日本語疑問文におけるイントネーションの実験研究

鄭 恩禎

本研究は、日本語東京方言の疑問文のイントネーション・パタンを分析・記述することを目的とする。
本研究では、イントネーションのより客観的な記述を可能にするため、音響音声学的な研究方法を導入し、それにより、東京方言の疑問文、そのなかでもとくに疑問終助詞を含まない疑問文について、各種の発話意図の下でどのようなイントネーション・パタンが現れるかを明らかにすることを第一の目的とする。あわせて聞き手の側にも焦点を当て、話し手の発話意図と聞き手の解釈の一致・不一致について考察することを第二の目的とする。
実際のイントネーション・パタンの記述にあたっては、次のような方法で研究を進める。まず、対象となる発話はすべて録音し、音声分析プログラムを用いてそのイントネーション・パタンの周波数を解析する。さらにイントネーションにおける話し手と聞き手の認識の違いを調べるために、分析した数値を順次入れ替えた合成音サンプルをパソコンで作成し、これを用いて聴取実験を行う。
以上のように、日本語東京方言の疑問文のイントネーションを対象に一連の実験に基づく研究を行った結果の詳細は次のようにまとめられる。
1.話し手について
1)「やる?」・「なにやる?」・「なんかやる?」のすべての疑問文において、文末の上昇が観察され、それが疑問の発話意図と結びつく特徴であることが確認された。
2)「やる?」・「なんかやる?」における「判定要求」・「確認」の話し手の発話意図の表現には、文の後半部(単純疑問文においては文全体)の「やる?」における、文の終わりと出だしのピッチの値の差が関与していることが明らかになった。
3)「なにやる?」の「情報要求」・「確認」においては、ピッチの全般的な高さ(文の前半部のピッチの最高値と文の後半部における、終わりと出だしのピッチの値の差を含む)と発話持続時間が関与していることが明らかになった。
4)単純疑問文、疑問詞疑問文、不定詞疑問文すべてにおいて「不満」の発話意図には、発話持続時間、とくに「やる」の「る」の部分の発話持続時間が大きく関与することが明らかになった。
5)単純疑問文の「やる?」と、疑問詞疑問文「なにやる?」の「やる」の部分の文末上昇を比べると、アクセント核のある疑問詞(「なに」)に先立たれる方が、その文末の上昇がかなり小さいことが観察された。これは疑問詞の部分に質問の焦点が来て、その次を下げるというアクセント核の影響が強く出て文末の上昇が抑制されたものと考えられる。
6)一方、不定詞疑問文「なんかやる?」の場合は、「なにやる?」の場合とは異なり、不定詞(「なんか」)のピッチの最高値より文末のピッチの値が大きいことが観察された。これは「なんか」が不定詞で、疑問詞のように文の焦点とはならないため、「なんか」のアクセント核による影響がそれほど強く出ないからであると考える。
2.聞き手の意識の側から
1)単純疑問文「やる?」の場合。一般的に文の終わりと出だしのピッチの値の差を手がかりにして「平叙」・「判定要求」・「確認」の区別をしていること、「不満」では、発話持続時間を重要な弁別要素として他と区別していることが明らかになった。
2)疑問詞疑問文「なにやる?」の場合。「情報要求」と「確認」については、この2つの文のイントネーションは確かに違うとは聞いているが、それを「情報要求」と「確認」という意図の違いには結びつけず、文の後半部「やる?」の発話持続時間の違いと文全体のピッチの高さを手がかりに「情報要求」のなかでのニュアンスの異なる変種として聞き分けていることが明らかになった。
3)不定詞疑問文「なんかやる?」の場合。「判定要求」および「不満」については、発話持続時間、とくに文の後半部「やる」の発話持続時間が聞き手の判断に大きく関与していることが分かった。
3.話し手と聞き手の関係
1)本研究で取り上げた疑問文の項目では、話し手の発話意図、および聞き手の解釈にかかわる音響要素として重要な弁別要素になるのは、単純疑問文では「文の終わりのピッチの値と文の出だしのピッチの値の差」と「発話持続時間」の2つ、疑問詞疑問文では「文の後半部における発話持続時間」、不定詞疑問文では「文の後半部における、終わりと出だしのピッチの値の差」と「文の後半部における発話持続時間」の2つであると結論づけられる。
2)ただし、疑問詞疑問文「なにやる?」の「情報要求」と「確認」において話し手の発話意図と聞き手の解釈の間には大きなずれがあったことが観察された。

以上、本論文では、日本語東京方言の疑問文のイントネーションを対象に実験音声学的研究を行った。先行研究では「疑問文」としてひとくくりにして「上がり調子」と記述されがちであった疑問文のイントネーションについて、その種類を分け、細かな音響要素を設定して分析することにより、話し手は発話意図に応じてパタンを用いていることを明示的に示すことができた。
また、合成音声を用いた知覚実験を行うことにより、聞き手が解釈の手かがりとしている音響要素を抽出することができた。これらの結果を比較することにより、実際に用いられる疑問文のイントネーション・パタンでは、話し手の発話意図と聞き手の解釈が必ずしも一致しない場合があることが明らかになり、そのずれは話し手の発話意図に用いられる音響要素である発話持続時間と文全体に加わるピッチの値の高さが、聞き手の側にとって発話意図の解釈の弁別要素として働いていないことによって起こることを示すことができた。
本研究では東京方言のイントネーションに関するモデルを取り扱っているが、ここで用いた研究方法は、対象言語を制限するものではない。したがって、将来、日本でのほかの方言(例えば:茨城方言)、さらに他言語の方言(例えば:韓国語のソウル方言、プサン方言など)のイントネーション研究への応用が考えられる。本稿は、このような意味で、日本語の疑問文の音声現象を客観的に捉える一つの試みである。これを手がかりとしてイントネーションの研究をさらに深めていきたいと考えている。

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