長い間、北米の社会心理学者は、社会心理学的現象を文化を越えて普遍的なものとみなしてきた。近年の比較文化的研究は、文化によって異なった現象が存在することを明らかにしたが、それでも1990年代に行われた研究の多くでは、西洋的な心理過程が日本人を含むアジア人には存在しない、と単純に解釈されていた。こうした傾向は、北米の研究者が文化の本質的な違いを理解せずに、非西洋文化圏に住む人々の心理を強引に西洋的枠組みに当てはめたことに由来する。本来の比較文化的研究は、文化のどの側面が、個人内の特定の心理過程に影響を与えているかを理解し、それにより心理的現象の相違を解釈するべきである(Bond&Tedeschi,2001)、という提言はあまり支持されてこなかった。これは、たとえば、日本人と北米人の行動および認知傾向の相違は文化の相違によるものだ、と主張することは簡単であるが、その相違が具体的に文化のどの側面に影響されたのかを議論することは、日本文化をよく知らない北米の研究者には難しいことであったからである。
一方、最近では、素朴理論(laytheories,Kruglanski,1989)の一つである素朴な認識論(naïveepistemology)の違いによって、社会心理学的現象の文化差を明らかにしようとする試みが盛んになってきた。素朴な認識論とは「ふつうの個人が、日常生活の中で培ってきた知識を利用して、日常環境を理解する理論」のことである。つまり、人々は、毎日体験する日常的な生活環境や自然環境から蓄えられた情報にもとづき、独自の理論を構成し、その理論をもとに世の中の物事を判断し、他人の言動を理解するのである。この考え方をとれば、個人が囲まれている文化や環境によって「知識」の内容が変動するであろうことや、各文化にはそれぞれの文化に特有の素朴な認識論が存在するであろうことは容易に予測される。
とくに、東アジア文化圏の中国人、韓国人、日本人に広く普及している素朴な認識論は、素朴弁証論(naïvedialecticism)と名づけられている(Peng&Nisbett,1999)。ペンらによれば、この素朴弁証論は、古来中国の教えである儒教や仏教、道教的思考から派生しており、5つの原理(矛盾の原理、中庸の原理、総体の原理、共変の原理、変化の原理)を持つという。矛盾の原理とは、2つの相反する事柄の両方が正しいと考えることである。中庸の原理は、2つの相反する事柄の両方の意見を取り入れたり、その中間を新しい意見として取り入れたりする考え方である。総体の原理とは、個々の事象にはそれぞれの環境や状況があり、その環境から切り離して考える事は出来ないとする考え方である。共変の原理とは、全ての事柄は互いに何らかの関係を持っており、互いに影響しあっていると考えることである。そして、変化の原理とは、世の中は柔軟でいつも変化しているという考え方である。これは西洋哲学における弁証論として論じられてきたものとは異なっている。
日本では、素朴弁証論をとりあげた比較文化的研究の数は未だ少ない。特に、変化の原理の存在を証明した研究は皆無である。例えば、不動一定の法則を信じる傾向のある西洋人と変化の原理を信じる傾向のある東アジア人では、未来の予測をしたとき、予測する未来に相違が現れると考えられる。そこで、本研究では、未来予測の相違が対象文化の中で広く受け入れられている素朴な認識論とかかわっているかどうか、を検討するために3つの研究を行った。未来予測を研究対象にするにあたり、未来をより具体的に把握するために、時間の概念と事象の性質を軸とした。未来は、近いものと遠いものが存在するし、事象の性質として、快なものと不快なものが存在すると考えられるからである。
研究1では、素朴弁証論的自己尺度を用い、日米で素朴弁証論的自己観を持つ程度を測定した上で、未来予測可能性信念が日米間で異なるか、さらに、未来予測可能性信念と素朴弁証論的自己観得点に相関があるかどうかを検討した。これは未来の予測可能性に対する信念が、個人の素朴弁証論的思考により、どのように変動するかを調べるためであった。研究1の結果、日本人はアメリカ人に比べ、素朴弁証論的自己の記述に同意し、また未来予測可能性信念では、未来は不動一定ではないと信じる傾向が強いことがわかった。検討した2つの変数は負の相関を持ち、日本人もアメリカ人も素朴弁証論的自己観を強く持つ者ほど、未来は不動一定ではないと信じていた。なお、研究1で着目した未来予測可能性信念は、研究2、研究3では、媒介変数として使用し、文化的相違が未来予測信念の相違を媒介しているか否かの検討を行った。
