はロマンティックな「物語趣味」へと目覚めるが、繰り返される堕胎の苦痛の中で恋人との別れを決意し、「明晰」に世界を見透すにいたる。この過程は、姦通をエロティックに止揚する「制度」の不在を露出させる。本章では、作品の具体的な筋立てと叙述に即して、本書が同時代の「文運興隆」の気運に対して差し向ける批評的射程を明らかにする。

 第4部では、1960年前後に著された二篇の「時代の小説」について考察し、この小説家が小説作品によっていかに「現代」へと介入したかを検証する。第7章で論ずる『鏡子の家』(59年)は、1955年前後の日本社会を舞台とし、4人の青年の「青春」の帰趨を描き出す。三島はその執筆に際して、長篇『亀裂』(57年)で時代のアクチュアリティと交わりえた石原慎太郎ら、戦争体験をもたない世代の文学者の台頭を意識していた。本章では同時代における戦中派世代(橋川文三ら)と戦後世代(石原ら)の対立に注目し、「時代の鏡」として企てられた本作に、それがどのような影を落としているかを解釈の軸とした。

『鏡子の家』の試みは、同時代の文壇では「失敗」との烙印を押された。さらに第8章では、「空飛ぶ円盤」を正面から扱うがゆえに、三島に「文学」を期待する読者からは冷遇された『美しい星』(62年)について考察する。この小説は、ケネディ=フルシチョフ時代に現実化した核戦争の危機を背景とする。UFOを目撃し自身を宇宙人として同定した主人公は、平和運動に邁進し、別の星から訪れたという人物らと地球の処遇をめぐって論争を闘わせる。磯田光一・奥野健男ら反政治主義の立場をとる批評家らは、この自称宇宙人らの情念に「架空世界」の自律というモティーフが仮託されていると解釈した。だが本作の現代小説としての可能性の中心は、「架空世界」と「現実世界」の二分法を解体するところにあった。この章では、同時代における大江健三郎・安部公房らの問題意識をも参照しながら、本作が「人間の終焉」以後の時代に向かって呈示する想像力の問題について検討する。

 第5部では「劇場性」を鍵語として、より俯瞰的な視座から三島文学の特性を検証する。第9章の考察対象は、演劇である。文壇をリードする存在となった三島は、文学座を拠点に置き、現代演劇に携わる劇作家としても活躍した。1950年代後半、ラジオドラマの流行を背景に谷川俊太郎ら新進の現代詩人が詩劇に取り組む一方で、山本健吉が『古典と現代文学』(56年)において能楽を「詩劇」とみなす視点を用意し、武智鉄二らによって古典芸能が現代の前衛演劇として再生されるなど、三島をして『近代能楽集』と題する連作詩劇へと着手せしめるに十分な文脈が用意されていた。この章では、三島演劇と古典的詩劇の関係、および戦後前衛との関係を、『近代能楽集』の分析を通じて跡付ける。

 第10章の考察対象は、イメージとしての「右翼」である。五九年の『鏡子の家』の失敗は、三島にとって一転換点となった。60年安保闘争の退潮直後、二つの右翼テロ事件が言論界を賑わす。大江健三郎『セヴンティーン』二部作は、第一の事件・浅沼事件をモデルとし、第二の事件・嶋中事件は深沢七郎『風流夢譚』を掲載した中央公論社の社長宅を襲撃するというものであった。藤田省三・橋川文三らは、事件の当事者となった中公刊行の「思想の科学」誌を舞台に、右翼の政治学史的・精神史的概念化を進めた。こうした状況に対し、『風流夢譚』の推薦者と噂された三島は、二・二六事件の「外伝」である『憂国』(61年)をもって介入する。この章では、大江『セヴンティーン』と三島『憂国』の分析を中心に、60年代初頭に右翼の表象がいかに文学的に形成されたかを追跡し、1970年に決起した三島が「行動者」となるまでの前史を描き出した。

本論は三島由紀夫の諸作品の具体的な分析を通じて、いわゆる「戦後文学史」を刷新することを目的としている。5部10章からなるその梗概は、以下の通りである。

 

第1部では、1941年から48年まで、いまだ無名だった三島由紀夫の初期作品群を対象に論じ、彼が「小説家」となるまでの前史を描き出す。第1章では短篇『花ざかりの森』(41年)をとりあげ、十六歳当時のこの創作が同時代の文学的言説に準拠するこの作家の方法論をすでに備えていることを論証した。本作を貫く発想は、戦時期における愛国主義(パトリオティズム)の文学的拠点ともなった日本浪曼派における「古典回帰」と「文芸復興」の言説運動、とりわけ保田與重郎の思想に深く影響されたものであった。この章では、作品の分析を通じてその影響関係を明らかにするとともに、昭和十年代における古典回帰の思潮が内包した「近代性」に文学史的な光を当てるための視座を準備した。

