本論文は、宗教的多元性とはどのような事態であり、それは理論的にはどのように表現されるものなのか、そしてその実現のためにはいかなる要件が課されるのか、という問題を、従来の宗教社会学理論の検討を通じて探究する。
序では、「宗教的多元性」の語義規定を行うとともに、従来主に用いられる「宗教多元主義」の語との違いを明らかにする。その上で従来の宗教社会学における宗教的多元性の論じられ方の変遷を概観し、全体概要を示す。
1章では、ある社会において、ある宗教が独自の価値観を保持することと、全体社会の秩序ある状態が実現することとの間に存在する齟齬や矛盾点をあぶり出すため、米国のヨーダー事件とその判決についての議論を取りあげる。判決を支持するM・サンデルと、反対の立場をとるW・キムリッカ、井上達夫の議論を検討し、井上による、宗教を市場的な自由選択の対象とすべきであるとの議論から、続く2章で宗教と市場の関係について検討する。
2章では、P・バーガーが1960年代に行った宗教の市場的状態についての考察と、主として1990年代以降盛んな宗教の合理的選択理論の論考とを比較検討し、市場についての評価の変化を世俗化についての理解の変化とともに確認し、市場が設定されれば自動的に宗教的多元性が実現されるわけではないことを確認する。
3章では、市場以外のどのような原理が宗教的多元性を可能とするのかを、公共空間の問題として考え、公的なものと宗教との関係についての従来の論考は、公共宗教論の主張とリベラリズムの「信教の自由」とにモデル化されるが、両者はともに宗教的多元性の原理的基盤としては不充分であることを確認する。
4章では、公共宗教論やリベラリズムの「信教の自由」に代わるべき原理は何なのかを考えるために、社会を何らかの価値の共有として理論化する、より基底的な議論を扱う。パーソンズとバーガーを検討対象とし、両者の理論上の難点として、社会成員にとって宗教がどのようなものであるのか、という問題が、パーソンズやバーガー自身にとっての宗教にすり替えられている点を指摘する。
5章では、当事者の主観的観点と観察のレベルからの観点とを区別することによって、世俗化論がどのように捉え直されるかを考察する。世俗化論として問うべき課題は、ある社会は世俗化しているのか、どのようにして世俗化したのか、といった問題ではなく、「近代化」の過程を通じてある社会の一体性がどのように形成され、その歴史としての脱「宗教」論・世俗化論がいかにしてつくり出されてくるのかという問題を、その社会のうちに「宗教」が見出される過程とあわせて問うことであると主張する。
6章では、以上に検討した議論を秩序問題の構図を利用して整理し、宗教的多元性の基盤としての公共空間の要件について検討する。結論として、宗教的多元性とは、「宗教」を「意味」として分節する認知様式が多元的である様態であり、その多元性は「社会」の再分節化としての再審に開かれた、批判の準拠点たる公共空間が各認知様式に組み込まれていることを要件とすると主張する。