視覚認知における非注意対象に関する実験心理学的研究

日比 優子

選択的注意の課題では、被験者は、標的対象とその他の対象(非標的対象)を区別する視覚属性(標的定義属性)に基づいて標的対象を選択し、標的対象中のあらかじめ課題として決められた属性(課題関連属性)に対して、あらかじめ決められた反応を実行する。この時、被験者には実験者によって任意に決められる課題関連属性と反応の間の対応関係(刺激-反応マッピング)を実験中は保持しておくことが求められる。本論文の目的は、このような選択的注意課題を遂行している際に、非標的対象中の課題に関連しない属性(課題非関連属性)が、標的対象に対する反応にどのように影響するのかを実験的に検討することであった。先行研究では、選択的注意課題の遂行時に、標的対象の課題関連属性と反応マッピングに、非標的対象の課題関連属性と反応のマッピングが影響すること(エリクセン効果)が知られている。また、標的対象の課題関連属性と反応のマッピングに、標的対象の課題非関連属性と反応の間の長期間の学習によって形成されたリンクが影響すること(反応適合効果)が知られている。本論文では、特にこれまで検討されてこなかった非標的対象の課題非関連属性の処理に注目した。そして、反応とのリンクを自動的に活性化させる課題非関連属性を用いることによって、非標的対象の課題非関連属性への影響を調べた。本論文では、6つの実験によって、主に次の2点を詳細に検討した。第1点は、非標的対象の課題非関連属性は標的対象の選択に影響するか否かであり、第2点は、非標的対象の課題非関連属性が標的対象の選択に影響するならば、どのような要因が関与するかであった。これらから、標的対象や非標的対象の課題関属性と反応のマッピングの活性化や、または標的対象や非標的対象の課題非関連属性と反応とのリンクの活性化が、課題によって求められた反応の生成というゴール状態に向けて、競合しながら統合されていくという枠組みのもとで、選択的注意の機能の理解を試みた。
第2章(実験1、2、3)では、視覚探索課題を用いて、非標的対象の課題非関連属性が、標的対象への反応に影響を及ぼすか否かを調べることを目的とした。さらに、非標的対象の課題非関連属性が標的対象の選択に影響する条件について検討した。被験者の課題は、複数の対象が提示されている標的画面から1つだけ色の異なる標的対象を探し、標的対象の色(赤か緑か)に対応したキーを押すことであった。そこで、非標的対象の課題非関連属性である矢印形状の向きと標的対象の課題関連属性に対する反応キーの位置の間の方向反応適合性を調べた。矢印形状の向きと反応キーの位置が適合している時、適合していない時に比べて反応時間が短くなる効果を非標的反応適合効果と言う。実験1では、標的対象が緑の場合には非標的対象は必ず赤(またはその逆の組み合わせ)であった。その結果、非標的反応適合効果が生起した。ことから、非標的対象の課題非関連属性は、標的対象の選択に影響することが示された。さらに、この効果は、非標的対象の課題関連次元が反応に割り当てられていない灰色の時には消失したことから(実験2)、課題関連属性と反応のマッピングが標的対象と非標的対象の間で競合する時にのみ、非標的反応適合効果が生起することが示された。この結果は、課題関連属性と反応のマッピングにおける標的対象と非標的対象の間の競合が、非標的対象の課題非関連属性と反応のリンクの活性化に影響することを示唆している。さらに、実験3では、標的対象、あるいは非標的対象のいずれかを矢印ではなくバー形状にしても、非標的反応適合効果はみとめられたことから、標的対象と非標的対象の形状という課題非関連属性と反応リンクの間の競合は非標的反応適合効果には影響しないことが示された。
