本研究は、和銅6(713)年撰進詔によって編纂された風土記が、各時代どのような要請のもと、どのような人々に受容されてきたのかという問題意識に基づき、風土記編纂より江戸後期までの風土記受容の史的変遷を考察したものである。
第Ⅰ部「律令国家と風土記ー古代ー」では、奈良時代初期の律令国家形成期における風土記編纂の背景、そして律令制が崩壊していく平安期における風土記受容を考察した。
第一章「風土記編纂資料の重層性」は、『出雲国風土記』『常陸国風土記』を取り上げ、風土記編纂に用いられた資料の多様性を論じた。
第二章「『常陸国風土記』行方郡説話」では、『常陸国風土記』収載の行方郡の説話を扱い、郡成立の歴史背景が、倭武天皇の一連の巡行説話によって郡名その他の地名起源譚に示されていることを指摘した。
第三章「『常陸国風土記』編纂の思想ー郡名風俗諺記載の意味ー」は、同風土記郡名起源譚の注記にある「風俗諺」という詞章に注目し、「風俗諺」という語自体の意味を探ることを端緒として編纂者が当詞章を記載した意味を考察した。
第四章「「良吏」と「風土記」ー九~十世紀の風土記受容ー」は、風土記が各地の国庁で保存・利用された具体例として、九世紀の文人官人・菅原清公編纂の地誌「尾州記」を取り上げ、成立の背景に当時理想の国司ー「良吏」の営為として地誌編纂が位置づけられていたことを明らかにした。
第Ⅱ部「風土記をめぐる歌人の系譜ー中世ー」では、地方行政の在り方が変貌した十一世紀以降、風土記受容も従来の行政文書としての利用から歌学書・歌合判詞など歌学における利用に変化した中世期の風土記受容の一側面として、風土記と関連が深い歌人を取り上げて考察した。
第一章「真観と風土記」では十三世紀半ばの反御子左派中心歌人・真観そして仙覚、第二章「玄覚と風土記ー『万葉集註釈』書入注記ー」では、仙覚『万葉集註釈』伝写に貢献した人物・玄覚、第三章「定為と風土記ー高松宮家旧蔵『袖中抄』紙背文書ー」では、高松宮家旧蔵(現・国立歴史民俗博物館所蔵)『袖中抄』紙背文書に関連する定為、と各章で具体的な人物を扱い、そこに真観、仙覚、玄覚、定為という一連の風土記をめぐる系譜が想定されるとともに、二条派歌人における風土記重視の風潮を論じた。
第四章「南北朝~室町期の風土記受容」では、南北朝~室町期の風土記受容の具体例ー前田家本『玉燭宝典』紙背文書の風土記書写記事、連歌師の紀行文等ーを取り上げた。
第Ⅲ部「風土記の再発見ー近世前~中期ー」では、十七世紀から十八世紀初の幕府・諸藩を中心とする風土記受容を検討した。
第一章「林羅山『諸国風土記抜萃』」は、林羅山『諸国風土記抜萃』の転写本(東京大学総合図書館所蔵)の概要を紹介した。
第二章「『常陸国風土記』再発見前夜ー藩撰地誌『古今類聚常陸国誌』ー」は水戸藩の藩撰地誌『古今類聚常陸国誌』を扱い、同書の成立背景・風土記研究における史料的価値を論じた。
第三章「前田綱紀と風土記」では、前田綱紀と風土記の関係を考察し、特に三条西家本『播磨国風土記』保存に綱紀が果たした役割の重要性を指摘した。
第Ⅳ部「風土記の伝播ー近世中~後期ー」は江戸中期以降の風土記受容を検討した。
第一章「風土記と近世紀行文ー今井似閑『橋立の道すさみ』ー」は『万葉緯』編者・今井似閑を扱い、彼の紀行文『橋立の道すさみ』(附章として翻刻・補注を示した)から、『万葉緯』・似閑と風土記の関係、及び当時流行した貝原益軒の紀行文の影響を論じた。第二章「『万葉緯』伝写をめぐる人々ー谷川士清校正本『万葉緯』巻十八「諸書所引風土記文」ー」では、伊勢の国学者・谷川士清の校正本『万葉緯』巻十八の四写本を検討し、同書をめぐる人的交流の解明、士清・宣長などの国学者の活躍を支えた樋口宗武・荒木田尚賢などの存在の重要性を指摘した。
第三章「「風土記」の希求ー南葵文庫旧蔵『風土記逸文』ー」は、東京大学総合図書館所蔵『風土記逸文』(南葵文庫旧蔵)・『風土記逸文』(田中文庫旧蔵)を検討し、両本が『万葉緯』巻十八を参考にしつつ、諸書より逸文を採択した本であることを論じた。
全時代を通じ、風土記受容の根底には、人々が自分達の存在を土地の歴史によって確認しようとする思いがあり、それは地域社会がゆらぐ時期に必ず風土記が注目されるという本研究で確認した風土記受容の様相に示されている。
また「風土記」という言葉は、土地に根付いた人々の営みを喚起させる力を有しており、自分自身の地域の歴史を知ることで自己の存在を確認したいという思いが、人々を「風土記」に向かわせたのである。