本研究は、アヌラーダプラ時代、紀元前3世紀の仏教伝来から、15世紀、コーッテ時代頃までのスリランカの仏教史を、史書、碑文資料を使用し、王権と三宝を視座に論考したものである。スリランカの正史、MahAvaMsaとその続編であるCUlavaMsaは、仏教聖典語のパーリ語で著作されており、仏教学者による研究が必須である。MahAvaMsaはインド仏教史研究にも利用されつつ今日に至るが、CUlavaMsaの及んでいる時代のスリランカ史研究は極めて遅れているのが現状であり、スリランカ仏教史に関して以下のテーマを取り出し、時代的変遷を考察した。
まずスリランカの王権が仏教的視点からいかに特徴付けられるかについて、第1章「スリランカの仏教王権」で概観したのち、三宝としての仏・法・僧という観点から、仏として、第2章「王権と舎利」、僧として、第3章と第4章「サンガの分裂と統合」「サンガ組織の変遷」、法として、第5章「教育と著作」という構成で各章を論じた。また仏教学者の研究の焦点からははずれがちであるが、スリランカにとっては現代も重要となっている民族問題の歴史的背景について、第6章「ダミラ人の流入」も設け、ダミラ人の流入に伴いヒンドゥー教が仏教に及ぼした過程を、第7章「仏教とヒンドゥー教の融合」で検討した。
仏教に権力の正統性を依拠するスリランカの王権は、Asokaの理想とは異なるものに変容し、国家安定のために戦闘をいとわない英雄である戦士が大前提でありながらも、sAsanaを守護するという点において菩薩としての理想が継承された。舎利は仏陀そのものであり、仏教を精神的支柱として統治した王にとっては、舎利の保有、管理が支配の正統性の根拠であった。王は仏教の最大の支援者として、塔や寺院の建立、祭祀、出家者に対する資具の支援といった、sAsanaの持続の場を設けるだけではなく、次第にsAsanaの持続のための秩序を存続させるための条件を案出し、これを監視する者という認識がなされていく。サンガ内の論争のために分裂したサンガに対する王権の行使は、サンガの浄化、規律の設定、サンガ統一、さらにはサンガ組織の再構築の指揮にまで及び、ダンバデニヤ時代以降は、araJJAvAsinとgAmavAsin,Ayatana,pariveNa,gaNaといったカテゴリーに分類されるサンガ内の組織が存在していた。王は聖典の普及と比丘の著作活動を支援し、自らも仏教文献を著作するに至る。島内へのダミラ人の往来が時代を経て増加し、遂にダンバデニヤ時代以降シーハラ政権は全島統一を放棄するが、ダミラ人の流入とあいまって、菩薩への崇拝が神への崇拝へと変容し、舎利と神とを同時に供養する神仏習合が成立する。菩薩になぞらえられた王は、神の資質を有する存在に変容するにも至った。