澄観における「心」の思想の研究 ―一心・如来蔵・仏性を中心として―

張 文良

澄観の「心」の思想については、いくつかの先行研究を除けば、本格的な研究は決して十分なものとはいえない。本論文では、澄観の「心」の思想を解明するため、『華厳経疏』をはじめとする澄観の『華厳経』諸注釈書を基本テキストとし、澄観の一心観・如来蔵観・仏性観などを分析し、それによって彼の「心」理解の方法論と性格およびその根底に流れるかれの根本的立場を明らかにしたい。
本論文は七章からなっている。
第一章「予備的考察」においては、澄観教学理解のための基礎作業として近代における澄観およびかれの「心」思想に関する研究史を概観し、澄観の伝記・著作(とくに『四十華厳』の注釈書である『行願品疏』)を検証する。最終に、澄観の教判説を、法相宗と法性宗という視角から検討し、澄観の仏教思想の根底にある価値意識・基本的立場を考察する。
第二章「唯心と一心」においては、『八十華厳』「夜摩宮中偈賛品」の「覚林菩薩偈」、「十地品」の「三界唯心偈」、及び「問明品」の「覚首菩薩偈」に対する澄観の解釈の考察を通じて、澄観の「心」「心性」理解と、智儼・法蔵の理解との異同を検証する。
第三章「心性としての如来蔵」においては、二種如来蔵の概念と、如来蔵と阿頼耶識との関係性を中心として、澄観の如来蔵観を検討する。
第四章「転換の論理―心と心性の通路」においては、澄観における転依説・四智説及び阿摩羅識説を考察し、澄観が心と心性とを如何に結び付けているのかを検討する。
第五章「心性・法性・仏性」においては、澄観の仏性論に焦点を絞り、心性・法性・仏性という三つの概念の異同に関する澄観の理解を考察し、成仏のための実践論における「心性」概念の特徴、及びその思想史的位置づけを明らかにする。
第六章「澄観の禅思想・念仏観における心の思想」においては、澄観の禅思想、及び唯心念仏思想の考察を通じて、かれの禅宗観・念仏観に現われている「心」の思想の特質を検討する。
第七章「宗密に及ぼした澄観の「心」思想の影響」においては、宗密の唯心観・禅宗観・如来蔵思想・人性論などを考察し、宗密の「心」の思想に現われている澄観の「心」の思想の影響と変容を検討する。
以上の考察を通じて明らかになった点を要約すれば、次の七点となろう。
第一に、澄観は法相宗と法性宗とを判別し、法性宗の立場を実教、最高の教えと位置づけながら、法性宗と法相宗との融会を図ろうとする。
第二に、『華厳経』の唯心思想に対する澄観の理解は、智儼・法蔵の説を受け継いだ点が多いが、観法を重視する実践性と、存在根拠としての真心を重視する主体的姿勢が鮮明である。とくに澄観は「心」(阿頼耶識と意識)と「心性」(如来蔵・自性清浄心)を区別し、存在根拠としての如来蔵から識としての要素を排除し、如来蔵の一元性を強調する。
第三に、『勝鬘経』における空如来蔵の「空」は、本来、煩悩の欠如・虚無を意味するものであるが、澄観は第一義空・畢竟空の観点から解釈している。澄観の如来蔵の解釈と、浄影寺慧遠、法宝の説との関連は注目に値する。澄観は、阿頼耶識と如来蔵との関係を実教の立場から捉え、如来蔵識という概念で二者の和合を主張しながら、如来蔵識の空性の性格を強調する。
第四に、澄観は法性宗の立場にたって、転依・四智・阿摩羅識など概念を再解釈することによって、不生不滅の真如法身の転依を共時性のものとすると同時に、それが生滅法の識の転依とは不一不異であるとする。
第五に、澄観は、正因仏性(第一義空)と了因仏性(智慧)との一体化、心性・法性と仏性との不一不異、理仏性と行仏性との区別を力説し、心性の普遍性と実践性を成仏の実践目標と絡めて明らかにする。
第六に、澄観は、無念・離念、見性成仏・非心非仏など概念を、華厳円教の立場から再解釈し、心の寂と知の両面を説きながら、心・仏への執着を排除しようとする。また、澄観は、真心・自性清浄心に基づいて究竟の唯心念仏を捉える。
第七に、宗密における「心」の思想は、澄観の思想と一致するところが多いものの、肉団心・縁慮心・集起心・堅実心という四種心説、「触事皆心」説、独自の禅観説、人性説などは、宗密が新しく開拓したものである。
以上述べた澄観の「心」の思想の特質をまとめれば、次のように特徴づけられるだろう。①「心」を「心」と「心性」、妄心と真心とに分けて、一切の存在の根拠を心性・真心に帰着させながら、心と心性との一体性をも力説する。②心性としての如来蔵・自性清浄心は、第一義空を本質とすると解し、如来蔵縁起と空思想との融会を図ろうとする。③心性・法性・仏性の非一非異の関係によって、心が空性と智慧性を併せ持つことを示し、「心」の主体性・実践性を重視する。このような立場は、以後の中国思想界に受容され長く影響を与えた。

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