本博士論文は、主に俊成が残した和歌作品と歌合判詞を資料として利用し、和歌表現と歌論との二つの部分に分けて、俊成の創作手法と批評態度について分析、検討し、その作品と歌論の特徴と本質を考察したものである。
第一編「俊成の和歌表現に関する研究」において、俊成の和歌創作における古典摂取、ことに漢詩文との関係について論じた。
第一章では、現在知られる俊成の最初のまとまった作品群である『為忠家初度百首』に焦点を絞って、とりわけ「竹林鶯」と「窓前梅」との二題にある俊成の存疑歌を中心に、これらの歌の表現上の特徴から俊成作であると判断した上で、若き日の俊成の創作に見られる漢詩文摂取のありかたを探ってみた。
第二章において、漢詩文における「蘭」のイメージに注目した俊成は、「蘭」即ち「藤袴」という当時の共通認識をうまく利用し、「藤袴」に「蘭」のイメージをダブらせて、お互いに響き合わせることによって、歌ことばとしての「藤袴」のイメージをいっそう多様化させ、その意味や表象の広がりを図ったことを指摘した。
第三章は和歌における「積薪」という故事の受容と「塵」のイメージに関する和漢比較を中心に、表現と発想の両面において述懐歌における漢詩文摂取の様相を考察してみた。漢文学と和歌における述懐の伝統は違うにもかかわらず、述懐の歌にはしばしば漢文学から摂取したと思われる表現や発想などが見られる。これらの表現や発想が和歌に詠み込まれる際に、原典と趣を異にし、独自な展開を遂げる場合も少なくない。
第四章では、『古来風躰抄』初撰本と再撰本における万葉歌の本文変更とその理由に対する分析を通じて、『古今集』を代表とする中古の歌集を尊重し、心情の表出を重んじる俊成と、あくまで『万葉集』や古語を尊重し、衒学的な解釈を好む顕昭との距離、すなわち万葉摂取や古典受容をめぐる両者の立場の違いを指摘した。
第二編「俊成歌論に関する研究」において、俊成の歌合判詞に見られる「心」と「詞」に関する指摘を中心に、歌論のもっとも根本的かつ基本的な問題―「心詞論」について考えた。
第一章では、まず俊成に至るまでの「心詞論」について検討したうえ、主に「心あり」という批評用語をめぐって、俊成の「心」に関する考え方を考察した。「心あり」という批評用語の評価対象によって、一句や具体的表現に対する評価と一首全体に対する評価との二つの枠組みを設けて、それぞれの意味について分析を施した。初期の歌合判詞において、一句や具体的表現に対する評価としての「心あり」は縁語や掛詞など、すなわち言葉の寄せを重視している傾向が見られる。ただ、俊成が「心あり」と評価された言葉の「よせ」は単なる技巧や機知を見せつけるためのものではなく、一首の意味や感情の伝達に大きく役立つ表現である。一方、『六百番歌合』を中心に、後期の歌合判詞に見られる「心あり」は表現伝統或いは特定の文脈との結びつきによって、言葉そのものの意味以外に、或いは文脈から直接読み取れない、一種の感情的、気分的な「意味」をもたらすことに対する評価であると見なされる。表現が担っている意味伝達と感情伝達の機能をバランスよく働かせることを前提として、効果的な感情伝達をいっそう重視する俊成の姿勢が「心あり」という評論用語からうかがえる。
第二章では、俊成の「詞」つまり表現に関する考え方、なかんずく「本歌取り」など中世和歌の基本的技法と関係の深い「古」と「新」の問題について考えてみた。俊成は、「本歌」とほとんど変わりばえがしない「本歌取り」を高く評価していない。俊成が庶幾する本歌取りの姿は、古歌の表現を読み込むことによって、古歌に詠まれた感情や情緒を一種の気分として新しい歌に移入することができ、また、もとの文脈との感情的つながりによって、新しい歌は時間的、空間的な広がりを持つようになり、奥行きの深い、立体的な歌境を開けるようなものであろう。
最後に、終章において『古来風躰抄』序文における「もとの心」について分析を試みた。歌ことばとしての「もとの心」は、『古今集』に三例ほど見られるが、いずれも掛詞や縁語関係によって情と景の両方に対応する二重構造を構成している。そこで、『古来風躰抄』序文における「もとの心」はこのような和歌の伝統的な詠み方の流れを汲んだものであると考えられ、「もとの心」の「もと」は「元来」という意味の「元」だけではなく、「花紅葉」や「種」「葉」の縁語としての、根元という意味の「本」でもあると解せられる。すると、「もとの心」は「心を種として」という仮名序の記述と対応して、さらに俊成の縁語的表現をも考慮して「心根」と解することができる。つまり、表現を生み出す前の感動や感情、あるいは表現に託された思いや情緒のことを意味する。