戦争死者慰霊の宗教学的研究

西村 明

本論文は、戦争死者の慰霊に対する問いを宗教学的アプローチによって解明することを目指したものである。
これまでの戦死者慰霊や原爆慰霊研究の動向からうかがえることは、戦死者と戦災死者の慰霊は別個のものとして、異なる問題関心に基づいて研究されてきたという経緯がある。戦後の原爆慰霊は、反核・平和運動とのつながりをもつという観点から国際的に注目されるものであるため、国内外の空間的・地域的関係性に焦点が当てられ、その構造の分析が中心になってきたといえる。そこでは複数の行為主体によって織り成されるダイナミックな歴史的展開はあまり考慮されてこなかった。したがって、戦死者の慰霊との関係性などもほとんど考慮に入れられることはなかったのである。
そのような近視眼的傾向は、戦死者慰霊の研究についてもある程度当てはまるだろう。近年、戦死者慰霊の国家的制度や地域における具体相の短期的展開に焦点を絞った、詳細な事実の掘り起しがさかんにおこなわれ、多くの成果が上がってきたわけだが、逆にそれらがどのような展開の中に位置づけられるべき事柄であるのかが、とらえにくくなってきたように思われる。そこで、本論文は近代の戦死者慰霊と戦後の戦災死者慰霊をそれぞれ別個に論じるのではなく、戦争死者慰霊という視点を導入することで、近現代日本における戦争死者に対する生者の態度としての「慰霊」の現象を、宗教学的に分析しようとしたわけである。その際、より広いパースペクティブを確保するために、前近代からの死者儀礼の系譜的展開を、時代ごとの暴力連関のあり方に基づいて位置づけていった。とりわけ、そこにある暴力性そのものや、暴力を被った結果死亡した者が現世にたいして残していたであろう想いなどを鎮静化させたり、逆に喚起することで新たなアクションを起こす契機とするような事態を、「シズメ」と「フルイ」の対概念によってとらえることで、それぞれの場面の暴力連関に働く力学を的確にとらえようとした。また、戦争死者をめぐって展開される人々の相関性を把握するために、「一人称の死」「二人称の死」「三人称の死」という人称態によって死者への態度を整理した。これらのもろもろのアプローチを併用することによって、「慰霊」を構成する複数的な行為主体の動態的な関係性が浮き彫りになる。
論文の構成に関していえば、本論は、主に戦死者の慰霊に焦点を当てた第1部「戦争死者への態度理解の視角」と、長崎の原爆慰霊に関わる事例に即して展開する第2部「戦後慰霊における戦争死者への態度―長崎原爆慰霊を事例として」の2部構成で展開する。
第1部の1章から3章は、その議論の展開において互いの章のあいだに線形的つながりは確保しておらず、むしろ、3つのテーマをそれぞれ別の角度から論じることによって、第2部の議論に生かすことを目的とした章立てとなっている。したがって、第1部は、第2部の議論の前提になるという意味では、むしろ長い序論ととらえることも可能である。
第2部「戦後慰霊における戦争死者への態度―長崎原爆慰霊を事例として」では、戦後の戦災死者慰霊の具体例として長崎の原爆慰霊をとり上げ、第1部で展開した議論のマトリクスのうえで、個々の慰霊実践や原爆死者への態度を位置づけた。その際、とくに戦死者慰霊との関係性は重要な指標となっている。戦後に始まる原爆慰霊の展開は、それまでの戦死者慰霊とどの程度の連続性を持ち、またどの程度不連続なものであるかということをひとつの切り口とすることによって、先行研究ではとらえられなかった原爆慰霊のもつ性格を照射しようとした。
結論と展望では、本論文全体の議論のなかでも、とくに「シズメ」と「フルイ」の関係性と、無縁死没者への態度に注目しながら、全体を簡潔に整理して、必要なコメントを補い、そこから今後なされるべき研究の展望を示している。

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