馬琴小説と史論

黄 智暉

本論文は、近世後期の小説家曲亭馬琴(明和四年~嘉永元年)の作品における史論の展開に、勧善懲悪の理念と易学的思考律がそれぞれ大きな役割を果たしていること、及び両者の交渉について考察したものである。
勧善懲悪については、善を勧めて悪を懲らしめるという、一義的な捉え方がなされることが多いが、馬琴にとって勧懲とは、歴史上の人物に褒貶を与えること、不遇な善人の鬱憤を晴らすこと、因果応報の思想と表裏になっていることなど、広い範囲での倫理観・道徳律を包摂している。これらの理念は、馬琴が読本の執筆においてその史論を展開させる時の土台にもなっている。第一部「勧善懲悪と史論」ではこうした馬琴の勧懲観を探るにあたって、まずその理論的根拠である春秋の筆法と明・清の戯曲観を取り上げ、馬琴読本における両者の影響を明らかにした。次に、馬琴が因果応報の理をその作品の歴史批判の基準としていると共に、さらに輪廻転生の設定を導入することによって自らの史論を構築していることについて述べた。また、読本だけでなく、合巻という比較的通俗志向のジャンルの執筆においても、ほぼ同様な手法が用いられていることを確認し、「史論」を強く意識する馬琴の執筆態度を浮き彫りにした。詳しくは以下のとおりである。
第一章「馬琴読本における春秋の筆法」では、馬琴小説における勧善懲悪の理念が、『春秋左氏伝』のそれに基づくところが多いことを指摘した。「春秋誅心」という史書さながらの筆法を馬琴が掲げているのは、白話小説『女仙外史』に示唆を受けたためであるが、同書を粉本とした『開(かい)巻(かん)驚(きよう)奇(き)侠(きよう)客(かく)伝(でん)』では、乱臣賊子の意図を暴くことをはじめ、文字の取捨選択によって人物批判を行うことや、悪人の破滅に天の摂理を見出すことなど、春秋の筆法の受容が顕著である。さらに馬琴は『南(なん)総(さう)里(さと)見(み)八(はつ)犬(けん)伝(でん)』における春秋の筆法を自ら例を挙げて解き明かしており、『女仙外史』以上に『春秋』を強く意識していると言える。
第二章「馬琴読本における「雪恨」の理念」では、不運な善人に同情を寄せ、小説の中でその鬱憤を晴らさせるという、『椿(ちん)説(せつ)弓(ゆみ)張(はり)月(づき)』をはじめとする馬琴の史伝物読本の創作方法を取り上げ、その背後に中国の戯曲観、特に清の李笠翁によって理論化される勧善懲悪的な戯曲観、及び毛声山によって説かれた「雪恨」の理念による影響があることを指摘した。史実において不遇であった英雄たちを、正史の記述に多少合わなくとも、馬琴は歴史文献を再操作・再解釈することによって可能な限り活躍させ、救済を与えている。もちろん、中国の戯曲論に接してはじめて恨みを雪ぐような書き方をした、というわけではないが、こうした具体的な勧懲観・方法論を掲げることによって、馬琴は自らの読本を稗史小説のあるべき姿として自負するに至ったのである。
第三章「馬琴読本における因果律の機能」では、勧善懲悪の文学観と共に馬琴読本の根底に流れる因果応報の思想について考察した。特に『新(しん)累(かさね)解(げ)脱(だつ)物(もの)語(がたり)』『美(み)濃(の)旧(ふる)衣(ぎぬ)八(はち)丈(じよう)綺(き)談(だん)』において確立された因果応報と輪廻転生の基本構造が、後に『南総里見八犬伝』や『開巻驚奇侠客伝』などの史伝物読本における、作者の史論の展開に用いられていることを指摘した。輪廻転生の設定を導入し、前世と今生の出来事に厳密な対応関係を持たせることによって、一糸の乱れもない因果の図式を浮き彫りにしていると同時に、馬琴は歴史上の事件、ことに複数の戦乱に共通点を見出し、両者を結び付けることによって、彼なりの史観を提示している。また、善人の不幸も悪人の跋扈も宿世の応報として解釈することによって、現世、ひいては史実による制限をなくし、作者が理想とする世界を実現することができるのである。