第2章では敗戦直後の作品を対象に、戦後派文学の隆盛下で三島があえて選んだ「時代錯誤」について考察する。『軽王子と衣通姫』(47年)は、「近代文学」派を中心とする戦後文学の隆盛を尻目に、記紀の神話を下敷きにした短篇である。しかし本作では、記紀に共通する王子と姫の兄妹関係が除外されている。この短篇とほぼ同時期、三島は自身初の長篇小説『盗賊』(48年)に着手していた。レイモン・ラディゲの影響下で企てられたこの作品では、「心中」に到る男女の間に恋愛関係が存在しない。本章では第1章で指摘した「読むという行為」の作品内での配備、また『盗賊』に関しては異稿と決定稿の相違に注目し、それらに共通する自己目的化された死という主題を具現するために各作品が導入する方法を検証した。

第2部では、三島の代表作となった二篇の一人称小説を読み解く。49年、三島は『仮面の告白』の書き下ろしによって、戦後文学の旗手の座へと駆けのぼった。第3章では、三島がこの作品を通じて獲得した文体の強度と、敗戦後の文学的・思想的状況に対してそれが発揮した批評的な射程について検討した。『仮面の告白』の「私」は、書くという行為において、「私」という存在の同一性を否定する。脱主体化されたこの「私」の召喚において、『仮面の告白』は、「主体性」の恢復を共通課題としていた同時代の知的文脈の中で稀有な前衛性を示す。本作をいちはやく評価したのが、「夜の会」を組織するなど戦後前衛芸術運動のフィクサーとして活躍した花田清輝であったことは、示唆的である。

 第4章では『金閣寺』(56年)を論ずる。吃音者として設定された主人公の「私」は、自己自身の言葉の所有に失敗し、みずからを疎外された存在として規定する。放火はこうした疎外からの自己恢復を目的としているように見える。しかしそれが奏功しなかったことは、この小説の文体が「私」自身の自己表現とは捉えられないことによって、証されているだろう。この章では、「私」が金閣の美という観念に対して傾ける情動の屈折と振幅を跡付け、この小説に展開された主体と言語との関係の様態を分析する。

 第3部では、昭和30年代における「文学的ムード」の瀰漫に対して三島が示した批判意識を、そのただなかでベストセラーとなった二作の分析を通して明らかにする。第5章で注目したのは、通俗でナイーヴな恋物語として迎えられた『潮騒』(54年)のなかに、文学主義批判の悪意ある試みが挿入されている点である。ギリシア的な「古典主義」に範例をとる本作が呈示する「外面性」は、文学の本質を内面的な想像力に求めるロマン主義的な発想を拒否している。「メタフィジック批評」の旗印の下、単一美学の構築を主張した服部達が『潮騒』に躓いたのも、その「外面性」ゆえである。本章では、文学的な内面性を抹消するためにこの小説がいかなる操作を遂行しているか、そしてこの小説の文体がいかにして表面的な可視性を装っているかを解明する。

 第6章では、「よろめき夫人」という流行語を生み、『潮騒』以来のベストセラーとなった『美徳のよろめき』(57年)を論ずる。当時の批評界を牽引した第4次「批評」グループ(佐伯彰一・篠田一士・村松剛ら)は、文学における「想像力」の自律性を説き、「風俗」と「制度」を想像力の条件として肯定的に位置づけた。『美徳のよろめき』は、こうした動向を横目に睨みながら書かれた「姦通小説」である。主人公は姦通を現実にうつし、一度はロマンティックな「物語趣味」へと目覚めるが、繰り返される堕胎の苦痛の中で恋人との別れを決意し、「明晰」に世界を見透すにいたる。この過程は、姦通をエロティックに止揚する「制度」の不在を露出させる。本章では、作品の具体的な筋立てと叙述に即して、本書が同時代の「文運興隆」の気運に対して差し向ける批評的射程を明らかにする。

 第4部では、1960年前後に著された二篇の「時代の小説」について考察し、この小説家が小説作品によっていかに「現代」へと介入したかを検証する。第7章で論ずる『鏡子の家』(59年)は、1955年前後の日本社会を舞台とし、4人の青年の「青春」の帰趨を描き出す。三島はその執筆に際して、長篇『亀裂』(57年)で時代のアクチュアリティと交わりえた石原慎太郎ら、戦争体験をもたない世代の文学者の台頭を意識していた。本章では同時代における戦中派世代(橋川文三ら)と戦後世代(石原ら)の対立に注目し、「時代の鏡」として企てられた本作に、それがどのような影を落としているかを解釈の軸とした。

