日本外交における新国際秩序の模索 ―満州事変から日ソ中立条約まで―

金 英淑

本稿は五章構成からなっている。第一章では、満州事変から中ソ国交回復までの過程を、日中ソの相互関係から考察した。すなわち、日ソ間の不可侵条約締結交渉と中ソの国交回復交渉、日中間の満州国承認をめぐる交渉である。日本の満州国承認によって中国は、ソ連の満州国承認阻止に積極的になるが、日ソ交渉は不可侵条約締結までは至らなかった。その結果、国際連盟を舞台に中ソ国交回復宣言がなされた。
第二章では、満州事変がもたらした国際情勢の変化の中で、日本外交がどのような新しい国際秩序を模索していたのか、また、その中で、日ソ不可侵条約はどのような役割が期待されたのかを分析した。
第三章は、第一章の日ソ不可侵条約締結交渉が、日ソ懸案問題解決の方向に日ソ関係を変化させていく中での、その代表的懸案解決交渉として東支鉄道売買問題を考察した。この交渉は、一部には日ソ不可侵条約締結交渉過程の一環として期待され、またソ連による事実上の満州国承認としての意味も大きかった。しかし、この東支鉄道の売買成立をもって、逆に日ソ不可侵条約問題は一段落を告げるのである。したがって、日ソ不可侵条約締結問題を考察するに当たって、第一章はその交渉過程を、第二章は日本外交の新しい国際秩序模索の中での位置づけを、第三章は日ソ不可侵条約締結交渉から懸案問題解決交渉の変容として分析してきた。
次に、第四章では、ソ連を対象とする日本の防共外交構想が日中戦争勃発を通じて日独伊防共協定として成立していく時期を分析した。中国、イギリスを含む防共協調体制構想は、結局日独伊防共協定として結実するが、それを当時の国際政治論あるいは、外交論がどのように評価したかを検討した。最後に、第五章では、防共を中心とした日本外交が独ソ不可侵条約締結をきっかけに、イデオロギー的国際秩序から地域的国際秩序に転換されて、三国同盟の内部にソ連を含む四国同盟論に変容し、日ソ中立条約締結論に至ったことを分析した。すなわち、第四章と第五章においては防共協定から日ソ中立条約に至る外交論の検討に重点を置いたのである。
このように満州事変から一九四一年四月の日ソ中立条約までの日本外交における新国際秩序の模索を検討してきた。日ソ中立条約締結は、満州事変期のように日ソ間の国内的要求に応じて提議されたのではなく、独ソ不可侵条約の結果日本外交の地域的な国際秩序のなかに飛び込んだものであった。日独伊三国同盟の中でソ連をも含む国際関係が要求され、四国同盟構想まで拡大されたのである。しかし、日本が日ソ中立条約締結を通じて獲得しようとした、ソ連の中国援助とソ米関係の断絶は、すでに締結の時から達成できない状態であった。締結後二ヶ月で勃発した独ソ戦は、日本の新国際秩序構想を崩し落とす結果となった。日本外交は国際情勢の急激な変化の中で、新国際秩序構想と現実外交の矛盾を解決できなかったのである。

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