本論文で取り上げる『菩薩地』および「摂決択分中菩薩地」は,瑜伽行派の基本典籍『瑜伽師地論』の一部を構成する文献である.一般に『瑜伽師地論』は思想的発展段階の異なるいくつかの部分から構成されていると考えられており,その中でも特に古い思想を伝えている部分の一つが『菩薩地』とされ,その『菩薩地』の思想を継承・発展させたものが「摂決択分中菩薩地」と言われている.『菩薩地』の思想は言語表現し得ない実在としてのvastuという概念を中心に構成されており,唯識思想を説く瑜伽行派の学説全体から見ると特異な学説と見られている.本論文では『菩薩地』「真実義品」から「摂決択分中菩薩地」への思想展開について,このvastuに関する学説の変化を考察することを目的としている.
上記の課題に対して,具体的に次の三点に焦点をあてて,考察している.
①『菩薩地』「真実義品」のvastuに関する学説と五事説・三性説の思想史的関係
②vastuが言語表現し得ないことに関する三つの論証に見られる『菩薩地』から「摂決択分」への思想的展開
③分別からvastuが生じるという学説に見られる『菩薩地』から「摂決択分」への思想的展開
①では『菩薩地』のvastuに関する学説を整理し,それが「摂決択分」の五事説に継承され,新たな術語を用いて解釈されている点を指摘する.また,「摂決択分」の三性説に関しては,その学説の起源とされている『解深密経』との関係を中心に考察し,五事説が『解深密経』の三性説の前提となっている点を指摘する.
②③は『菩薩地』「真実義品」で説かれ,また「摂決択分」の五事説および三性説に関する論述の中でも繰り返し取り上げられ,再解釈されている話題である.vastuに関連するこの二つの論題を『菩薩地』から「摂決択分」の五事説・三性説の記述の中で辿った結果,『菩薩地』「真実義品」と「摂決択分」の五事説で説かれる内容は基本的に一致しているのに対して,「摂決択分」の三性説に関する記述では,思想的に新たな展開の素地を提供したり,あるいは基本的な点でそれ以前の学説と異なっているという傾向が見られる.このことから『菩薩地』以来のvastuに関する学説に変化が生じる過渡期の思想が,「摂決択分」の三性説に関する記述の中に現れていると考えられる.
この傾向が唯識思想とどのように関連しているのかという点については,本論文で扱った資料では十分に論じきれないので,今後の課題としたい.