第四章「『金毘羅船利生纜』の翻案方法」では、明の白話小説『西遊記』の忠実な翻案作である馬琴最初の長編合巻『金(こん)毘(ぴ)羅(ら)船(ぶね)利(り)生(しようの)纜(ともづな)』を取り上げた。本作は第八編で刊行が中断し、原話の三蔵法師に当たる浄蔵法師が天竺へと旅立った後の部分(第四編~第八編)はほぼ原話通りの展開となっているのに対し、第二編と第三編に描かれる、浄蔵の生い立ちや延喜帝(醍醐天皇)の地獄めぐりなどの話では原話を離れたり書き加えたりしている。特に原話の影が薄い、浄蔵とその父三善清行の物語が細かく述べられており、また『菅家瑞応録』をはじめとする天神縁起の文献にもとづく設定も多く見られる。馬琴はこれらのことを描くことによって、歴史小説としての性格が目立たない、原話の『西遊記』と区別を付けようとしているのである。また、一部の文献において不当に記述されている人物の、あるべき姿を馬琴は物語の中で提示しているが、これは、作者の史観の表明であると共に、史実において不遇であった者を小説の中で活躍させるという、「雪恨」の創作理念にも通じている。小説を執筆するにあたって「史論」を強く意識している表れであろう。
和漢の史書に必ず『易経』や五行生剋の原理に関する記述があるのと同じように、馬琴の作品にも易学の原理に基づく設定が数多く見られる。第二部「易学と史論」では易学的趣向の駆使が特に目立つ作品を取り上げ、これらの趣向が史論の展開においてどのような役割を果たしているかについて考察した。その際、馬琴との間に影響関係が認められる同時期の読本作者の作品との比較も行い、さらに読本の執筆において易学的趣向を多用することと、その実生活での経験との関連をも探った。最後に馬琴の作品における勧善懲悪と易学的思考律との交渉に注目し、そこに彼の史論の達成を見た。具体的には以下のとおりである。
第五章「馬琴読本における易学的趣向」では、多くの登場人物に五行の属性が与えられている『美濃旧衣八丈綺談』や、『易経』「水火既済」の卦が物語全体の構成に関わる『近(きん)世(せ)説(せつ)美(び)少(しよう)年(ねん)録(ろく)』などの作品を取り上げた。特に後者に関しては、物事が頂点に達すると衰えはじめることを意味する水火既済の卦象は、南朝の残党菊池氏を討伐した大内家がやがて没落することの前兆となっており、さらに毛利元就と陶晴賢の誕生、さらにその対立と勝敗をも予告している。馬琴が一貫して強い関心を持つ南北朝の対立、及び厳島合戦の結果を念頭に置いた趣向立てであり、易学の原理によって歴史を解釈しているのである。
第六章「馬琴読本と五徳終始説」では、五行生剋の原理に因んで南朝と北朝をそれぞれ火徳と水徳に配し、さらに輪廻転生の設定によって南北朝の対立を壬申の乱に関連付けた『開巻驚奇侠客伝』に、馬琴の易学的史観の達成点を見た。早くから馬琴読本の趣向立てに用いられ、『墨(すみ)田(だ)川(がわ)梅(ばい)柳(りゆう)新(しん)書(しよ)』などの前期作の段階では単に刀剣などの器物を特徴付けるためのものに過ぎない五行生剋の原理であるが、次第に登場人物の属性を規定するようになり、さらに『開巻驚奇侠客伝』においては五徳終始説に基づいて王朝の対立及び交替を表わすに至ったのである。一方、勧懲の基準で為政者の落ち度、例えば後醍醐天皇の機変を取り上げて批判し、その境遇に因果の理を見出す一方、偶然と思われる事象を五行生剋の原理によって解釈して必然性を持たせる、という歴史を読む方法を馬琴は多用しており、五行の原理は小説世界の運行を司る法則となっているのである。
