呆けゆく者の自己をめぐるコミュニケーション ―認知症ケア「変革期」における他者理解の問題―

井口 高志

本稿は、家族介護者が、呆けゆく者とのコミュニケーション過程についての、相互作用を分析する社会学の立場からの考察である。呆けと名指される身近な他者の変容と出会うわれわれが、呆けゆく者をどのように理解し付き合っているのか、その過程は、いかなる条件や社会関係によって支えられているのか、といった諸点について明らかにすることを試みている。そうした考察を行う背景には、現在、呆け・認知症に対する、新たな理解と対応の仕方のモデルが、社会的な実践の中、ならびに社会学、精神医学、心理学をはじめとする学的考察の中にも登場してきているという問題認識がある。そうした「新しい認知症ケア」隆盛の中で、呆けゆく者とのコミュニケーション過程の実証的検討に基づき、身近な呆けゆく者を「人間」としてとらえ付き合っていくとはいかなることか?いかにすればよいのか?そのための社会学の課題は何かを問い直している。
論文の前半である1章と2章では、呆け・認知症に対する新たな理解と対応の仕方のモデルについて、1章で政策言説を、2章で社会学を中心とした認知症研究を取り上げ検討した。その中で、現在、「新しい認知症ケア」という呆けゆく者を相互作用の相手=人間として位置づけていくようなアプローチが出現してきており、「関係モデル」を提示する社会学的な認知症研究もそうした議論と共振した研究を行っていることを確認した。しかし、社会学として考察すべき問題は、「疾患モデル」に対する「関係モデル」を強調していくことではなく、呆けや認知症症状、呆けゆく者の姿が、理解モデルの参照の結果生まれているという<関係モデル>の認識論のもと、コミュニケーション過程を検討していくことであると指摘した。
3章から5章にかけては、主に介護者へのインタビューから得た事例に基づき、呆けゆく者とのコミュニケーション過程を分析し、呆けゆく者との出会い理解を試みていく局面の特徴(3章)、介護者という位置で、呆けゆく者への長期的な介護を続けていく過程における特徴(5章)を明らかにした。また、5章の分析にあたって4章では、家族介護という経験をとらえていくための視点について議論した。6章と7章では、3章から5章で見出した、呆けゆく者とのコミュニケーション過程の特徴を踏まえ、介護者と呆けゆく者の外部の他者とのコミュニケーションが、呆けゆく者を理解し付き合っていく過程において、いかなる意味で支援となっているのかということを分析した。
以上の実証研究を踏まえ、以下2点を結論とした。第1点は、呆けゆく者を「人間」としてとらえ続けていくためには、疾患モデルに対立する関係モデルという図式の強調のもとで、相手の意思・意図への配慮を単純に強調していくだけでは不十分だということである。介護者は、身近な者の呆けとの出会いの中で、「正常な人間」としての姿に既に出会っており、それは疾患モデルに基づく理解の必要性を自覚していても消去されない(3章、5章)。むしろ、疾患モデルに基づく理解が貫徹できないことが、関係モデルの目標である「人間」としての配慮に反してしまう場合もある。その点を踏まえると、6、7章で検討したように、以前から知る相手の意思・意図と付き合うことを支える他者、あるいは新たな「人間」としての姿の発見を可能にするような他者の存在が重要になってくる。
第2点は、「関係」の内実を問い直した上で、呆けゆく者を取り巻く周囲の主体への責任帰属のメカニズムを探求していくという、これからの認知症の社会学の取り組むべき方向性である。関係モデルの提示する<関係>とは、主体の意図的なはたらきかけに還元できないような場(先駆的な宅老所やグループホームなど)における呆けゆく者の変容を根拠に主張された。そうした場における呆けゆく者の変容とは、呆けゆく者の「人間性」の発見という介護者にとっての肯定的な経験に資するような出来事である。だが、日常的な介護場面において、呆けゆく者の変容は、最も近しい位置で介護・ケアを行う者の行為や能力に帰責されがちである。特に、呆けゆく者へのはたらきかけのための十分な資源がない状況での目標水準の上昇(=はたらきかけによる呆けゆく者の変容の可能性)は、「無限定」な介護遂行を要請する可能性を有している。その点を踏まえた、認知症の社会学の第一の課題は、呆けゆく者を取り巻く関係の中で、不可避に生じる責任帰属のメカニズムについて考察し、その責任帰属の存在を踏まえて呆けゆく者の自己の存在を経験できる場や条件を見出していくことである。

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