[目的]
本論の目的とするところは、旧石器時代終末期、概ね21,000~10,00014CyrsBPの最終氷期極相期から晩氷期にかけての北海道で展開した細石刃石器群がいかなる居住・移動・生業システムのもとに展開された活動の痕跡なのか、という問題に対して、実際の資料の分析から解釈を行ない、展望を開くことにある。北海道における細石刃石器群研究は、ユーラシア大陸の北東部に独特の気候・自然環境を形成する東北アジアにおける細石刃石器群の展開あるいは最終氷期極相期から後氷期に至る環境変動への適応という問題に対して、良質かつ高密度な資料に基づいた分析を提供することができる。

[構成]
前述の問題は主に第Ⅳ章において論じられているが、その前提として、第Ⅱ章で当該期の環境と生業の対象となった可能性がある主要な資源についての概略をまとめ、第Ⅲ章で細石刃石器群を分節化し整理した上で編年的・年代的位置づけの見通しを得る。第Ⅳ章における分析の単位となる共時性は、第Ⅲ章での検討から導き出される。そして第Ⅴ章でこれらをまとめて結論とし、課題を提示する。
第Ⅳ章では、可能な限り多くの遺跡・石器集中部を対象として包括できること、実際の資料群から明瞭な論理性をもって解釈へと連結できること、を目指した。すなわち、民族誌データと理論的なアセムブリジ形成モデルをもとに、居住・移動システムと道具の組織的特徴の関係を検討した上で、多変量統計解析の手法を援用しつつ、細石刃石器群の組織的特徴の抽出および解釈を行なった(第Ⅳ章1節)。そして、その解釈の妥当性を検証するために、石器石材の運用に関する分析を試みた(第Ⅳ章2節)。

[結論]
細石刃石器群の前半期では、当該集団は高い居住地移動性と低い兵站的移動性に特徴づけられる居住・移動システムを基盤としていた、かつ/または、主に同質的な資源を生業や獲得の対象としていたと考えられる(第Ⅳ章1節)。結果として、石器群にみられる道具の多様性は小さくまた多用途性・融通性は大きく、遺跡に遺される石器群の変異性は小さなものとなった。また、相対的に移動規模(年間居住地移動総距離)が小さかったかあるいは移動頻度(年間居住地移動回数)が大きかった可能性がある前半期前葉に対して、前半期後葉では移動規模が増大したかあるいは移動頻度が減少し、各地域における遺跡の石器石材の構成に遠隔地産の石材が顕著にみられる傾向がより強まる(第Ⅳ章2節)。
編年的・年代的検討(第Ⅲ章)によれば、前半期細石刃石器群はおよそ21,500~13,50014CyrsBPと想定され、その時期は概ね最終氷期極相期である。最終氷期極相期の北海道では、草原的な要素を多分に含む亜寒帯植生の中をマンモス動物群が展開しており(第Ⅱ章3-3節)、草原的な開けた景観に生息する中・大型草食動物が狩猟対象の主体となっていた蓋然性が極めて高い。こうした草食動物は、一般的に群れをなして季節的な移動を行ない広い面積に及ぶ餌植物を効率的に採食する。すなわち移動性と群性の強い中・大型草食動物が多いこと、そして地形および高度とも関連して種毎の生息域に偏りがあることから、人間集団にとって粗区画的な資源環境が形成されていたと考えられる(第Ⅱ章3-4節)。前半期細石刃石器群にみられる先述したような組織的特徴や居住・移動システムは、こうした最終氷期極相期の資源環境との関係の中で成立していたとみなされる。
細石刃石器群の後半期では、当該集団は相対的に低い居住地移動性と高い兵站的移動性に特徴づけられる居住・移動システムを基盤とし、かつ生業や獲得の対象となる資源がより多様であった(多くの異質な資源が含まれていた)と考えられる(第Ⅳ章1節)。結果として、石器群にみられる道具の多様性は大きくまた多用途性・融通性は小さく、遺跡に遺される石器群の変異性は大きなものとなった。また、近在の石材を運用する傾向が明瞭に強まり、細石刃核素材を含む両面加工石器類やトゥールには遠隔の産地からもたらされたものもみられるが、それぞれの地域での石器製作作業の主要な部分は近在の石材資源の開発に支えられていた(第Ⅳ章2節)。以上のような後半期の状況は、前半期と比較して相対的に狭い地域でのロジスティック(兵站的)な戦略に支えられた資源開発を示しているとみてよい。
編年的・年代的検討(第Ⅲ章)によれば、後半期細石刃石器群は概ね13,500~10,00014CyrsBPと想定される。後半期初期(13,500~13,00014CyrsBP)は最寒冷の気候ではないものの晩氷期の急激な温暖化の開始との前後関係が微妙な時期であるが、後半期細石刃石器群の大部分が基本的に晩氷期に年代づけられることは間違いない。晩氷期の気候は、温暖化傾向が明瞭ながらもその終末期の寒冷化(所謂新ドリアス期)の可能性を含めて激しい寒暖の変動を示すことが一般的に知られている。
当該期には、森林の拡大、草原性の中・大型動物および北方系の有蹄類の減少・絶滅、シカ属(エゾシカ)の分布域の拡大と個体数の増加という大局的な傾向が想定されるが、植生や動物群の時間的・空間的変動性が著しく増大していたことにも注意しなくてはならない(第Ⅱ章3節)。先述したような後半期細石刃石器群にみられる組織的特徴や居住・移動システム、そして相対的に狭い地域でのロジスティック(兵站的)な戦略に支えられた資源開発は、こうした晩氷期の資源環境との関係の中で成立していたとみなされる。