第七章「馬琴読本における予兆・卜占」では、同時期の読本作者との比較を通して、特に予兆・卜占の描写において互いに影響関係が見られることを手掛かりに、歴史小説における戦乱の予兆としての怪異現象の意味合いについて考察した。馬琴の『松(しよう)染(せん)情(じよう)史(し)秋(あきの)七(なな)草(くさ)』『開巻驚奇侠客伝』と、京伝の『忠(ちゆう)臣(しん)水(すい)滸(こ)伝(でん)』『双(そう)蝶(ちよう)記(き)』との間には度重なる趣向の受け渡しが見られるが、京伝の作品では演劇に多い義理人情に力点が置かれるあまり、歴史小説の世界を支える政治論の地盤が揺れ、易学的趣向もその理論に結び付かず、その場限りのものとなる。それに対して馬琴の場合では、趣向としては京伝を含む先行の小説からの借用があるものの、論理としては政治的倫理の是正にまで及ぶ、史論さながらの小説観に則っており、予兆・卜占の記述は易学的に解釈され、事態の発展に必然性を与えるものとして機能しているのである。また、執筆時期や時代設定など『松染情史秋七草』と共通点の多い振鷺亭主人の『阥(おん)阦(よう)妹(いも)背(せ)山(やま)』では、馬琴と同じく南北朝の対立を易学的に解釈しているが、正閏や大義名分の基準においては正反対の立場にある。後に『開巻驚奇侠客伝』にはこうした振鷺亭の史観に対する批判と思われる記述が見られ、読本の創作において史論を重要視する馬琴の執筆態度が改めて確認され得たのである。
第八章「馬琴の吉凶観」では、一子宗伯の病死をきっかけに馬琴の吉凶観に変化が見られることを指摘した。宗伯の追悼記『後の為乃記』において馬琴は易や五行の原理によって宗伯の死に至る滝沢家の一連の不幸の必然性を見出そうとしている。また、文政・天保期における『協紀弁方』『通徳類情』などの占いの書の繙読、及び『迎福南鍼録』という方位選択の手引書の著述計画など、長く続く宗伯の難病を治そうと、馬琴は卜占に多大な関心を寄せており、『開巻驚奇侠客伝』をはじめとする馬琴読本にも、こうした卜占への強い関心が反映されている。彼はもとより易学的趣味の持ち主であるが、宗伯の死を境に、馬琴は易や五行をあくまでも客観的に論じる立場から、やがて人の運命を支配する原理と実感するに至ったのである。
最後の第九章「馬琴読本における変易論と勧善懲悪の交渉」では、馬琴の史論の展開に勧善懲悪と変易論がそれぞれ重要な役割を果たしているという、第八章までの主旨をふまえ、両者の交渉を強く意識する馬琴の理論的根拠を、『易経』の積善余慶・積悪余殃論に求めた。彼は登場人物の運命について述べる時、しばしば易卦を掲げてその幸不幸に法則性があることを示しており、また五行生剋の原理が発動する理由として、必ず人物の善悪や得失などの状況をあらかじめ設定している。勧懲の理念と変易の思想はそれぞれ別の次元で作用しているのでなく、複数の場面にわたって互いに関わり合っているのである。
道徳批判の次元に属する勧善懲悪と、小説世界の宇宙論ともいうべき変易論とを取り合わせるのは、手法としては、因果応報と五行生剋を対と見なしている馬琴慣用の筆法と同様なものであるが、彼が歴史上の人物や事件を述べるにあたってしばしば変易の思想を援用するのは、『春秋』に倣って勧善懲悪を説くのと同じように、史書にも易学的な記述が多く見られることを意識しているためと思われる。ここに「述史」、すなわち歴史を述べることに対する馬琴の自負がうかがわれよう。

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