19世紀末~20世紀初東アジアにおける帝国主義と言論-『大韓毎日申報』を中心に-

朴 宣映

19世紀末~20世紀初の韓国では、独立を守るための運動が活発に展開され、なかでも新聞による愛国啓蒙運動は大きな反響をよんだ。『申報』は、その愛国啓蒙運動をリードし、日本帝国主義の韓国侵略に抵抗した代表的な民族主義的新聞すなわち民族紙と評価されてきた。ところが、その論調は必ずしも韓国の民族主義にもとづいていたとは見受けられないものが散見され、この新聞の性格は再考察を要するものとなっていた。本論文は、この問題が、『申報』をイギリスの非公式帝国主義と日本帝国主義との関係という文脈の中に位置付けてはじめて解くことのできるものと考え、『申報』の居留地新聞としての性格に光を当ててみた。その結果、『申報』は、イギリス人べセルの主管下に置かれていた時期にはイギリス非公式帝国主義の論理たる自由主義をもって展開していたことが分かった。それは日本の韓国に対する独占を諸列強による韓国の共同開発と共同管理(「均商」と「均占」)という原則から批判することであったともいえる。しかし、そのような論調も、日本による併合の可能性が高まっていった当時の韓国では、日本による独占的支配に反対する抵抗の論理として受けとめられたのである。
一般的には、外国人による居留地新聞と西洋の衝撃に反応する本土新聞とは対立関係にあった。ところが、韓国の場合には、開化の必要性と同時に高まった独立喪失の危機感が、日本以外の列強と開化知識人の合作新聞を生み出す土壌を形成していた。日本を韓国近代化のモデルと考えていた開化知識人たちにとって、日本の対韓意図を正確に看破し、それを批判することは容易なことではなかった。韓国の開化を進めつつ、なお日本の侵略に抗して独立を維持するためには、従来の儒教的観念を乗り越える新たな論理が求められていたのである。そこに現れたのが、英文版『申報』というイギリス系居留地新聞のリベラリズムであった。それは、開化と独立の矛盾的状況に立たされた開化知識人にとって、日本の植民地主義批判の論理として一時的援用されたのである。また、英文版『申報』の論調と開化知識人の思想的傾向には、共通する点も多い。韓国中立国化の構想や武力闘争に消極的な先実力養成主義など、『申報』関係者の初期思想は、英文版『申報』のリベラリズムが指し示す方向と概ね符合するような考え方なのである。
しかし、非公式帝国主義にもとづく前期『申報』の論調は、韓国の実質的な独立を擁護する論理ではなかった。この点こそが、本論文が明確にしようと努めた点であり、『申報』の性格が秘めている二重性の要である。前期『申報』における排日性は、‘韓国人のための韓国’という韓国の民族主義とは異質的なものであり、ある意味ではそれと背馳するものである。非公式帝国主義とは、イギリスなど欧米列強の利益のために、アジアの国々を事実上、政治的・経済的に無力な状態におくものにほかならないからである。従って、イギリス人社長兼編集者べセルの影響力が『申報』裁判をきっかけに衰え始めた後において、ようやく韓国民族主義の主張が打ち出されるようになったことは、自然な変化であったといえよう。それは『申報』における‘抗日’の性格が根本的変化を遂げたことを意味するものである。
後期『申報』における民族主義的論調の特徴は、韓国の運命を韓国人を主体として論じていること、そして韓国の独立がすべてに先行する目標と位置付けられたことである。異民族支配を徹底的に拒否し、独立の方法としての武装闘争が肯定されるようになった。その背景には、主として新民会と申采浩の存在が挙げられる。愛国啓蒙言論運動が標榜する実力養成主義、すなわち‘実力のみ富強になれば国家の独立も成し遂げられる’とする主張に反対し、富強とは独立に必要な要素ではあっても、決してその全部ではないため、実力を養成すると同時に、国家主義的精神を奮発し、急進と緩進すなわち武力抗争と実力養成を兼行すべきだとする‘兼実力主義’が、『申報』において明確に表明されるようになったのは、新民会左派と申采浩の思想的影響なのである。
以上の考察から『申報』をめぐる従来のいくつかの通説は修正されるべきであることがわかる。第一に、『申報』の論調を主導したのは全面的に韓国人関係者であったというもの、第二に、『申報』は始終民族主義の論調で一貫していたとするもの、第三に、新民会発足後まもなく『申報』は新民会の機関紙と化したとするもの、第四に、『申報』はその徹底した抗日論調や義兵運動への関与のために裁判にかけられ、弾圧されたというものである。韓国側の思想的変化の契機が1907年初からつくられつつあったにもかかわらず、1次『申報』裁判ののちに、ようやく民族主義的論調が少しずつ紙面に表れていることから、この新聞がもった内的制約(イギリス側の所有権-主導性が厳しいものであったこと)をうかがい知ることができる。また、2回目の『申報』裁判をはさむ時期においては、義兵闘争を肯定・鼓舞するどころか、むしろそれを抑え、静めようとする論調が基調をなしていたことから、義兵闘争との関連を理由に戦われたこの裁判が額面どおりに受け取ることのできない性格のものであったことも推察できる。また、『申報』がイギリス人の治外法権の庇護を受けて民族主義を貫いたのではなく、逆にその「庇護」が『申報』の論調を左右する影響力としても作用した面があることを確認することができる。その中で『申報』は複合的な論調を内包したものに発展していったのである。

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