研究2では、被験者間要因配置実験を行い、被験者に未来予測のための刺激として、ランダムに発生した快または不快な事象をシナリオとして読ませ、それとは無関連の事象が起こりそうなときに、その事象が快であるか、不快であるかを予測させた。さらに、そういった事象が実際に生起する頻度を推測させた。研究2では、1つの事象の直後に起こる全く関係のない事象を「短期の未来事象」と定義し、短期の未来予測が、実際に個人の未来予測可能性信念によって影響を受けているのかどうかを検証することを目的とした。研究2の結果、アメリカ人は日本人に比べ、快の事象経験後はより快の、不快の事象経験後はより不快の経験をすると予測する傾向が強いということがわかった。つまり、相対的に、日本人は、ある事象を体験した直後の事象の予測では、ある事象とは反対の性質をもつ事象が生起すると予測する傾向にある事がわかった。これは素朴弁証論の変化の原理の考え方と合致する。生起頻度についての回答は、アメリカ人は快の直後の快経験も、不快の直後の不快経験も、日本人の不快直後の不快経験同様、「まあ良く経験する」と回答したのに比べ、日本人は快直後の快経験は「あまり経験しない」と回答していた。また、未来予測可能性信念は、事象の直後の短期予測の文化差を媒介していることがわかった。
研究3では、被験者間および被験者内要因配置実験を行い、被験者にランダムに発生した3つの快または不快な事象がある一定期間(1日、1週間、1ヶ月)続いた事をシナリオとして読ませ、次に起こるであろう事象が、一定時間枠内(今夜、今週、今月)では快か、不快か、また一定時間枠後(明日、来週、来月)では、快か、不快かを予測させ、そういった事象が、実際に生起する頻度も推測させた。研究3では、この一連の事象の後に起こる全く関係のない事象を「長期の未来事象」と定義し、長期の未来の予測が、実際に個人の未来予測可能性信念によって影響を受けているのかどうか検証することを目的とした。研究3の結果、アメリカ人も日本人も一定時間枠内(今夜、今週、今月)では3つ続けて起こった快(または不快)経験は持続され、その後も同様の経験をするであろうと予測したが、日本人に比べアメリカ人の方がその傾向は大きかった。また、一定時間枠後(明日、来週、来月)では、アメリカ人は、どちらの条件でも快経験をするであろうと予測したのに対し、日本人は快経験後は不快を、不快経験後は快を経験すると予測した。つまり、日本人には、一定時間枠後の予測は、一連の事象とは反対の性質を持つ事象を予測する傾向があることがわかった。これは素朴弁証論の変化の原理の考え方と合致する。一連の快、または不快経験の生起頻度の推測では、日本人は快経験は不快経験のそれと比較してかなり低く予測したが、アメリカ人は同程度であると予測した。また、研究2同様、未来予測可能性信念は、一定時間枠内及び枠外の事象の予測の文化差を媒介していることがわかった。
以上の研究結果より、日本人はアメリカ人よりも素朴弁証論的自己観を強く持っているために変化の原理と一貫した信念をもち、それが未来予測の文化差を引き起こしたと考えられる。
本研究の貢献は、未来の予測が個人の帰属する文化の影響を多大に受けることを示し、社会心理学研究における文化の役割の重要性を指摘したことである。また、文化の差を単なる2つの大きな集団の間の差としてではなく、従来難しいとされてきた個人差で説明した点である。本研究では、2つの文化内における信念の相違によって個人の社会心理学的現象の相違を説明することにより、より具体的かつ詳細に文化差を説明することができたのである。また、良い事象の体験中にも悪い事象の可能性を予測する日本人の姿勢は、そういった姿勢をあまり持たないアメリカ人に、「心理的準備」の重要性を示唆し、それにより優れた心理的健康を維持できる可能性を示唆できると考えられる。さらに、これまでの主観的幸福感に関する社会心理学的研究では、現在の主観的幸福感のみを取り上げてきたが、本研究の結果は、将来を視野に入れての主観的幸福感の研究も重要であることを示している。