明治後期の絵画と思潮――横山大観・岡倉天心・黒田清輝――

植田 彩芳子

 本論文は、横山大観・黒田清輝を中心に、明治後期から大正初期の絵画の様相を、美術思潮に重心を置きつつ考察することを目的とする。

 

 日本画家・横山大観の画業を考える上で、岡倉天心の思想が大きな影響を及ぼしたことは言うまでもない。とはいえ、岡倉天心の掲げた根本思想である理想主義をめぐる問題は、いまだ一定のコンセンサスを得ているとは言い難い。そして、天心の絵画理念は同時代の洋画家・黒田清輝の絵画理念とも重なり、しばしば混同されてきた。こうした明治後期の理想主義をめぐる問題は、横山大観ら日本画家だけでなく、黒田清輝らの同時代洋画を考える上でも重要である。

 そこで本論文では、まず第一部で、横山大観の明治後期から大正初期にかけての絵画の変遷を分析し、その背景にある理想主義について考察し、その理想主義の変容の様子を検討する。その上で、第二部では、同時代の洋画家である黒田清輝の作品および絵画志向に視野を広げて考察を行うことで、明治後期の絵画と思潮を多角的に考察する。

 

まず、序章では、本論文の中心となる岡倉天心の理想主義の意味について、研究史をたどる。

第一部では、横山大観の明治後期から大正初期にかけての絵画の変遷を分析する。

第一章「横山大観をめぐる言説史」では、明治から大正、昭和、そして現在に至るまでの大観をめぐる言説史を整理する。明治期の大観は理想主義を背景として、着想の面白さで評価されたが、朦朧体の試みにより悪評を受ける。渡印・渡欧を経て、徐々にその評価を回復していき、一九一〇年以降、大観評価に変化が訪れる。一九一〇年以降、不器用で飄逸な画風を特色とする大観は、芸術家らしい個性を表現しているとして高い人気を博するようになる。そして、徐々に画風を洗練させていった大観は、昭和に入ると自らの唱えた「精神」というキーワードで評価されるようになる。戦後はそうした大観評価を引きずりながらも、研究の厚みを増していき、近年には多角的な研究の積み重ねがなされるようになる。

 第二章「岡倉天心の課題制作――背景としての宋代・徽宗画院――」では、明治期の岡倉天心の課題制作について検討する。岡倉天心の始めた意匠研究会(遂初会)の課題制作は有名であるが、こうした課題制作、あるテーマから想像をめぐらせて制作を行うという岡倉による絵画制作法について、その背景が宋代・徽宗画院にある可能性を検討する。こうした課題制作は、理想主義的なものでありながら、東洋の伝統に則るものであったと考えられ、徽宗画院の暗示的表現は岡倉が展開する課題制作と通じ合うものであった。岡倉の課題制作は、横山大観にとって重要な研究方法であったようであり、再興院展でも行われたほか、戦前の美術改革でも検討に挙げられた。横山大観にとって後々までも重要な意味を持った課題制作は、岡倉天心の理想主義の根本的な要素を示すものである。

 第三章「横山大観筆《屈原》の新しさ」では、横山大観の歴史画《屈原》を多角的に分析し、《屈原》が画中人物の感情表現の激しさで注目を集めたことを考察する。大観の《屈原》は「山鬼」を典拠として屈原を描く異例な作品であり、そこでは屈原が讒佞の人を怨むシーンが強調される。そのため、発表当時注目されたのは、本図の屈原の感情表現が、屈原の性格の表現としておかしいということだった。本図における天心と屈原のイメージの重ね合わせは、屈原に関わるレクイエムの伝統を踏まえたものである。しかし、本図における大観の狙いは、そうした暗示的表現よりも、むしろ屈原を激しい感情的な人として描きだすことによって、当時天心が目標に掲げたエクスプレッション(画中人物の感情表現)を明確に表現し、新しさを示すことにあったと考えられる。

 続く第四章「横山大観筆《聴法》制作背景としての「エクスプレッション」――画中人物の感情表現をめぐって――」では、横山大観の《屈原》において評価された画中人物の感情表現(エクスプレッション)が注目された背景について、前年の作品《聴法》を中心に分析する。一八九七年前後に注目された「エクスプレッション」とは、画中人物の感情表現、表情を意味した。「エクスプレッション」が注目されたきっかけは、一八九七年七月に小泉八雲らによって、日本の人物画における感情表現が議論の俎上にあげられたことがあったと考えられる。大観はそうした議論を背景に、エクスプレッションに取り組み、その試みが陰影表現という新たな工夫を導いた可能性も考えられる。特に、大観のエクスプレッションへの試みは、同時期の観山・春草など他の日本画家に先駆けた西洋画への接近であったと考えられる。

