ハルトマンの『グレゴーリウス』と『パルチヴァール』は、第二の冒険行が語られないという点でアルトゥスロマーンの定型と隔たっている。前者では孤岩上での17年の贖罪であるが、具体的内容は語られない。後者ではガーヴァーンについての物語が主人公のそれを上回る分量で語られる。第二の冒険行が過誤および罪過の清算と主人公の段階的成長という意味を担うアルトゥスロマーンの原則から見て、この逸脱は際立っている。
グレゴーリウスの「17年の贖罪」という記号は超人的行為を意味する。それに対してパルチヴァールの第二の冒険行に与えられる、「繰り返される戦い」という記号が意味するのは、行為が変わらないことである。構造上この位置を実質的に担うガーヴァーン物語では、女性が新鮮で大きな役割を担う。特にその結末では、女性が宮廷社会の危機を回避しその隆盛を回復させる。この論考は、両作品における主人公の構想を比較し(第1部・第1~4章)、また女性登場人物の役割を考察する(第2部・第5~8章)ことで、ガーヴァーン物語の持つ構造的意義と女性に与えられた役割を明らかにする。
第1~2章では二人の主人公の構想の対照性を明らかにするため、彼らの罪過を定義・比較する。第1章では『グレゴーリウス』プロローグの言説と物語の具体的内容の関係を考察する。このプロローグは、自分の行為によって罪を得た罪人に贖罪を勧め、神の恩寵に対する絶望(zwîvel)を戒める。一方グレゴーリウスは両親の罪を負った出生から、生来悪魔の力に呪縛された者とされる。このことで彼は母親との近親相姦の罪を犯すが、この罪過は神意の認識能力の欠如という、つまるところ万人に妥当する神との断絶に起因する。彼の罪過は個人的でなく代表的なものである。
第2章では、『パルチヴァール』の第一の冒険行の結末に位置する、クンドリーエによる弾劾の場面を扱う。この場面でパルチヴァールは神に怒りを挙げ、同時にそのzwîvelが顕わになる。このzwîvelは、智慧を持たない無垢を享受していた堕罪以前のアダムを連想させる、幼いパルチヴァールの幼稚な愚かさ(tumpheit)に端を発する。自分の血に目覚めて騎士になる時、彼に誠のこころ(triuwe)を抱く母親を悲しみのあまり死なせる結果となることは、彼の堕罪の象徴である。戦いを旨とした夫の戦死という辛酸を嘗め、騎士社会を避けるために森へ隠遁した母ヘルツェロイデは、その挙句、そこへと出て行く息子をめぐる悲嘆によって死ぬことで、最終的にこの社会の犠牲となる。また、彼の第二の罪である理不尽なイテール殺しは、宮廷女性たちの悲嘆を引き起こす。すなわちこの作品には騎士社会とその犠牲となり悲嘆に沈む女性という構図がある。女性たちもこの社会を担い暴力への責任を免れないが、無力ゆえにこの暴力の被害者となる女性たちはこの問題に対する葛藤を整理されぬままに抱えており、クンドリーエはそれを象徴する。彼女の弾劾はアルトゥスにも向けられている。彼はイテール殺害を黙許しており、実質的に兄弟殺しに近い罪を犯しているからである。この結果宮廷社会は衰退し、その勢威の回復はガーヴァーン物語の結末を俟たなければならない。パルチヴァールの罪過は彼個人だけのものではなく騎士社会のあり方に起因する罪を代表し、それが彼のzwîvelの背景にある。このように両作品の双方で、罪過は個人的でない代表的なものである。
第3章ではパルチヴァールの父親ガハムレトの物語を扱い、上記の問題が既に扱われていることを示す。第4章では第9巻のトレフリツェントの庵の場面と、第16巻の「トレフリツェントの嘘の告白」を扱い、主人公の罪過およびzwîvelについて考究を進める。主人公はzwîvelから逃れえない。彼がトレフリツェントと出会う意味は、zwîvelの背景を彼自身が自覚することにある。トレフリツェントはパルチヴァールを初めて見る時、彼が腰に帯びるアンフォルタスの剣という手掛かりから、彼が聖杯の予告した騎士、そして自分の甥であることに気付いていたと解釈することが出来る。彼はこの認識に基づいて二つの役割を果たす。一つはzwîvelに陥るに至った原因を自覚させそれから脱させること、もう一つは、聖杯へ定められている彼にそれをめぐる知識を授け、「問いの怠り」の意味を悟らせることである。しかし主人公は仏語原典に見られるような回心をせず、平信徒の信仰を取り戻すに留まって、zwîvelから解放されない。第16巻の「嘘の告白」では、トレフリツェントの権威が相対化されるとともに、イテール殺しの罪責が存在し続けていることも暗示され、パルチヴァールはカインとより強く結び付けられる。聖杯王召命は、グレゴーリウスの教皇召命がその罪の浄化の結果であることに疑いを差し挟む余地のないこととは対照的に問題視されている。
