瞑想意識の集中と弛緩─ロンチェンパ著『大究竟禅定安息論』の研究─

津曲 真一

本論文は14世紀に活躍したチベット仏教・古密呪派の代表的思想家であるロンチェンパの著作『大究竟禅定安息論』(以下『禅定安息論』)の読解を通じ,大究竟思想の実践論における瞑想意識の変容過程について一つの解釈を試みるものである。ロンチェンパは,サキャ派の大学者・サキャ・パンディタ,ゲルク派の開祖・ツォンカパと並んで,チベット仏教の三文殊の一人に数えられている学者・成就者であり,特に古密呪派が最奥義とする「大究竟」〔rdzogspachenpo〕思想の教理と実践を体系化することによって,同派の発展・存続に多大な貢献を果たした人物とされている。以下,本論における筆者の問題関心と要旨を述べることにしたい。
本論は第一に,ロンチェンパという人物が,古密呪派が継承する大究竟思想に基づき,主としてその実践論的側面について論述した『禅定安息論』という一書物についての研究である。ロンチェンパの著作に焦点を当てた研究,また古密呪派の宗教的実践と宗教思想の関係について総合的な考察を行った研究は,我が国においては現在のところ皆無である。それゆえ筆者は,本論が研究資料として掲げる『禅定安息論』を正確に読解し,その内容を吟味・整理して提示すること自体が,チベット宗教思想研究おける一定の意義を有するものであると考える。しかし本論は,こうした意義を有する一方で,主として以下の二つの視点に基づいて考察を行った。
第一の視点は,大究竟思想の真理観と実践論が如何なる関係にあるかということである。あらゆる宗教的実践は,自覚的なものであれ,無自覚的なものであれ,その実践を通じて実現が期待される何らかの宗教的価値を前提する。この場合,宗教的価値が意味するところは,宗教者個人,また宗教伝統によって異なるが,多くの伝統宗教においては,その究極的な価値は,当該の宗教伝統が独自に継承する「真理」観と密接・不可分な関係にある。真理観と宗教的実践の関係について明らかにすることは,宗教学に課せられた極めて重要な課題の一つである。このような観点から,本論の視点は,先ず,ロンチェンパが著した『禅定安息論』において,大究竟思想における真理観と宗教的実践が,如何なる関係によって結ばれているかということに向けられている。そして第二の視点は,大究竟思想において,瞑想を実践する行者の意識が如何なる変容過程を経て「真理」に到ると考えられているかということに向けられている。この問題は,宗教体験の理解という,優れて宗教学的な問題系列の内に置かれている。この視点に基づく論考の中には,『禅定安息論』において,宗教的実践の終局に実現するとされる究極的体験が如何に表現されているかという問題関心も含まれている。
次に本論の構成と各章の要旨について述べる。本論は序文とあとがきをのぞき,以下の7章から構成されている。
序章
第一章 生涯の物語
第二章 真理位相の基本構造
第三章 実践と環境
第四章 人間論
第五章 実践論の諸相
第六章 集中と弛緩
まず序章においては,本論に入る準備作業として,ロンチェンパが誕生する14世紀までの時代の流れを展望し,チベット宗教史における古密呪派の布置についての考察(Ⅰ.チベット仏教における古密呪派の布置),古密呪派の教義体系と聖典分類法(Ⅱ.古密呪派の教判と聖典),古密呪派が主張する大究竟思想の相伝系譜(Ⅲ.古密呪派における大究竟思想の系譜),ロンチェンパの著作と彼の異名(Ⅳ.著作と異名)について概観した。特にⅠにおいては,大究竟思想を独自に継承するポン教の伝統についても一瞥した。そして本章の最後に,ロンチェンパに関する現在までの国内外の研究状況と,本論で使用した資料について示した(Ⅴ.研究状況)。
第一章「生涯の物語」においては,更にロンチェンパの生涯について記した4つの伝記(『ドゥジョム宗教史』・『利見』・『三信正路』・『歴史宝光鬘』)を中心資料として,彼の生涯と事績を概観した。
第二章「真理位相の基本構造」においては,大究竟思想における真理観について考察を行った。本論が研究対象とする『禅定安息論』は,宗教的実践に焦点が当てられた書物であるが故に,大究竟思想における真理観についての叙述が省略されている。そこで本章では,ロンチェンパの著作のうち,真理観についての纏まった記述が見られる『真如宝蔵』・『語義宝蔵』を取り上げ,大究竟思想における真理観を四つの側面から述べた「四義」と,真理を本質・本性・慈悲という三つの観点から叙述する「真理位相の三位」という二つの側面について考察を行った。