 そして、第五章「明治末期の横山大観――大観における画風の変化と池大雅・与謝蕪村の評価――」では、一九一〇年前後の横山大観の画風の変化を分析し、その変化の原因として池大雅、与謝蕪村ら江戸南画に対する関心の高まりがある可能性について考察を行う。一九一〇年頃までの大観は、立体表現への意識が強く、光と空気に配慮した繊細な表現を特色とする。しかし、一九一〇年以後、大観の作品は平面的になり、その形態把握は大胆なものとなり、その表現は粗放になる。こうした画風の変化は、その評価の変化とも呼応し、大観の作品は「飄逸」というキーワードで評価されていく。大雅、蕪村の明治期における評価史をたどると、一九〇〇年代後半以降に江戸時代の南画の評価が高まる。また、大観が一九一〇年の中国旅行で南画への関心を深めた可能性を考えあわせると、大観の画風の変化のきっかけに蕪村・大雅ら南画に対する関心の高まりがある可能性が考えられる。

 第六章「横山大観筆《瀟湘八景》研究――隠逸・老荘思想への志向――」は、横山大観の《瀟湘八景》(東京国立博物館)の分析を行い、その作品に見られる隠逸・老荘的要素を検討する。大観の《瀟湘八景》は、従来の瀟湘八景図に比べ、数少ないモチーフをクローズアップした点に特徴があり、そこで強調された人物・風俗表現には隠逸・老荘的要素が見られる。こうした隠逸・老荘的要素を大観が取り入れた背景には、大観の境遇と岡倉天心の道教への傾倒などがあったと考えられる。

 

 このように第一部では、第一章で、明治期には理想主義の見地から評価された大観が、明治末期になると「飄逸」「脱俗」といった隠逸・老荘的要素で評価されるように変化する様子を分析し、第二章から第四章では岡倉による理想主義的な絵画制作法、大観の理想主義的な作品について考察した上で、第五章・第六章では「飄逸」「不器用」といった隠逸・老荘的要素で評価されるようになった大観の作品を検討する。それは大観の理想主義が少しずつ変容していった軌跡を示していると言えよう。

 

 さらに、第二部では、横山大観・岡倉天心の理想主義を検討するために、同時代の洋画家である黒田清輝の明治後期の試みに視野を広げて検討する。そうすることで、明治後期の絵画と思潮を多角的に考察することが目的である。

第七章「黒田清輝の絵画理念の変容――「心もち」論を中心に――」では、しばしば混同される岡倉天心と黒田清輝の絵画理念について、その理想主義的傾向の違いを検証する。黒田清輝が写生を重視した自然主義的傾向を強く持っていたのに対し、岡倉天心はイデア重視の理想主義的傾向が強かった。西洋美術における理想主義の重要性を心得ていた黒田は、一八九六年の東京美術学校西洋画科カリキュラムを制定する時点では、岡倉とも一致した意見を持ち、理想重視のカリキュラムを打ち出したが、おそらく意見の食い違いが起き、そのカリキュラム・絵画理念を変容させていったと考えられる。

そして、第八章「黒田清輝筆《昔語り》の意味構造」では、黒田の《昔語り》の意味構造を読み取り、フランス絵画からの影響を考察し、その理想主義と自然主義の折衷的傾向を分析する。《昔語り》に見られる複雑な対比構造、および木炭画稿から油彩下絵、完成作になるにつれて減少する遠近感などから、描かれた男と舞妓には小督の物語を重ね合わされている可能性が考えられる。このような複雑な構造が《昔語り》の歴史的位置づけを難しいものとし、「構想画」と呼ばれる議論を巻き起こしてきた。

 さらに、第九章「黒田清輝筆《智・感・情》の主題の背景――ハーバート・スペンサーの美学との関係から――」では、明治期の美学的背景を軸に、黒田の理想画《智・感・情》の主題の典拠について考察を行う。ハーバート・スペンサーの美的情操論には、感覚・知覚・情緒という三分法が見られ、このような三分法は、当時受容された美学・心理学には他に見られない。スペンサー美学は、明治中期には知識人に広く知られるようになっており、黒田がスペンサー美学を知っていても不思議はない状況にあった。黒田の主題設定(智―理想、感―印象、情―写実)にはスペンサー美学との齟齬も見られるが、それは「感(印象)」を重視する黒田自身の絵画観を踏まえて自ら再構成した結果であったと考えられる。

 なお、附録として第四章「横山大観筆《聴法》制作背景としての「エクスプレッション」――画中人物の感情表現をめぐって――」の一部を英訳した原稿を付ける。

 

 本論文は、横山大観・黒田清輝を中心に、明治後期の絵画の動向における基礎的かつ重要な問題に取り組んだものである。それは同時に、同時代の思想の動向をあきらかにするものである。美学と美術史が未分化であった明治期の画家および指導者の思想を知るためには、当時の美学・思想への理解が不可欠である。そして、当時の美学・思想への理解は、画家の創造した作品を考える上でも重要な意味を持つ。横山大観と黒田清輝を中心とした理想主義をめぐる問題は、明治後期から大正初期の絵画と思潮を理解する上でも重要な位置を占めるのである。

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