第2部では、ガーヴァーン物語の女性の登場人物たちが、物語の中における騎士社会の進歩をもたらす主体的な役割を果たすことを示す。第5章は序章に当たり、『グレゴーリウス』の唯一の主要な女性登場人物である母親と主人公を比較して、『パルチヴァール』の女性たちと対照的なその役割を明らかにする。両者は近親相姦の罪を分け合うとはいえ、主人公はそれを不条理な罪として、母親は自らの責めによる当然の罪として負う。グレゴーリウスの行程は、一般的な人間を代表する母親の、「原罪を負っての生誕→罪→悔悟→贖罪→救済」という各々の段階を先鋭化したもので、それの巨大な対応物となっている。普通の罪人を代表する母親は主人公の影のごとき受動的な存在で、対比によって主人公の巨人性が際立つ。
第6章では第7巻を扱う。ガーヴァーンは第10~14巻で、暴力を原理とする騎士社会の病いに代表される力を女性もしくはミンネの力によって治療するという医師の役割を果たすが、第7巻はその意味でガーヴァーン物語後半部の雛形である。少女オビロートのメルヤンツ王に対する命令は、女性の力によって社会の病いを治療するという来るべきオルゲルーゼ物語の主題をユーモラスに先取りする。
第7章では第8巻を、この巻で用いられている語りの技法、登場人物たちの行為の動機と背景を解明し、この巻の女性の登場人物であるアンチコニーエを観察する。一見整合性を欠くように見える語り方の背景には、登場人物たちの置かれた複雑な政治的状況を踏まえ、複数の立場から出来事を描くという目的がある。アンチコニーエはガーヴァーンとの奔放な愛と、男に勝る体格や武勇によって宮廷女性の規格を外れた人物であるが、同時に政治的能力と実力を兼ね備えた彼女は、宮廷女性にふさわしい自己を演出することもでき、それによってガーヴァーンを窮地から救う。そのような個性としたたかさによって、アンチコニーエはオルゲルーゼを準備する人物である。
第8章で論じるガーヴァーン物語後半部は二部に分けられる。ガーヴァーンの恋人となるオルゲルーゼと、魔法の城シャステル・マルヴェイレの人々は、騎士社会の暴力の連鎖に由来する憎悪と復讐、あるいは愛の不可能に呪縛された病者である。第1部ではオルゲルーゼの治療が行なわれ、またガーヴァーンが新しい主となったシャステル・マルヴェイレの救済が起こる。この小世界で達成されたミンネによる救済が、第2部でより大きな宮廷社会に拡大される。そこで中心を占めるのは、ミンネ・親族関係・敵対関係の矛盾に起因する4人の登場人物の間のジレンマで、これが解決される過程は、騎士社会の問題性によって衰微したアルトゥス社会のミンネによる救済と見なし得る。
また、毒創に苦しむ聖杯王アンフォルタスは、ガーヴァーン物語完結後再びパルチヴァールの訪問を受けて救済される。この救済は、ガーヴァーン物語で達成された救済行為を前提とする。ミンネを司る器官を傷つけられたことは、オルゲルーゼへのミンネ奉仕という職務違反の罰である。結果的に彼はクリンショルの悪を促進しシャステル・マルヴェイレの建設にも関与した。受けた罰も、城の人々が呪縛されている魔法と同質である。それゆえ、憎悪と復讐の支配が解消した暁に、彼も癒されることが出来るのである。
第14巻の結末ではミンネによって憎悪と復讐が一掃される。しかしこの救済劇を主導するのは女性たちである。ミンネの憎悪に対する勝利を生み出すという点で、彼女たちは二人の主人公を上回る大きな存在意義を獲得し、いわば影の主人公の役割を果たす。
このようにアンフォルタスの救済とシャステル・マルヴェイレのそれの緊密な関連に注目することで、ガーヴァーン物語の構造的意義、そのパルチヴァール物語との密接な相補的関係を示すと、パルチヴァールの第一の聖杯城訪問が失敗する意味も明らかになる(結論部)。これは彼の救済と関連付けて説明することができる。パルチヴァールはイテールを殺害し武具を奪って騎士となったことで、騎士社会の問題性を代表する罪を負ったが、一度目の訪問の際は、この罪を負ったままであり、問いかけの機が熟していなかった。そして最後の戦いとなるフェイレフィースとの一騎打ちの際、知らずにあわや兄殺しの罪を犯そうとする刹那、イテールから奪った剣が折れる。この決定的な恩寵によって、騎士となって以来絶えず負ってきた、暴力を原理とする騎士社会を代表する罪に赦しが与えられた。それによってアンフォルタスをいたわる問いかけをし聖杯王となる機が熟したのである。