中国戦国時代における「華」「夷」観の成立と『尚書』

高津 純也

本論は、現代まで息づき続ける中国古代の政治思想を培養してきた儒教経典が、先秦期においていかに成立し展開したか分析するという目的の下、その経書の代表の一『尚書』を題材とし、松本雅明による優れた先行研究を吟味するという作業を中核に据えて検討を行うものである。
その過程で関鍵となったのは、儒教経典及びそれに載る形で伝えられた政治思想のうちある部分は、漢代以降に統一的思考の下で議論されてきた(そしてそれが上代からそうであったと無意識に信じられてきた)のと異なり、戦国期においては地域別・学派別に異なった状態で併存していた、場合によってはそれに関する複数の主張が対抗させられていた、という可能性である。このことを念頭に置くに至ったのは、松本により戦国期の『書』が複数存在したと示唆されたこと、またその『書』にも関連する「夏」という語の概念が、睡虎地秦簡の発見により複数併存していたと言えるようになったことであった。このことから、本論では「先秦期の外族呼称」「諸夏と中国」「『左伝』と『夏書』」などについての分析を経由することになった。その内容をまとめると、以下のようになろう。
殷周王朝は東西南北にそれぞれ居住する夷・戎・蠻・狄と敵対し、それらの侵攻に対抗して周王朝傘下の諸侯国は「諸夏」と自称し団結して排撃した、といったような、従来は春秋期の史実とされてきた状況を示す史料は、同時代史料には皆無であり、文献史料にも非常に限られた文献にしか見られなかった。つまり従来我々が考えてきたような「華」「夷」観、全土を「諸夏」と「夷狄」とに二分して認識する構造が春秋時代に存在し共有されていたとする想定は、「諸夏」「夷狄」どちらの側についても、史実とするに十分な史料は存在しないと言えた。従来の考え方では、『史記』『左伝』などの史料に記録されている単語が鵜呑みにされ、各史料相互間の差異に注目すると言うよりはむしろそれを捨象し、読み手の主観によって各種の記録を恣意的に再構成することで当時の史実が想定されてきた。時代や地域によって記録を作成する国が替われば、用いられる単語もその用法も替わる、という点が従来気づかれていなかったのである。
このように、史料を網羅的に再検討し、近年急増する出土史料の利用や文献史料への新たな知見を活用した結果、我々が知るような「華」「夷」観、すなわち「夏」「中國」と「夷」などとを対置させて議論する用例は、戦国期になって初めて出現し、しかも異なる考え方が同時期にいくつも併存し対抗させられていた、といえた。
この「華」「夷」観についての検討結果をもとに、本論は戦国期の書篇の姿に関する新たな推論を結実させることが出来た。すなわち、『左伝』に数多く引用されている「夏書」を含む書篇(『尚書』各篇)が、このような戦国期の新しい政治思想の下で利用されていることが結論づけられた。『左伝』に含まれる説話においては、登場人物が意見を陳述する際に箴言として書篇を引用することが多いが、それは場当たり的に引用されているのではなく、韓に夏王朝の政治的権威が継承されることを主張する材料の一環として配置されていることが明らかになった。また「夏書」以外の引用書篇を検討した結果からも、書篇には虞夏商周王朝の権威が伴っていると考えられていたらしいと判明したのである。
これらのことは『尚書』の成立と展開について論じる上でも重要な材料を提供したものと考えるが、この議論にあたって先行研究を繙いた結果、松本雅明『春秋戦国における尚書の展開』(風間書房、一九六六年)が極めて重要な分析結果を多く記していることに着目することとなった。
その中で最も根幹となるものを挙げれば、戦国前中期の比較的短い期間に書篇が次々と生成されたこと、『書』への編纂は儒家・墨家などの各派別に実行され、共通の篇と独自の篇を持つ複数の『書』が並行して作られ同時期に併存していたこと、その一部分のみが漢代に継承され再度編纂されて今文『尚書』が成立したこと、といった諸点である。
すなわち、戦国期の書篇とは未だ固定化した一書となっていない、この時代に多種多様な書篇が生まれ多種多様に編纂され、それらが漢代までに大きく淘汰された、という展開の想定は、斬新であり且つ注目すべきものと考えられる。『尚書』という儒教経典が、先秦期において既に共有される一書として広汎に流布していたのでなく、戦国期に新たに誕生した多くの書篇を、複数の学派がそれぞれの立場に沿うように書物として編纂し、結果として複数の『書』が成立していたとする説は、経典の展開を単なる一本の時間軸の上で判断するのでなく、複数の対立する考え方が同時期に併存していたとする可能性を示唆するものであり、細かな分析の是非をさておいても継承すべき見解であった。
今後は松本の成果に目配りし、その有用性に注意しつつ継承できる点を汲上げる形での『尚書』研究が進展させられることが期待される。そしてさらにその手法を応用して、儒教経典の多くへと検討の手を伸ばしていくことも可能であろう。
本論は、このように戦国期書篇の成立と展開について基本的な考え方を提示し、儒教経典の先秦期における有り様について一つの可能性を示すに至ったと考えるものである。

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