本論は元代詩法叢書の本来の姿を探り、中国詩論史における位置づけを再検討する試みである。
元代の詩法及び詩法叢書は中国詩論史上長く忘れられた領域であった。明代には多数の詩法書が刊行され、そのいずれにも范徳機『木天禁語』、楊仲弘『詩法家数』、傅與礪『詩法正論』、揭曼碩『詩法正宗』など、元代著名詩人の名を冠した文章が掲載されている。しかし晩明の許学夷はその内容が「穿鑿浅稚」であるとして、これらの文章を著名詩人に仮託した偽作であると主張し、清代に入るとこの評価はますます不動のものとなった。『四庫全書総目』は、これら元人の作とされる文章を、浅俗で詩学的価値はなく、書肆が営利のために偽託したものと認定した。乾隆35年(1770)、何文煥編『歴代詩話』が三篇を収録したのを最後に、元人の詩法が刊行されることなく、近代の詩論研究においても、元は最も見るべきもののない時代とされ、とりわけ詩法書の類が論じられることは殆どないまま現在に至っている。
この状態に大きな変化を起こしたのが、『二十四詩品』偽書論争である。『二十四詩品』は晩唐の詩人司空図の作とされ、後世の詩論に大きな影響を及ぼした重要な著作とされてきた。しかし、1994年陳尚君と汪湧豪は、この書は明の懐悦の作であるとの説を発表し、大きな論争を巻き起こした。続いて95年張健が元の詩人虞集の作であるとの説を提起したが、彼らはいずれも『二十四詩品』が元代詩法書の一つ『詩家一指』に含まれていることをもとに論を展開していたため、元代詩法書とその刊本が注目を集めるところとなった。
むろん『二十四詩品』偽書説が提起された意義は限りなく大きいが、それは単にこの書の真偽に止まらず、元代詩法書という忘れられた著作を発掘し、その研究を通して、中国詩論史の再検討を促すという点に、より大きな意義があるといえよう。中国詩論史の最重要著作の一つ『二十四詩品』は、その前歴にはまだ議論の余地があるとはいえ、最も価値のないものとされてきた元代詩法書の中から出現したものだった。元代詩法書の中には、まだ多くの興味深い問題が眠っており、それを掘り起こすことによって、中国詩論史の書き換えはさらに続いていくであろう。本論はその端初を開くものとなるべく、次の四編から構成される。
第一編刊本の紹介
『二十四詩品』論争をきっかけに再発見された元代詩法叢書の中から、主要なもの七種を選び、基本的な事項を整理する。
第二編『詩法源流』偽書説新考――五山版『詩法源流』と朝鮮本『木天禁語』に基づく考察
五山版『詩法源流』は元代詩法書の真の姿を理解するために、最も重要な資料であり、以後の議論を助けるためにも先ず冒頭で検討を加える。
第三編『二十四品』の著者と成書年代に関する考察――朝鮮本『詩家一指』、朝鮮本『木天禁語』、五山版『詩法源流』に基づいて
これまでに発見された元代詩法叢書の諸著によって、『二十四品』問題にはどのような結論が導けるかを示す。
第四編『杜陵詩律五十一格』とその成書年代――杜詩研究の起源を探る試み
朝鮮本『木天禁語』にのみ収録される『杜陵詩律五十一格』に基づき、その特徴及び著作年代を検討し、杜詩注解の歴史に対する新たな説を提起する。この篇は元代詩法叢書の研究がもつ大きな可能性を示すものとなるであろう。