第3章(実験4、5、6)では、非標的対象の課題非関連属性と反応の長期的な学習により形成された複数のリンク間の競合が、標的対象の選択に与える影響を検討した。そのために、先行研究において脳損傷患者で報告された複数のリンク間の競合の解消に関する障害と思われる効果(反応阻害効果)と類似した効果が健常成人においても観察されるかどうかを調べた。エリクセン効果を指標として、標的対象と非標的対象の課題関連属性と反応マッピング間の競合が、それらに対応した刺激-反応リンクの活性化やその競合によってどのように影響されるかを検討した。反応阻害効果には、長期的に学習された2つの刺激-反応リンクの間の競合が関与しているため、本章の実験でも、これらに相当する2つのリンクを設定した。まず、標的対象および非標的対象の形状として矢印を用いた。矢印方向に対する反応は長期的に学習されているため、対応した反応を喚起させると考えられる。もう1つのリンクとして、矢印を提示する空間位置を設定した。空間位置も長期的な学習により、位置に対応した反応を喚起させると考えられる。実験4では、被験者が事前に標的定義属性である空間的な位置に基づいて注意を焦点化し、標的対象の課題関連形状と反応マッピングの選択を行う課題を用いた。その結果、エリクセン効果と位置反応適合性の交互作用がみられ、標的位置が反応と適合する時にのみエリクセン効果が生起した。これは、標的対象と非標的対象の、課題関連属性と反応のマッピング間の競合が、課題非関連位置と反応のリンクの活性化の強度によって変化したことを示している。実験5では、課題切り替え事態を用いて刺激-反応リンクを弱める操作をしたところ、エリクセン効果と位置反応適合性の交互作用は消失した。このことは、この現象に課題非関連位置と反応のリンクの活性化の強度が重要な役割を担っていることを示している。さらに、エリクセン効果と位置反応適合性の交互作用は、写真画像のコーヒーカップを用いた実験6Bではみられたが、線画のコーヒーカップを用いた実験6Aではみられなかった。刺激-反応リンクの強度は、提示される対象の形状特性、すなわち、刺激のリアリティによっても影響されることから、刺激-反応リンクの強度が強い写真画像においてのみ(実験6B)、実験4と同様に、エリクセン効果と位置反応適合性の交互作用は生起したと考えられた。これら一連の実験結果は、非標的対象における課題関連属性または課題非関連属性と反応のリンクの強度が、標的対象の選択に影響することを示している。位置反応適合性において標的位置と反応が適合する条件では反応は標的位置と強くリンクしたのに対し、不適合条件では標的位置と反応のリンクは弱くなり、逆に非標的位置と反応のリンクの強度が強くなったと考えられた。さらに、適合条件のみで生じたエリクセン効果には、長期的に学習された対象の形状特性と反応のリンクも影響した。非標的位置と反応のリンクが強くなった時、標的位置と反応の間のリンクは、非標的位置と反応の間のリンクによって置き換えられる。このことは、標的対象の選択において、刺激と反応のリンクの強度が、非標的対象と非標的対象の反応マッピングの間の競合に影響したことを示唆している。
本論文の6つの実験の結果から、非標的対象の課題非関連属性は標的対象の選択に影響することが示された。さらに、課題関連特徴と反応のマッピングにおける標的対象と非標的対象の間の競合が生起する時にのみ、非標的対象の課題非関連属性と反応のリンクが活性化することによって、標的対象の選択に影響した。また、非標的対象の課題非関連属性は反応とのリンクの強度が十分に強い時に、課題関連属性と反応のマッピングにおける標的対象と非標的対象の間の競合を生起させ、標的対象の選択に影響した。これは、先行研究で示された課題関連属性間の競合(エリクセン効果)や標的対象内の課題関連属性と課題非関連属性間の競合(反応適合効果)とは性質の異なる競合過程があることを示している。つまり、複数の刺激-反応マッピングや刺激-反応リンクが、相互作用しながら競合を解消していく過程を仮定する必要があることを示している。これらの結果を説明するために、異なる属性モジュール間の刺激と反応の対応づけが、課題要求からのトップダウンによって調節されるようなモデルを提案した。そこでは、注意の選択機能の過程を、刺激-反応マッピングや刺激-反応リンクが運動出力に向けて競合する過程と考えた。これまでの研究で報告されているエリクセン効果や反応位置適合効果なども、このモデルの上で統一的に解釈できる。したがって、これまでの知見と本論文の結果を説明するための選択的注意の機能とは、課題状況で活性化しうる、あらゆる刺激-反応マッピングまたは刺激-反応リンクの間の競合が、課題関連属性と反応のマッピングへのトップダウンバイアスの元に解消され、最適な反応マッピングが選択されていく過程であると推察される。

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