『鏡子の家』の試みは、同時代の文壇では「失敗」との烙印を押された。さらに第8章では、「空飛ぶ円盤」を正面から扱うがゆえに、三島に「文学」を期待する読者からは冷遇された『美しい星』(62年)について考察する。この小説は、ケネディ=フルシチョフ時代に現実化した核戦争の危機を背景とする。UFOを目撃し自身を宇宙人として同定した主人公は、平和運動に邁進し、別の星から訪れたという人物らと地球の処遇をめぐって論争を闘わせる。磯田光一・奥野健男ら反政治主義の立場をとる批評家らは、この自称宇宙人らの情念に「架空世界」の自律というモティーフが仮託されていると解釈した。だが本作の現代小説としての可能性の中心は、「架空世界」と「現実世界」の二分法を解体するところにあった。この章では、同時代における大江健三郎・安部公房らの問題意識をも参照しながら、本作が「人間の終焉」以後の時代に向かって呈示する想像力の問題について検討する。

 第5部では「劇場性」を鍵語として、より俯瞰的な視座から三島文学の特性を検証する。第9章の考察対象は、演劇である。文壇をリードする存在となった三島は、文学座を拠点に置き、現代演劇に携わる劇作家としても活躍した。1950年代後半、ラジオドラマの流行を背景に谷川俊太郎ら新進の現代詩人が詩劇に取り組む一方で、山本健吉が『古典と現代文学』(56年)において能楽を「詩劇」とみなす視点を用意し、武智鉄二らによって古典芸能が現代の前衛演劇として再生されるなど、三島をして『近代能楽集』と題する連作詩劇へと着手せしめるに十分な文脈が用意されていた。この章では、三島演劇と古典的詩劇の関係、および戦後前衛との関係を、『近代能楽集』の分析を通じて跡付ける。

 第10章の考察対象は、イメージとしての「右翼」である。五九年の『鏡子の家』の失敗は、三島にとって一転換点となった。60年安保闘争の退潮直後、二つの右翼テロ事件が言論界を賑わす。大江健三郎『セヴンティーン』二部作は、第一の事件・浅沼事件をモデルとし、第二の事件・嶋中事件は深沢七郎『風流夢譚』を掲載した中央公論社の社長宅を襲撃するというものであった。藤田省三・橋川文三らは、事件の当事者となった中公刊行の「思想の科学」誌を舞台に、右翼の政治学史的・精神史的概念化を進めた。こうした状況に対し、『風流夢譚』の推薦者と噂された三島は、二・二六事件の「外伝」である『憂国』(61年)をもって介入する。この章では、大江『セヴンティーン』と三島『憂国』の分析を中心に、60年代初頭に右翼の表象がいかに文学的に形成されたかを追跡し、1970年に決起した三島が「行動者」となるまでの前史を描き出した。

本論は三島由紀夫の諸作品の具体的な分析を通じて、いわゆる「戦後文学史」を刷新することを目的としている。5部10章からなるその梗概は、以下の通りである。

 

第1部では、1941年から48年まで、いまだ無名だった三島由紀夫の初期作品群を対象に論じ、彼が「小説家」となるまでの前史を描き出す。第1章では短篇『花ざかりの森』(41年)をとりあげ、十六歳当時のこの創作が同時代の文学的言説に準拠するこの作家の方法論をすでに備えていることを論証した。本作を貫く発想は、戦時期における愛国主義(パトリオティズム)の文学的拠点ともなった日本浪曼派における「古典回帰」と「文芸復興」の言説運動、とりわけ保田與重郎の思想に深く影響されたものであった。この章では、作品の分析を通じてその影響関係を明らかにするとともに、昭和十年代における古典回帰の思潮が内包した「近代性」に文学史的な光を当てるための視座を準備した。

第2章では敗戦直後の作品を対象に、戦後派文学の隆盛下で三島があえて選んだ「時代錯誤」について考察する。『軽王子と衣通姫』(47年)は、「近代文学」派を中心とする戦後文学の隆盛を尻目に、記紀の神話を下敷きにした短篇である。しかし本作では、記紀に共通する王子と姫の兄妹関係が除外されている。この短篇とほぼ同時期、三島は自身初の長篇小説『盗賊』(48年)に着手していた。レイモン・ラディゲの影響下で企てられたこの作品では、「心中」に到る男女の間に恋愛関係が存在しない。本章では第1章で指摘した「読むという行為」の作品内での配備、また『盗賊』に関しては異稿と決定稿の相違に注目し、それらに共通する自己目的化された死という主題を具現するために各作品が導入する方法を検証した。

