南北朝の内乱を描いた文学作品のうち、『太平記』を中心に取り上げ、その叙述方法の特質を探るのが本論考の趣旨である。
まず序章では、武家政権と関わりながら成立した作品群のうち、『太平記』だけが党派的性格を有していないことに注目し、今川了俊の『難太平記』に記される尊氏降参記事の問題を手掛かりとしながら、『太平記』の成立過程と叙述の基本的性格について論じた。
続いて、先例故事との類比という観点から考察を加えたのが第一部の各論である。第一章では『太平記』が『平家物語』の記事を先例として要約引用している箇所に注目し、それらをもとに、太平記作者が治承寿永年間の源平合戦をどのように捉えていたかについて考察した。二つの年号と源平両氏とをそれぞれ結び付ける捉え方は、源平交替史観に繋がるものとして注目に値する。第二章では『梅松論』で語られる承久合戦の記事について考察した。作中の後鳥羽院政の記述には建武政権の乱脈ぶりが投影しており、その結果、二つの内乱は緊密に結びついていると考えられる。第三章では『太平記』巻十二に引かれる北野天神縁起を考察対象とした。当該説話は、本来は由緒解説のためのものであるが、同時に、無実の罪を着せられた菅原道真と護良親王とを重ね合わせる機能をも有しており、二重の意味で本筋のストーリーとつながっている。一方、第四章では本筋から逸脱する故事説話として、巻三十七の長恨歌説話を取り上げた。当該説話においては複数の主題が発現しており、かつストーリーを盛り上げるべく脚色が施されていることが確認される。
次に、『太平記』本文に表れる多角的視点や多義性に着目して作品論を展開したのが第二部である。第一章では巻八の合戦譚を取り上げ、相争う二つの陣営のどちらにも過度に寄り添わない姿勢が表れていることを論じた。第二章では持明院統の皇位継承記事がいずれも後醍醐天皇の退場を承ける形で配置されていることを明らかにした。それは皇位継承を晴れがましいものとして演出するための方法であるが、実際には必ずしも絶対の寿祝として機能していない点が注意される。第三章では足利直義像が成立当初から相反する二面性(敬虔および非道)を有していたことを指摘し、それが流布本へと推移する過程で、場面本意に賞賛もしくは批判の度合いを増していったことを確認した。第四章では巻二十六の宝剣献上記事の持つ意味と、同巻の記事配列方法の意図を探ることを試みた。本来これは本物の宝剣が黙殺される話であったと考えられるが、後世には逆の解釈が行われていることが知られる。二つの解釈が並び立つというのは注目すべき現象である。第五章では巻二十九の桃井直常入京記事を取り上げ、それが新たな事件展開を直截的に予告する形から、当時の主義主張の錯綜状況を表象する褒貶並列形式に改められたことを明らかにした。多様な意見の存在が容認される作品世界のあり方を確認する試みである。
最後に終章では、故事との類比によって保証されていた内容が相対化される事例として、巻四十の中殿御会記事に注目した。本論考の主眼とする二つの叙述方法は、このように一方が他方を相対化するという形で併用されることがある。その点が『太平記』の歴史叙述の大きな特徴であると考えられる。