『天学初函』器編の研究

安 大玉

17世紀の初めに中国に伝わった西学書、つまり西洋の科学および宗教に関する書物の中で、1629年に李之藻によって編集された『天学初函』という叢書がある。『天学初函』は理編と器編からなるが、理編はキリスト教関係の書物を、器編は西洋の科学の書物を集めたものである。本稿は、『天学初函』器編所収の科学書について、まず、受容された内容を科学史的に分析し、その結果を通じて、『天学初函』器編の受容が中国人にもたらした思想的刺激とその影響について考察したものである。『天学初函』器編には、『幾何原本』『同文算指』『測量法儀』『測量異同』『句股義』『圜容較義』『渾蓋通憲図説』『簡平儀説』『表度説』『天問略』『泰西水法』が含まれているが、本稿では、農業技術関係書である『泰西水法』を除き、上記の10種類の書物を分析の対象とした。内容の分析の目的は、イエズス会士によって西洋の16世紀のどのような科学が中国に紹介されたかを明らかにするところにある。また、翻訳の底本であるクラビウスの諸書物と、リッチ(漢名利瑪竇)らによって漢訳された天学初函本とを比較し、どの内容がどのように訳出されたかを確認し、その受容された科学の内容をなるべく正確に理解するように努めた。さらに、西洋本来の文脈での科学が、文脈から離れて、中国人にどのように理解されるのかを確認し、できる限り、西洋の科学との内容的な異同をも明らかにするように努力した。
本稿は、全体が2部からなる。第1部では、16世紀のイエズス会の科学について、主にクラビウスを中心にして分析し、彼らの科学が持つ特徴を分析してみた(第2章)。また、16世紀を中心に明末の科学を概観し、イエズス会士の中国科学に対する評価を、リッチとウルシス、アダム・シャールの3人の言説を通じて考察し、少なくとも明末の科学の衰退ぶりと、天文学における西洋科学の理論上の優位を確認した。
第2部では、思想史的評価を加えつつ、本稿の中心課題である各書物の内容の分析を行った。その結果、数学分野では、演繹論理中心の西洋幾何学が受容されることによって、中国数学に対する全面的な再評価を行い、論理的証明、普遍的な解法を重視する新たな傾向を見てとることができた。なお、演繹論理に対しては、理解のずれがあることも確認された(第4、5、6章)。また、天文学の分野では、地円説やアリストテレスの宇宙論など、中世の西洋天文学のほぼすべての知識が導入され、天文観測機器としては、ヨーロッパのアストロラーブが紹介されたことを確認した。天文学の知識の中でも、特に地円説は、中国人に非常に大きな影響を及ぼしたが、李之藻は、アストロラーブや地円説を通じて、中国の伝統的な宇宙論である蓋天説と渾天説を調和させる可能性を発見する。彼の目的は、もちろん、西学の優位を認めたうえで、中国の天文学を正すことにあるが、その議論は、後に西学中源説の発展に大きく影響を及ぼしたことが確認された(第7、8、9章)。

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