第2部では、三島の代表作となった二篇の一人称小説を読み解く。49年、三島は『仮面の告白』の書き下ろしによって、戦後文学の旗手の座へと駆けのぼった。第3章では、三島がこの作品を通じて獲得した文体の強度と、敗戦後の文学的・思想的状況に対してそれが発揮した批評的な射程について検討した。『仮面の告白』の「私」は、書くという行為において、「私」という存在の同一性を否定する。脱主体化されたこの「私」の召喚において、『仮面の告白』は、「主体性」の恢復を共通課題としていた同時代の知的文脈の中で稀有な前衛性を示す。本作をいちはやく評価したのが、「夜の会」を組織するなど戦後前衛芸術運動のフィクサーとして活躍した花田清輝であったことは、示唆的である。

 第4章では『金閣寺』(56年)を論ずる。吃音者として設定された主人公の「私」は、自己自身の言葉の所有に失敗し、みずからを疎外された存在として規定する。放火はこうした疎外からの自己恢復を目的としているように見える。しかしそれが奏功しなかったことは、この小説の文体が「私」自身の自己表現とは捉えられないことによって、証されているだろう。この章では、「私」が金閣の美という観念に対して傾ける情動の屈折と振幅を跡付け、この小説に展開された主体と言語との関係の様態を分析する。

 第3部では、昭和30年代における「文学的ムード」の瀰漫に対して三島が示した批判意識を、そのただなかでベストセラーとなった二作の分析を通して明らかにする。第5章で注目したのは、通俗でナイーヴな恋物語として迎えられた『潮騒』(54年)のなかに、文学主義批判の悪意ある試みが挿入されている点である。ギリシア的な「古典主義」に範例をとる本作が呈示する「外面性」は、文学の本質を内面的な想像力に求めるロマン主義的な発想を拒否している。「メタフィジック批評」の旗印の下、単一美学の構築を主張した服部達が『潮騒』に躓いたのも、その「外面性」ゆえである。本章では、文学的な内面性を抹消するためにこの小説がいかなる操作を遂行しているか、そしてこの小説の文体がいかにして表面的な可視性を装っているかを解明する。

 第6章では、「よろめき夫人」という流行語を生み、『潮騒』以来のベストセラーとなった『美徳のよろめき』(57年)を論ずる。当時の批評界を牽引した第4次「批評」グループ(佐伯彰一・篠田一士・村松剛ら)は、文学における「想像力」の自律性を説き、「風俗」と「制度」を想像力の条件として肯定的に位置づけた。『美徳のよろめき』は、こうした動向を横目に睨みながら書かれた「姦通小説」である。主人公は姦通を現実にうつし、一度はロマンティックな「物語趣味」へと目覚めるが、繰り返される堕胎の苦痛の中で恋人との別れを決意し、「明晰」に世界を見透すにいたる。この過程は、姦通をエロティックに止揚する「制度」の不在を露出させる。本章では、作品の具体的な筋立てと叙述に即して、本書が同時代の「文運興隆」の気運に対して差し向ける批評的射程を明らかにする。

 第4部では、1960年前後に著された二篇の「時代の小説」について考察し、この小説家が小説作品によっていかに「現代」へと介入したかを検証する。第7章で論ずる『鏡子の家』(59年)は、1955年前後の日本社会を舞台とし、4人の青年の「青春」の帰趨を描き出す。三島はその執筆に際して、長篇『亀裂』(57年)で時代のアクチュアリティと交わりえた石原慎太郎ら、戦争体験をもたない世代の文学者の台頭を意識していた。本章では同時代における戦中派世代(橋川文三ら)と戦後世代(石原ら)の対立に注目し、「時代の鏡」として企てられた本作に、それがどのような影を落としているかを解釈の軸とした。

『鏡子の家』の試みは、同時代の文壇では「失敗」との烙印を押された。さらに第8章では、「空飛ぶ円盤」を正面から扱うがゆえに、三島に「文学」を期待する読者からは冷遇された『美しい星』(62年)について考察する。この小説は、ケネディ=フルシチョフ時代に現実化した核戦争の危機を背景とする。UFOを目撃し自身を宇宙人として同定した主人公は、平和運動に邁進し、別の星から訪れたという人物らと地球の処遇をめぐって論争を闘わせる。磯田光一・奥野健男ら反政治主義の立場をとる批評家らは、この自称宇宙人らの情念に「架空世界」の自律というモティーフが仮託されていると解釈した。だが本作の現代小説としての可能性の中心は、「架空世界」と「現実世界」の二分法を解体するところにあった。この章では、同時代における大江健三郎・安部公房らの問題意識をも参照しながら、本作が「人間の終焉」以後の時代に向かって呈示する想像力の問題について検討する。

