ドイツの宗教学者、フリードリッヒ・ハイラー(FriedrichHeiler:1862-1967)は、『祈り(DasGebet)』(1918)や『宗教の現象形態と本質(ErscheinungsformenundWesenderReligion)』(1961)といった著作で学説史に名をとどめながら、その全体像を明らかにする研究がこれまでドイツ語圏においても存在してこなかった。そこで本論文では類型論、及び宗教史理解という観点からハイラーの宗教理論の特徴をあらためて整理し、その問題点と今日的な有効性を明らかにすることを試みた。
第一章では、ハイラーの生涯を概観し(第一節)、また『祈り』(第二節)と『宗教の現象形態と本質』(第三節)を取り上げ、ハイラーが神学的な志向を強く持ち、それが彼の宗教理解に大きな影響を与えていること、だがここで言う「神学」が制度的に確立されたそれではないこと、そしてハイラー以前、また同時代のキリスト教神学者との拮抗関係の中で彼の「神学的宗教学」が形成されてきたことを指摘した。
そのような「神学的宗教学」の内実を明らかにするため、第二章では『祈り』の類型論を取り上げ、その妥当性、問題、そして可能性を検討した。個々の具体的な宗教現象はその歴史的な文脈に即して理解されねばならないが、たんなる「事実」の集積ではなく、何らかの観点から歴史を把握することで、それは類型史となる。『祈り』はキリスト教の祈りをそのような歴史的展開の中で捉えようとした試みで、祈りの「類型史的展開」の叙述と言える。ただし、歴史的被拘束性にもかかわらず諸宗教現象を比較しうるとすれば、それは通宗教的、超歴史的、抽象的な構成概念によってだが、ハイラーの類型論は、それを超歴史的な構成概念にまで抽象しきれておらず、(キリスト教以外の)具体的な歴史的現象にキリスト教的なモデルをあてはめ、さらにそのような構成概念を最終的に実体視したことに問題が残る(第一節)。このような陥穽にはまった理由のひとつは、ハイラーがその類型形成に当たって諸宗教現象の中に自らの宗教性を読み込んでいったことにある。例えば、「自由な心の吐露」こそが「真の祈り」であるとするハイラーは祈りの「儀礼化」を厳しく批判した(第二節)。「哲学者の祈り論」においても、ハイラーは、近代の合理主義・啓蒙主義哲学を批判しつつ、やはり素朴で自由な祈りを「真の祈り」と見なす。「哲学者の祈りの理想」は、「生き生きとした神とのリアルな交わり」こそが真の祈りであるというハイラーの「祈りの理想」と衝突し、それゆえ「堕落」という価値判断が下される。このようなハイラーの宗教認識の背景には、ドイツにおいて教会宗教を離れながらも、いわゆる「宗教的なもの」を求めた教養市民層の形成があり、ハイラーは彼らに対し、「彼岸思考的」な救済宗教の意義をあらためて問い直していく。が、ローマ・カトリックの教会制度に対して批判的であったハイラーは、それを制度的教会宗教の再生としては捉えない(第四節)。
このように、祈りの類型論には、ハイラーの個人的な宗教性が色濃く反映しているが、他方でその類型形成には今日からみても妥当な観点が含まれている。本論文では祈りの諸類型から、その類型形成の「観点」を抽出し、さらにそれらを独立変数として用いることで比較類型論の基礎となりうるのではないかと示唆した。例えば、神秘主義的/預言者的という類型の形成にあたってさまざまな観点が複合的に含み込まれているが、そこに個人主義と共同体主義という主軸を見出し、その有効性を指摘した(第三節)。
第三章では、第二章で検討した類型論の基盤を為す「宗教」理解(第一節)と、方法論的な基礎づけとされる「歴史」理解(第二節)を考察した。これまでハイラーを含む古典的宗教現象学は、上述のようにその本質探求の姿勢が神学性と結びつき、キリスト教中心主義的になっていると批判されてきたが、ハイラーの場合そのキリスト教理解が狭義のキリスト教神学とは異なる。彼の示した宗教モデルは、最終的に「単一宗教的」であり、かつ「キリスト教」的であることは否めないにしても、彼が具体的な諸宗教現象をつねに重層的に捉えようとしていた面も看過できず、この視点は翻って彼のキリスト教理解にも反映している。つまり、キリスト教そのものを本来的に雑種的なものと捉え直した上で、それが諸宗教をも包含しつつ理念的な〈宗教〉へと一元化していく「運動」として把握していたのだ。(第一節)
今日、諸宗教間の対話・共存の必要性が叫ばれているが、ハイラーはきわめて早い時期からその問題に関心を示した宗教学者の一人であった。が、諸宗教の多様性を認めつつも、それが最終的に「キリスト教」的な〈宗教〉へと包含されていくという思想には問題が含まれていたと言わざるをえない。ハイラーはたしかに、自らの営為の正当性を主張するに当たり、その研究が「歴史的」であることを強調するのだが、そのような正当性要求がもたらす問題性を顕著に示しているのが、インド人キリスト教伝道師、サドゥー・スンダー・シングの発言の真実性をめぐる「サドゥー論争」であった。そこで、論争におけるハイラーと牧師・宗教心理学者であるプフィスターの対立を中心に取り上げ、分析を加えた。この興味深い論争は、シングが「聖人」(サドゥー)なのか、あるいはサドゥーの名を借りた「ペテン師」なのか、という論争へと展開していったが、シングという宗教者に対して「使徒かペテン師か」という問題設定をし、彼を「使徒」(宗教的真理)と見なし、伝記に記された出来事を「真実」と規定した時点で、ハイラーの姿勢はすでに宗教学とは疎遠なものとなっている。ハイラーは結局、シングに自らの理想の宗教性、すなわち「福音主義的カトリック性」を読み込んでいったと言わざるを得ない。もちろん、研究者が個人的な宗教性や思想からまったく価値自由な立場に立つことはできないが、この論争では、ハイラーはこのことになお未自覚のままであり、こうした態度に彼固有の実践的な「神学的宗教学」のあり方を明らかに看取できるのだ(第二節)。