知識ストックマネジメントによる持続的経済成長の可能性に関する研究 シミュレーションモデルによる技術転換発生メカニズムの解明と日本経済における実証研究

榊 俊吾

従来のイノベーション研究あるいは科学技術政策研究では、限られた資源を、いずれの領域に、どのような比率で配分すれば、社会的厚生基準の観点から、かつ時間を通じて、より望ましい経済状態を実現できるかという、技術革新をめぐる古典的な問題が定量的に議論されてこなかった嫌いがある。本稿では、この問題を、新しい知識の領域と既存の知識の領域の間で意思決定される資源配分問題として構成する。そして、時間を通じた資源配分をコントロールするための実効的な基準の提案、制御の方法、持続的成長を実現する資源配分比率について、一定の解答を得ることに成功した。
第1章では、シミュレーション分析・実証分析を展開していく上での議論の前提として、持続的経済成長のマクロ調整メカニズムとしてのイノベーション・システムに求められる資源配分上の要件を整理していく。まずイノベーションの特性を明らかにしたうえで、イノベーション・システムを、静学的な効率性を促進するものとシュンペータリアン的な効率性を促進するものとに分けて、それぞれに求められる要件、問題点等について議論する。そして、これらの効率性をめぐる政策論の経緯について日米のこれまでのイノベーション政策を事例に組織論的な観点から検討している。
続く第2章、第3章では、イノベーションに伴う資源配分問題への解答を試みるために、シミュレーションモデルを構成する。第1章で分類したイノベーションの特性に即して言えば、持続的な経済成長は、シュンペータリアン的効率性を促進することで技術経済パラダイムを転換し、同時に静学的効率性を促進することで技術革新の成果を国民経済全体に普及させ、生産体制、組織、制度を整合的に整備していくという、資源配分上の両立性を模索することによって実現される。第2章、第3章では、本来イノベーションの要件である不確実性は捨象する一方、歴史的経路依存性を射程とした「決定論的」な枠組みで考え、「静学的効率性」と「動学的効率性」をめぐる資源配分上の制御を実現するモデルを構成する。
第4章では、シミュレーション結果を通じて、第一に、知識ストック(技術)の転換による持続的成長経路の存在性、およびその条件として研究開発の収益がごく少数の主体に集中する分布の歪みが必要な点を明らかにしている。第二に、持続的成長経路における知識ストック選択経路の性質として、ある知識ストックが支配的な技術になっているとき、GDPの成長率は相対的に低下し、技術開発の方向性である知識ストック選択比率は分散化し、逆に知識ストックの転換期には、GDPの成長率は相対的に上昇し、知識ストック選択比率は新しい知識ストックに集中化する傾向にある。第三に、知識ストックの価値を償却率で制御することによって持続的な経済成長経路に導くことが可能であり、その制御条件は、特定の知識ストックがシステム全体に普及する過程では、償却率を低く制御することで静学的効率性を高めるような資源配分を促進させ、逆に特定の知識ストックが経済システム全体に普及して生産性が低下しはじめる時期には、償却率を上昇させながら動学的効率性を高める資源配分を促進させることである。第四に、長期的には、静学的効率性を促進するための資源配分上のウェイトを高く維持する一方、新たな技術に転換するための資源配分である動学的効率性のウェイトは相対的に低い水準で十分である可能性を指摘している。
第5章では、第4章で得られたシミュレーション結果に関して、わが国の長期時系列データから検討を加えている。第一に、研究開発の収益分布の歪みが1990年代におけるわが国の上場企業の有価証券報告書データから確認された。第二に、技術の多様化と画一化という現象が限界生産性と有意な関係にあることが、わが国の1969~2000年度にいたる上場製造業における有価証券報告書データから確認された。第三に、知識ストックの償却率を有形固定資産の取得ベースの除却率で見たとき、有価証券報告書のデータからシミュレーション結果と整合的な関係が確認された。特に、90年代後半に限界生産性が急落した時期には除却率を上昇させ、資本ストックの転換を図っている様子が見られ、持続的成長のための制御条件が少なくともわが国の上場製造業企業に関しては満たされていると考えられる。第四に、民間企業資本ストック統計から見たわが国のマクロの除却率の推移は、シミュレーション結果の示唆する制御条件を満たしていない可能性が指摘される。1990年代半ば以降、上場企業に関しては除却率の上昇が示唆するようにIT化に対応したストック転換への取り組みが顕著に認められるにもかかわらず、企業数にして99%を超える非上場企業におけるIT化への取り組みの遅れによって、IT化の技術転換がもたらすパフォーマンスが日本経済全体として享受できていない。そればかりか、この上場企業と非上場企業との間にある、知識ストックが規定するシステム間の不整合によって、生産性がいっそう阻害されている可能性、いわば「システム間不整合の非効率性」が発生している。

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