 第5部では「劇場性」を鍵語として、より俯瞰的な視座から三島文学の特性を検証する。第9章の考察対象は、演劇である。文壇をリードする存在となった三島は、文学座を拠点に置き、現代演劇に携わる劇作家としても活躍した。1950年代後半、ラジオドラマの流行を背景に谷川俊太郎ら新進の現代詩人が詩劇に取り組む一方で、山本健吉が『古典と現代文学』(56年)において能楽を「詩劇」とみなす視点を用意し、武智鉄二らによって古典芸能が現代の前衛演劇として再生されるなど、三島をして『近代能楽集』と題する連作詩劇へと着手せしめるに十分な文脈が用意されていた。この章では、三島演劇と古典的詩劇の関係、および戦後前衛との関係を、『近代能楽集』の分析を通じて跡付ける。

 第10章の考察対象は、イメージとしての「右翼」である。五九年の『鏡子の家』の失敗は、三島にとって一転換点となった。60年安保闘争の退潮直後、二つの右翼テロ事件が言論界を賑わす。大江健三郎『セヴンティーン』二部作は、第一の事件・浅沼事件をモデルとし、第二の事件・嶋中事件は深沢七郎『風流夢譚』を掲載した中央公論社の社長宅を襲撃するというものであった。藤田省三・橋川文三らは、事件の当事者となった中公刊行の「思想の科学」誌を舞台に、右翼の政治学史的・精神史的概念化を進めた。こうした状況に対し、『風流夢譚』の推薦者と噂された三島は、二・二六事件の「外伝」である『憂国』(61年)をもって介入する。この章では、大江『セヴンティーン』と三島『憂国』の分析を中心に、60年代初頭に右翼の表象がいかに文学的に形成されたかを追跡し、1970年に決起した三島が「行動者」となるまでの前史を描き出した。

本論は三島由紀夫の諸作品の具体的な分析を通じて、いわゆる「戦後文学史」を刷新することを目的としている。5部10章からなるその梗概は、以下の通りである。

 

第1部では、1941年から48年まで、いまだ無名だった三島由紀夫の初期作品群を対象に論じ、彼が「小説家」となるまでの前史を描き出す。第1章では短篇『花ざかりの森』(41年)をとりあげ、十六歳当時のこの創作が同時代の文学的言説に準拠するこの作家の方法論をすでに備えていることを論証した。本作を貫く発想は、戦時期における愛国主義(パトリオティズム)の文学的拠点ともなった日本浪曼派における「古典回帰」と「文芸復興」の言説運動、とりわけ保田與重郎の思想に深く影響されたものであった。この章では、作品の分析を通じてその影響関係を明らかにするとともに、昭和十年代における古典回帰の思潮が内包した「近代性」に文学史的な光を当てるための視座を準備した。

第2章では敗戦直後の作品を対象に、戦後派文学の隆盛下で三島があえて選んだ「時代錯誤」について考察する。『軽王子と衣通姫』(47年)は、「近代文学」派を中心とする戦後文学の隆盛を尻目に、記紀の神話を下敷きにした短篇である。しかし本作では、記紀に共通する王子と姫の兄妹関係が除外されている。この短篇とほぼ同時期、三島は自身初の長篇小説『盗賊』(48年)に着手していた。レイモン・ラディゲの影響下で企てられたこの作品では、「心中」に到る男女の間に恋愛関係が存在しない。本章では第1章で指摘した「読むという行為」の作品内での配備、また『盗賊』に関しては異稿と決定稿の相違に注目し、それらに共通する自己目的化された死という主題を具現するために各作品が導入する方法を検証した。

第2部では、三島の代表作となった二篇の一人称小説を読み解く。49年、三島は『仮面の告白』の書き下ろしによって、戦後文学の旗手の座へと駆けのぼった。第3章では、三島がこの作品を通じて獲得した文体の強度と、敗戦後の文学的・思想的状況に対してそれが発揮した批評的な射程について検討した。『仮面の告白』の「私」は、書くという行為において、「私」という存在の同一性を否定する。脱主体化されたこの「私」の召喚において、『仮面の告白』は、「主体性」の恢復を共通課題としていた同時代の知的文脈の中で稀有な前衛性を示す。本作をいちはやく評価したのが、「夜の会」を組織するなど戦後前衛芸術運動のフィクサーとして活躍した花田清輝であったことは、示唆的である。

