<少年-雑誌>の世紀 近現代日本における「児童文化」のメディア史/論的考察

瓜生 吉則

本論は、近現代日本における「児童文化」に関して、「少年雑誌」を素材にしながらその歴史的変容を叙述し、近代において「発見」されたとされる「子ども/少年」を、物語テクストや雑誌メディアから無前提に抽出してしまいがちな<現在>のわれわれのまなざしの構造(の効果)を析出するものである。そのために本論では雑誌制作者によって「読者」として切り出された<少年>、および「透明」なコミュニケーションへの信憑を編制する場としての<雑誌>という二つの方法的概念を用意し、両者の交錯点として物質性を帯びた「少年雑誌」の歴史性・社会性を問うことを主題としている。表題にある<少年-雑誌>という語彙は、本来は結びつきに必然性のない<少年>と<雑誌>とが交差する様相、言い換えれば単なるイメージの集積庫ではなく、いわば出来事としての「少年雑誌」のありように本論が照準していることを示すための造語である。
児童文化・児童文学研究などで「少年雑誌」が素材として取り上げられる場合、そこに掲載された読物(小説やマンガなど)や記事、投稿に「書かれ/描かれていること」を抽出し、その媒体の特性や作家の思想/イデオロギーを示す、という方法が一般的である。だが、そうした視角で導き出され得るのはあくまで固有名を伴った雑誌制作者や物語作者の思想/イデオロギーであり、その思想/イデオロギーが社会性を帯びる場としての「少年雑誌」の特性(メディア性)は不問に付されがちである。対して本論は、テクストやメディアから思想/イデオロギーが抽出できるという、<現在>のわれわれがともすると無前提に採ってしまう「透明」なコミュニケーション観の成り立ちを解明するためにこそ、「少年雑誌」というメディアの歴史的・社会的探究が必要であるとの問題意識から議論を出発させる。雑誌の作り手が「読者」としての<少年>をどうイメージしていたのかに注目するのも、物語や記事の「意味内容」の位相ではなく、あるメッセージを作り手が読者に届けようとする際のコミュニケーションの「形式」を同時代的/歴史的に比較し、そこで見出される差分から「少年雑誌」というメディアの特性を、さらにはその時代的な変容過程を浮かび上がらせることが本論の課題だからである。副題にある「メディア史/論」とは、「少年雑誌」というメディアを当たり前のものとしている現在のわれわれの<少年>および<雑誌>へのまなざしの構造を捉えるために採られる、本論におけるメディア史とメディア論との同時進行的作業および方法論を表す用語である。

序において上記の概念設定と方法論との認識利得を示した後、第一章では、<少年>と<雑誌>とが出会う条件として、特に文学・科学・教育の言説において「子ども」の社会的認知が「読者」としての析出を伴っていた様相を記述する。将来の成長を期待されるがゆえに、「子ども」の未熟な状態は「保護」の対象となり、同時に自発的な「成長」を促される対象ともなった。さらに、読物のメッセージを「白紙」の状態で受け取る「読者」としての「子ども」へのまなざしは、同時に「読物による教育」の重要性を喚起していった。「子ども」へのかかる認知と、学制の普及および活字出版の本格化といった社会的条件とが繋がった時、「少年雑誌」は明治日本に誕生する。
第二章では、明治半ばから昭和初期までの少年雑誌の変遷を辿りながら、雑誌の「教育的」機能への信憑が多層化していく様相を記述する。公教育の「補助」媒体から「娯楽」的な媒体へと多様化していく少年雑誌は大正半ば、少年読者の自主的な努力によって「理想」に向かって「成長」していくことを鼓舞する「大衆的児童文学」の流れと、綴方や童謡という形式で「無垢なるもの」の表現者が保護され賞賛される「芸術的児童文学」の流れへと分岐していく。しかし、そこにはテクストの「意味内容」の相違をも包含する、雑誌メディアの強力な「教育的」機能と少年読者の「透明」な身体性への信憑が共有され、現在そう呼ばれるところの「児童文学」を一種の制度として成立させた。
第三章では、昭和初期のプロレタリア児童文学運動を論じた後、1930年代の不況下で醸成された反「商業主義」的な歴史観・雑誌観が、やがて官民一体となった「悪書」追放の運動へと結実していく様相を展望し、20世紀前半の少年雑誌が共有していた<少年>読者観および<雑誌>観を総括する。昭和初期から戦時期にかけて突出する(ように見える)少年雑誌の「教化」性は、当局の強制一辺倒によって成立したというよりも、近代日本における<少年>の身体の「透明」性、および<雑誌>というメディアが編制する「透明」なコミュニケーション双方への強烈な信憑が融合した、まさに時代特殊的な事象だった。
第四章では、戦後の少年雑誌がかつての「教育的」まなざしを徐々に希薄化させていく様相を記述する。読者からのマンガの投稿が誌面の重要な構成要素となった『漫画少年』は、戦前の「教育的」機能への信憑を濃厚に残しながら、同時に制作者が一方的に読者を措定することへの反省を始めた点で、戦後の少年雑誌の<起源>となった。そして1960年代の『少年マガジン』は「劇画」の積極的な導入によって、読者とともに「成長」するという、従来には見られなかった独特な雑誌空間を編制するにいたる。それは同時に、なんらかのメッセージを読者に届ける器としてではなく、媒体そのものがひとつのメッセージとして機能するという、<少年-雑誌>の大きな転換点でもあった。
第五章では、徹底した読者アンケートに基づいた誌面構成を行う1970年代以降の『少年ジャンプ』が、<少年>の永遠の成長を描くことになった経緯と、それに伴う「作者」の消失、さらには「編集者」の機能が透明化をもたらした様相を記述する。<少年>読者が制作者の理想として仮想されず、またその理想を運搬する<雑誌>の機能も手放した『少年ジャンプ』においては、「意味内容」および「雑誌の物質性」というオブジェクト/メタレベルのメッセージが「透明」に伝達/交換されるのではなく、コミュニケーションそのものが「透明」なものとなる。「よりよき読者」「よりよき雑誌」への信憑に支えられてきた<少年-雑誌>は、それを脱構築する媒体の登場によって、ひとつの運動をいま静かに終えようとしている。

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