これに続く第三章から第五章までは,『禅定安息論』の第一章から第三章までの各章の主題を個別に取り上げ,それぞれについて考察を行った。先ず,第三章「実践と環境」においては,『禅定安息論』第一章に叙述される実践環境論について考察を行った。そこでは,環境や季節への適応,また特定の瞑想実践を実修する際に好適とされる家屋の構造など,実践環境の選定に関するロンチェンパの見解が述べられており,そこには人間の内面的体験と外的環境の特別な関係性が見出される。なお同書に説かれる実践環境論は,人間のあり方について論じた第二章,瞑想実践の技法について述べた第三章に先立って説かれるものであり,このことからロンチェンパが実践環境の選定を実践論の基礎を成すものとして重視していたことが窺える。
第四章「人間論」においては,『禅定安息論』第二章に説かれる人間論について考察を行った。そこでは,肉体が滅びても死を超えて次の世へと持続する輪廻主体としての「補特伽羅」を主題とし,それが人間としての生存を享受することの難しさや,宗教的実践を実修する人間のあるべきすがたが,暇満思想・器の最上・師僧帰依・戒律の遵守という四つの観点から述べられている。
第五章「実践論の諸相」では,『禅定安息論』第三章に説かれる瞑想実践論について考察を行った。同書の第三章は,ロンチェンパ自身が行じたとされる諸実践の具体的技法とその要点を纏めたものであり,『禅定安息論』の核心部分と言えるものである。同書の実践論は,準備的実践としての「前行」,中核的実践としての「正行」,そして,正行を実践する過程で生じる様々な障碍や誤った体験の修正を行い,宗教体験の純化とさらなる発展を目指す「後の次第」という三つの部分から成っている。このうち正行と後の次第においては,インド後期密教の精神生理学説に基づく三要素(精滴・風・脈管)が各実践の中核を成しており,これらの要素への取り組みが,楽・明・無思考という体験の獲得と結びつけられている。このうち,感覚的体験を主とする楽の体験と,視覚的体験を主とする明の体験は,個別の実践を通じて実現される別個の体験とされながらも,その最終的な局面においては,認識論的体験を主とする無分別の体験に包摂されることが求められている。
そして第六章「集中と弛緩」では,前章までの考察によって得た知見に基づき,大究竟思想における真理観と宗教的実践が,如何なる関係によって結ばれているかということ,また宗教的実践の果てに実現するとされる究極的体験が如何に表現されているかという問題について考察をおこなった。『禅定安息論』の実践論では,極度の精神集中を要する創造的瞑想が実修された後に,精神集中が自然に焦点を失うことによって,瞑想意識の弛緩的状態への移行が実現される。こうした瞑想意識の弛緩的状態において,真理位相の直截体験である「面授」が暫時的に体験され,その後に継続される実践を通じて「面授」の体験を純化・持続化させることで,究極的な境位としての「領悟」が成就される。「領悟」へと到る過程は「意の判別」・「分別」・「縁じること」・「慧」という心的な働きの放棄と断滅の道であり,「所取・能取」という二元論的認識から離れた境位の実現へと到る道程であるが,しかしその究極位においては,「顕現」が消滅することなく,しかも「顕現」に干渉することがないという,新たな「純粋主体性」が実現される。この意味において大究竟思想における究極的体験位相は,「主体」と「対象」の新たな関係性が実現される境位であると見なすことができる。
古密呪派における大究竟思想は,仏教思想との理論的齟齬という観点から,様々な批判を受けた歴史を持つ。古密呪派に向けられたチベット仏教諸派の批判を代表するものに,大究竟思想における真理観と如来蔵思想との近似性,また実践論における頓悟性が挙げられる。しかし『禅定安息論』をはじめ,本論で取り扱ったロンチェンパの著作においては,
こうした批判に応えるかたちで様々な理論的補正が為されている。このようにロンチェンパによる大究竟思想の体系化は,古密呪派の教理の「仏教化」の一過程としても捉えることができるものである。

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