 第4章では『金閣寺』(56年)を論ずる。吃音者として設定された主人公の「私」は、自己自身の言葉の所有に失敗し、みずからを疎外された存在として規定する。放火はこうした疎外からの自己恢復を目的としているように見える。しかしそれが奏功しなかったことは、この小説の文体が「私」自身の自己表現とは捉えられないことによって、証されているだろう。この章では、「私」が金閣の美という観念に対して傾ける情動の屈折と振幅を跡付け、この小説に展開された主体と言語との関係の様態を分析する。

 第3部では、昭和30年代における「文学的ムード」の瀰漫に対して三島が示した批判意識を、そのただなかでベストセラーとなった二作の分析を通して明らかにする。第5章で注目したのは、通俗でナイーヴな恋物語として迎えられた『潮騒』(54年)のなかに、文学主義批判の悪意ある試みが挿入されている点である。ギリシア的な「古典主義」に範例をとる本作が呈示する「外面性」は、文学の本質を内面的な想像力に求めるロマン主義的な発想を拒否している。「メタフィジック批評」の旗印の下、単一美学の構築を主張した服部達が『潮騒』に躓いたのも、その「外面性」ゆえである。本章では、文学的な内面性を抹消するためにこの小説がいかなる操作を遂行しているか、そしてこの小説の文体がいかにして表面的な可視性を装っているかを解明する。

 第6章では、「よろめき夫人」という流行語を生み、『潮騒』以来のベストセラーとなった『美徳のよろめき』(57年)を論ずる。当時の批評界を牽引した第4次「批評」グループ(佐伯彰一・篠田一士・村松剛ら)は、文学における「想像力」の自律性を説き、「風俗」と「制度」を想像力の条件として肯定的に位置づけた。『美徳のよろめき』は、こうした動向を横目に睨みながら書かれた「姦通小説」である。主人公は姦通を現実にうつし、一度はロマンティックな「物語趣味」へと目覚めるが、繰り返される堕胎の苦痛の中で恋人との別れを決意し、「明晰」に世界を見透すにいたる。この過程は、姦通をエロティックに止揚する「制度」の不在を露出させる。本章では、作品の具体的な筋立てと叙述に即して、本書が同時代の「文運興隆」の気運に対して差し向ける批評的射程を明らかにする。

 第4部では、1960年前後に著された二篇の「時代の小説」について考察し、この小説家が小説作品によっていかに「現代」へと介入したかを検証する。第7章で論ずる『鏡子の家』(59年)は、1955年前後の日本社会を舞台とし、4人の青年の「青春」の帰趨を描き出す。三島はその執筆に際して、長篇『亀裂』(57年)で時代のアクチュアリティと交わりえた石原慎太郎ら、戦争体験をもたない世代の文学者の台頭を意識していた。本章では同時代における戦中派世代(橋川文三ら)と戦後世代(石原ら)の対立に注目し、「時代の鏡」として企てられた本作に、それがどのような影を落としているかを解釈の軸とした。

『鏡子の家』の試みは、同時代の文壇では「失敗」との烙印を押された。さらに第8章では、「空飛ぶ円盤」を正面から扱うがゆえに、三島に「文学」を期待する読者からは冷遇された『美しい星』(62年)について考察する。この小説は、ケネディ=フルシチョフ時代に現実化した核戦争の危機を背景とする。UFOを目撃し自身を宇宙人として同定した主人公は、平和運動に邁進し、別の星から訪れたという人物らと地球の処遇をめぐって論争を闘わせる。磯田光一・奥野健男ら反政治主義の立場をとる批評家らは、この自称宇宙人らの情念に「架空世界」の自律というモティーフが仮託されていると解釈した。だが本作の現代小説としての可能性の中心は、「架空世界」と「現実世界」の二分法を解体するところにあった。この章では、同時代における大江健三郎・安部公房らの問題意識をも参照しながら、本作が「人間の終焉」以後の時代に向かって呈示する想像力の問題について検討する。

 第5部では「劇場性」を鍵語として、より俯瞰的な視座から三島文学の特性を検証する。第9章の考察対象は、演劇である。文壇をリードする存在となった三島は、文学座を拠点に置き、現代演劇に携わる劇作家としても活躍した。1950年代後半、ラジオドラマの流行を背景に谷川俊太郎ら新進の現代詩人が詩劇に取り組む一方で、山本健吉が『古典と現代文学』(56年)において能楽を「詩劇」とみなす視点を用意し、武智鉄二らによって古典芸能が現代の前衛演劇として再生されるなど、三島をして『近代能楽集』と題する連作詩劇へと着手せしめるに十分な文脈が用意されていた。この章では、三島演劇と古典的詩劇の関係、および戦後前衛との関係を、『近代能楽集』の分析を通じて跡付ける。

