本論文の目的は、社会学的な立場からの規範理論の構築をめざし、そのためにはどのような方向性を追求し、いかなる問題を解決しなければならないか、を明示化することにある。より具体的には、第一に、社会学的規範理論の特徴を明らかにするために、現在の主流派の規範理論たる現代リベラリズムとの比較対照の手法を用いる。そこで、現代リベラリズムの理論構図を「社会理論としての現代リベラリズム」の観点から分析し、その抱える問題を明確に提示する。その上で第二に、既存の社会学的立場から構築された規範理論の展開を批判的に検討することにより、現代リベラリズムの抱える問題を解決しうる代替的理論構想としての社会学的規範理論の可能性を探求すること、が目的となる。
本論文の第二章、第三章、第四章は、リベラリズムの規範理論としての問題を内在的に指摘し、その問題をリベラリズムの社会理論的前提に帰すること、そうして得られた洞察を、代替的な社会理論に基づく新たな規範理論の構想を提示するための批判的出発点とすることを目的とした、現代リベラリズムの批判的検討にあてられている。ここで現代リベラリズムとは善き生の構想についての中立性という政治原則を中核とする規範理論のことをさしている。第二章は、現代リベラリズムの原点たるロールズの正義の理論を検討しもって現代リベラリズム一般の抱える問題の構図を提示することを目的としている。第三章では、ロールズの正義の理論の分析の結果得られた基本的諸善の不確定性という見解を手がかりにして、さらに現代リベラリズムの具体的な社会構想たるリベラルな平等主義について検討されている。現代リベラリズムの中立性原則が前提とする社会理論を掘り起こすという作業を明示的に行ったのが第四章である。各章での考察を総合して得られる結論は次のとおりである。現代リベラリズムが客観的価値や選好に対する制度の制約を強調する制度主義的側面を重視する点については評価することができる。しかしこの側面は結局のところ、リベラリズムの依拠する社会理論的前提と矛盾し、そのことにより制度主義的な諸発想は基礎なき建築物にとどまってしまっている。そこで問題となる前提とは、①方法論的個人主義、②価値の一元論、③社会についての楽観主義、であった。リベラリズムの最良の部分を生かしながらかつそれを批判的に乗り越えていくためには、われわれはこれらの社会理論的な前提を放棄し、新たな社会理論に基づく規範的理論を構築す必要がある。
第六章で、リベラリズムに対する既存の代替構想たる共和主義の失敗を論証した後に第七章、第八章では現代リベラリズムに代替しうる社会学的規範理論の展開を検討している。具体的に検討されるのは、エツィオーニ、セルズニック、ローティ、ハバーマスの社会学理論である。特に、後三者の比較検討を通じて、制度という価値を内包する社会現象を対象とする社会学的研究の特性が、いかなる規範的含意を有するかを考察される。そこで明らかにされる中心的な事実は、社会学的研究が制度を対象とすること、そしてその制度は価値や規範に関わる「理念的実在」であること、このことから社会学理論は不可避な規範的含意を有するということ、である。そしてそこから現代リベラリズムに対する、社会学的規範理論の特徴、①方法論的制度主義、②価値多元論、③制度多元主義、がさらに導き出される。
第一にわれわれは制度から出発することにより、人々の選好を制約し形成していく制度の重要性を直接的に把握することが可能になる。第二に、制度の体現する価値はまさに諸個人の私的財ないし権限の集積として理解されるべきものではなく、そうした区画化が意味をなさない公共的なるものとして理解されるべきである。また第三に、制度の体現する価値は、それぞれの制度に固有のものであり、それゆえ選好その他の何らかの一元的な尺度に還元して理解することはできない。つまり制度は価値の多元性の苗床である。そして第四にこのことは逆に価値の多元性を保障するための制度それ自体が多元的でなければならないということも意味する。次に、社会学理論の有する規範的含意の正当性をめぐる問題が、三者を比較検討する際の主要な論点となる。検討の結果、制度の理論の実質的正当化という問題については彼らの議論にはそれぞれ固有の難点があり完全に解決されているとはいえないということが結論された。本論文はここに今後社会学理論の取り組むべき最も重要な問題があること、そしてそれは、社会学理論自体の多元化という事態をふまえて、公共圏の問題と関連付けて考察される必要があることを指摘して結論としている。