『源氏物語の表現論的研究』と題する本論文は、全体を三部に分かち、はじめに本論文全体を統括する序論を付す。序論はさらに「源氏物語の作中人物」「源氏物語の作中和歌」「源氏物語の構造と表現」の三部に分かれ、本論分の第Ⅰ~Ⅲ部にそれぞれ対応する。戦後の源氏物語研究に対する異議申し立てとして、ニュークリティシズムや読者受容論の影響の下に現れた新たな研究の多くが、読者の権利だけを肥大化させ、自閉した「私の読み」を量産するところに低迷してしまった今、私たちに求められているのは、たしかな文献学的手続きに基づいた上で、源氏物語そのものを表現に即して緻密に読み直す作業に他ならないと思われる。そのことを、具体的事例の処理を通じて明らかにすることが本論文の基本的姿勢である。
第Ⅰ部「作中人物に関する表現論的研究」に収めた諸論考においては、この物語の登場人物の幾人かを取り上げ、源氏物語固有の論理なり主題なりを、特定の鍵語(「うき」、「情け」、「心変わり」など)に注目したり、文章の読み取りを具体的に検討することの中から明らかにする。この物語の登場人物の形象について考えることを通じて、源氏物語の主題や作品世界の成り立ちを明らかにしようとする方法自体はオーソドックスなものであるけれども、ともすると従来の作中人物論の立場が、物語中の人物一人一人をあたかも生身の人間のように見て、彼らの人間性や性格について批評したり、どのような環境がそうした彼らを育んだのか、その生い立ちや人間関係の分析といったところに終始しがちであったことは問題なしとしない。個性というものが重視されるようになったのは近代以降の傾向ともいわれるように、作中人物の性格や個性に過大な意味を見出そうとする態度は、この物語の理解をむしろ低いところにとどめてしまうことを明らかにする。
本論文第Ⅱ部は「作中和歌に関する表現論的研究」と題し、この物語に織り込まれた作中和歌の意義に関して考察した諸論考を収める。この物語の作中和歌がいかなる意義を持ち、作品世界の形成にどのように関与しているのかということに関してはなお明らかでない点が多く、またそれは一口に説明できるようなものではない。すなわち物語に織り込まれた和歌の一つ一つが、物語の局面それぞれにおいて果たす役割を、その展開に即して明らかにしてゆくことが求められるのであり、「登場人物の意図」、「物語作者の意図」、「読者にもたらす表現効果」といった観点を混同することなく、作中和歌を多角的に評価してゆく姿勢が必要とされることを主張する。源氏物語の形成に、作中和歌が果たす役割は非常に重く、また多様であり、その評価には常に複眼的な視点が求められることを具体的な例に即して明らかにすることが、この、第Ⅱ部所収の論考に共通するモチーフである。
本論文第Ⅲ部は「構造に関する表現論的研究」と題し、第Ⅰ部、第Ⅱ部所収の各論考で用いた、作中人物へのアプローチ、作中和歌への視点を統合し、源氏物語の巻と巻とがいかに連結し、ひとつらなりの物語世界を形作ってゆくか、その成り立ちや構造を明らかにしようとする。序論Ⅲでは本論文の基本的立場である表現論の意義と物語の構造に関する問題を、源氏物語研究の現在ということに絡めて論じる。