 第10章の考察対象は、イメージとしての「右翼」である。五九年の『鏡子の家』の失敗は、三島にとって一転換点となった。60年安保闘争の退潮直後、二つの右翼テロ事件が言論界を賑わす。大江健三郎『セヴンティーン』二部作は、第一の事件・浅沼事件をモデルとし、第二の事件・嶋中事件は深沢七郎『風流夢譚』を掲載した中央公論社の社長宅を襲撃するというものであった。藤田省三・橋川文三らは、事件の当事者となった中公刊行の「思想の科学」誌を舞台に、右翼の政治学史的・精神史的概念化を進めた。こうした状況に対し、『風流夢譚』の推薦者と噂された三島は、二・二六事件の「外伝」である『憂国』(61年)をもって介入する。この章では、大江『セヴンティーン』と三島『憂国』の分析を中心に、60年代初頭に右翼の表象がいかに文学的に形成されたかを追跡し、1970年に決起した三島が「行動者」となるまでの前史を描き出した。

本論は三島由紀夫の諸作品の具体的な分析を通じて、いわゆる「戦後文学史」を刷新することを目的としている。5部10章からなるその梗概は、以下の通りである。

 

第1部では、1941年から48年まで、いまだ無名だった三島由紀夫の初期作品群を対象に論じ、彼が「小説家」となるまでの前史を描き出す。第1章では短篇『花ざかりの森』(41年)をとりあげ、十六歳当時のこの創作が同時代の文学的言説に準拠するこの作家の方法論をすでに備えていることを論証した。本作を貫く発想は、戦時期における愛国主義(パトリオティズム)の文学的拠点ともなった日本浪曼派における「古典回帰」と「文芸復興」の言説運動、とりわけ保田與重郎の思想に深く影響されたものであった。この章では、作品の分析を通じてその影響関係を明らかにするとともに、昭和十年代における古典回帰の思潮が内包した「近代性」に文学史的な光を当てるための視座を準備した。

第2章では敗戦直後の作品を対象に、戦後派文学の隆盛下で三島があえて選んだ「時代錯誤」について考察する。『軽王子と衣通姫』(47年)は、「近代文学」派を中心とする戦後文学の隆盛を尻目に、記紀の神話を下敷きにした短篇である。しかし本作では、記紀に共通する王子と姫の兄妹関係が除外されている。この短篇とほぼ同時期、三島は自身初の長篇小説『盗賊』(48年)に着手していた。レイモン・ラディゲの影響下で企てられたこの作品では、「心中」に到る男女の間に恋愛関係が存在しない。本章では第1章で指摘した「読むという行為」の作品内での配備、また『盗賊』に関しては異稿と決定稿の相違に注目し、それらに共通する自己目的化された死という主題を具現するために各作品が導入する方法を検証した。

第2部では、三島の代表作となった二篇の一人称小説を読み解く。49年、三島は『仮面の告白』の書き下ろしによって、戦後文学の旗手の座へと駆けのぼった。第3章では、三島がこの作品を通じて獲得した文体の強度と、敗戦後の文学的・思想的状況に対してそれが発揮した批評的な射程について検討した。『仮面の告白』の「私」は、書くという行為において、「私」という存在の同一性を否定する。脱主体化されたこの「私」の召喚において、『仮面の告白』は、「主体性」の恢復を共通課題としていた同時代の知的文脈の中で稀有な前衛性を示す。本作をいちはやく評価したのが、「夜の会」を組織するなど戦後前衛芸術運動のフィクサーとして活躍した花田清輝であったことは、示唆的である。

 第4章では『金閣寺』(56年)を論ずる。吃音者として設定された主人公の「私」は、自己自身の言葉の所有に失敗し、みずからを疎外された存在として規定する。放火はこうした疎外からの自己恢復を目的としているように見える。しかしそれが奏功しなかったことは、この小説の文体が「私」自身の自己表現とは捉えられないことによって、証されているだろう。この章では、「私」が金閣の美という観念に対して傾ける情動の屈折と振幅を跡付け、この小説に展開された主体と言語との関係の様態を分析する。

 第3部では、昭和30年代における「文学的ムード」の瀰漫に対して三島が示した批判意識を、そのただなかでベストセラーとなった二作の分析を通して明らかにする。第5章で注目したのは、通俗でナイーヴな恋物語として迎えられた『潮騒』(54年)のなかに、文学主義批判の悪意ある試みが挿入されている点である。ギリシア的な「古典主義」に範例をとる本作が呈示する「外面性」は、文学の本質を内面的な想像力に求めるロマン主義的な発想を拒否している。「メタフィジック批評」の旗印の下、単一美学の構築を主張した服部達が『潮騒』に躓いたのも、その「外面性」ゆえである。本章では、文学的な内面性を抹消するためにこの小説がいかなる操作を遂行しているか、そしてこの小説の文体がいかにして表面的な可視性を装っているかを解明する。

