日本古代仏教思想史上における空海

藤井 淳

本論は歴史資料を参照して空海と同時代の日本仏教界の時代背景を考慮しつつ、空海の著作に見られる記述と同時代の学僧の著作に扱われる問題との間に共通点が見出されることを指摘し、それらを対比することによって、空海の思想の発展的形成の過程を主に真理観を軸として明らかにした。
空海の思想的展開に大きな影響を与えたものとして二つの時代的な背景があった。その第一は空海入唐以前から日本仏教界最大の関心事となっていた三論宗・法相宗間の空有論諍である。この論争において注目された「最高真理の状態においては言語や心が絶え果てる」という理解に対して、空海はそれ以前から日本の学僧にも知られていた『十巻楞伽経』の「法身説法」の概念に自ら請来した密教経典の記述とを重ね合わせて解釈することで「法身(抽象的な真理)が直接説法する(具体的な活動を行う)」という正統的な仏教教理の理解から逸脱とも言える主張を行い、また『釈摩訶衍論』の記述に基づいて「真理と関わりあう言語がある」と主張した。時代状況から空海は三論宗の学僧として出発したと考えられるが、『声字実相義』『吽字義』では法相宗の言語観を、『即身成仏義』では法相宗の成仏観を批判し、一方『二教論』『吽字義』では三論宗の学僧に対して、三論宗の根本祖師である龍猛(龍樹)の真意は、清弁が強調し、吉蔵が組織化した否定的主張(遮情)にあるのではなく、積極・肯定的主張(表徳)にあるとして、龍猛(龍樹)に対する理解の変更を促した。これには六朝期における教化や仏典翻訳に関して真理を伝達する際の言語を重視する理解がその背景にあり、また空海の諸活動が官によって保護された大伽藍の中での学問のための学問に止まらず、衆生救済に向けられていたことと関係があろう。しかしこの空海の主張は、当初三論宗の学僧として出発し、その改革を目指した空海の思想がもはや三論宗内部には収まらなくなったと論じた。
また空海の思想に第二の転機をもたらしたのは弘仁末期における最澄の活発な諸活動、すなわち徳一との三一権実論争、および南都からの大乗戒壇独立運動であった。この最澄の活動に刺激され、また南都仏教界の関心もそれまでの空有論諍から最澄への対応へと変化し、これと歩調を合わせるように、空海の関心は法相・三論両宗を主としたものから、天台・華厳を含んだ当時の全仏教界を位置づける方向に向かう。これは法相・三論両宗に対する理解が最澄の活動を境にして、先述の「真理と言語との断絶」という理解から「八識三性・八不空性」という一般的理解へと変化することに見られるように両宗に対する関心が相対的に低下した。また十住心思想においてその骨格となった、ある宗が尊崇する菩薩を象徴する梵字一字によってその宗の教理全てを代表させるという理論に最も適合しにくかった天台宗の菩薩や梵字について『法華経開題』諸本の中で調整を図り、『十住心論』においてその到達点を示したことを論じた。そして空海がその思想の展開において最後に取り組んだのは、真言を華厳より上位に位置づけるための理論を確立することであった。空海の世界観を構成した密教経典における<真理の空間的遍在>という思考法は『華厳経』・華厳教学も同様に用いるところであり、空海もその初期著作においてはそれを援用していたが、後期に至り、華厳教学との区別をつけるために、華厳教学において世界全体を示す「三種世間」という語を『大乗起信論』に見られる記述を解釈することによって「出世間」よりも小さなものであるとして、華厳所説の三種世間を下位に位置づけた。また「法爾・不変・常恒」は密教経典に基づく空海における真理の規定であった。しかしこれは、当時の日本華厳教学が仏教において真理を表す語である「真如」に関する「不変」と「随縁」という二つの規定のうち、法相宗に対する優位を打ち出すために「随縁」を重視したこととは相容れない面があった。そこで空海はこの「真如」の規定をめぐる問題をより高次の立場から解決するために、空海の真理観の大きな柱である<真理の流出>という考え方によって、華厳を含む顕教の真理である「真如」はより根本真理である「真言」から流出したものに過ぎないとすることによって、華厳を真言・秘密曼荼羅教の下位に位置づけ、空海の真理観を<真理の遍在><真理の不変><真理の流出>という初期からの理解を保持しつつ、組織的に統一化することに成功したと論じた。

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