 第6章では、「よろめき夫人」という流行語を生み、『潮騒』以来のベストセラーとなった『美徳のよろめき』(57年)を論ずる。当時の批評界を牽引した第4次「批評」グループ(佐伯彰一・篠田一士・村松剛ら)は、文学における「想像力」の自律性を説き、「風俗」と「制度」を想像力の条件として肯定的に位置づけた。『美徳のよろめき』は、こうした動向を横目に睨みながら書かれた「姦通小説」である。主人公は姦通を現実にうつし、一度はロマンティックな「物語趣味」へと目覚めるが、繰り返される堕胎の苦痛の中で恋人との別れを決意し、「明晰」に世界を見透すにいたる。この過程は、姦通をエロティックに止揚する「制度」の不在を露出させる。本章では、作品の具体的な筋立てと叙述に即して、本書が同時代の「文運興隆」の気運に対して差し向ける批評的射程を明らかにする。

 第4部では、1960年前後に著された二篇の「時代の小説」について考察し、この小説家が小説作品によっていかに「現代」へと介入したかを検証する。第7章で論ずる『鏡子の家』(59年)は、1955年前後の日本社会を舞台とし、4人の青年の「青春」の帰趨を描き出す。三島はその執筆に際して、長篇『亀裂』(57年)で時代のアクチュアリティと交わりえた石原慎太郎ら、戦争体験をもたない世代の文学者の台頭を意識していた。本章では同時代における戦中派世代(橋川文三ら)と戦後世代(石原ら)の対立に注目し、「時代の鏡」として企てられた本作に、それがどのような影を落としているかを解釈の軸とした。

『鏡子の家』の試みは、同時代の文壇では「失敗」との烙印を押された。さらに第8章では、「空飛ぶ円盤」を正面から扱うがゆえに、三島に「文学」を期待する読者からは冷遇された『美しい星』(62年)について考察する。この小説は、ケネディ=フルシチョフ時代に現実化した核戦争の危機を背景とする。UFOを目撃し自身を宇宙人として同定した主人公は、平和運動に邁進し、別の星から訪れたという人物らと地球の処遇をめぐって論争を闘わせる。磯田光一・奥野健男ら反政治主義の立場をとる批評家らは、この自称宇宙人らの情念に「架空世界」の自律というモティーフが仮託されていると解釈した。だが本作の現代小説としての可能性の中心は、「架空世界」と「現実世界」の二分法を解体するところにあった。この章では、同時代における大江健三郎・安部公房らの問題意識をも参照しながら、本作が「人間の終焉」以後の時代に向かって呈示する想像力の問題について検討する。

 第5部では「劇場性」を鍵語として、より俯瞰的な視座から三島文学の特性を検証する。第9章の考察対象は、演劇である。文壇をリードする存在となった三島は、文学座を拠点に置き、現代演劇に携わる劇作家としても活躍した。1950年代後半、ラジオドラマの流行を背景に谷川俊太郎ら新進の現代詩人が詩劇に取り組む一方で、山本健吉が『古典と現代文学』(56年)において能楽を「詩劇」とみなす視点を用意し、武智鉄二らによって古典芸能が現代の前衛演劇として再生されるなど、三島をして『近代能楽集』と題する連作詩劇へと着手せしめるに十分な文脈が用意されていた。この章では、三島演劇と古典的詩劇の関係、および戦後前衛との関係を、『近代能楽集』の分析を通じて跡付ける。

 第10章の考察対象は、イメージとしての「右翼」である。五九年の『鏡子の家』の失敗は、三島にとって一転換点となった。60年安保闘争の退潮直後、二つの右翼テロ事件が言論界を賑わす。大江健三郎『セヴンティーン』二部作は、第一の事件・浅沼事件をモデルとし、第二の事件・嶋中事件は深沢七郎『風流夢譚』を掲載した中央公論社の社長宅を襲撃するというものであった。藤田省三・橋川文三らは、事件の当事者となった中公刊行の「思想の科学」誌を舞台に、右翼の政治学史的・精神史的概念化を進めた。こうした状況に対し、『風流夢譚』の推薦者と噂された三島は、二・二六事件の「外伝」である『憂国』(61年)をもって介入する。この章では、大江『セヴンティーン』と三島『憂国』の分析を中心に、60年代初頭に右翼の表象がいかに文学的に形成されたかを追跡し、1970年に決起した三島が「行動者」となるまでの前史を描き出した。