アメリカ文学研究にあたり、「文学史の見直し」は、重要な課題であり、その流れの一環として19世紀末から、20世紀初頭に活躍した二人の作家、HenryJamesとF.MarionCrawfordを比較研究する。ジェイムズはアメリカ文学史上、心理主義リアリズム小説の大家といわれる。かたや、彼と同時代のロマンス小説家、クロフォードは現在ほとんど本格的な研究がされていない。両作家とも同時代を生き、アメリカ人でありながらヨーロッパに暮らし、ヨーロッパを舞台とする「国際的」なテーマを扱う、というように共通項が多い。だが、その生存中と死後の評価は逆転しており、二人が筆をふるった19世紀後半では、クロフォードの評価は決して低いものではなく、むしろジェイムズより高かった。この評価の逆転はなぜおこったか。また概して、ジェイムズ作品はリアリズム、クロフォード作品はロマンスという分類がなされるが、この分け方にも再考の余地があると思われる。そして、ジェイムズのクロフォードに対する並々ならぬ関心も考慮すると、この二作家の比較考察が必要になる。本論文は、主としてジェイムズとクロフォードの相互テクスト性を考察する。そうすることで、ジェイムズ作品の新解釈を求めるのみならず、今日のクロフォードの評価を再考する。両作家の創作理論や伝記、書簡とあわせて、分析の対象には「国際状況」をめぐる小説ならびに短編作品、特にイタリアにまつわるテクストを扱う。ジェイムズにとっては憧憬の地であり、クロフォードには米国以上の故郷と考えられるイタリアは、両作家にとって格別の意味を持つと考えられるからだ。具体的にはジェイムズのThePortraitofaLady、TheWingsoftheDoveとクロフォードの代表作「Saracinesca三部作」を比較検討する。また、二人とも「超自然」のテーマを扱うので、「国際的」な設定の幽霊物語を特に検討する。
両作家の作品を比較すると、19世紀後半に、アメリカ人作家の手により、ヨーロッパ、特にイタリアを背景とした「国際もの」と呼べる一つのジャンルが形成されていたことが分かる。経済的成功、人気、名声を博したクロフォードは、同じジャンルで創作するジェイムズにとって羨望の的であると同時に、反面教師でもあったといえよう。というのも、前者は当時のヴィクトリア朝の社会風習を是認し、典型的なメロドラマの慣習にのっとり、力強い直線的な語りを持った作品を量産していたからだ。対照的にジェイムズは、同じ国際状況という主題を扱いながらも、独自の作品世界を生み出した。それは視点人物の活用、「罪」の再定義、秩序の回復することのない新手のメロドラマといった側面を含む。クロフォードというアンチ・モデルを持つことで、ジェイムズの独自性は磨かれたということもできよう。そして「国際もの」のジャンルは、これらの相反する作家たちの競合により、いっそう豊かなものになったと考えられる。
しかしながらジェイムズ、クロフォードとも、リアリズム小説とロマンスについての見解では歩み寄りを見せる。両者とも作品の中に、リアリズム小説の要素とロマンス小説の要素を多様な比率で混在させているのだ。リアリズム小説とロマンスの境界は、曖昧なのである。換言すれば、異なるジャンルの混在が二作家の芸術的価値を高め、各々の作品の豊かさを増す。このためには、歴史と文化にあふれるイタリアという舞台は、異ジャンルの融合に格好の場を呈した。もっともイタリアへのスタンスは両作家で異なる。イタリアへは訪問者以上の立場をとれなかったジェイムズにとって、ローマやヴェニスは、あくまでも憧れの地、ロマンティックで想像力をかき立てる源でしかなかった。かたや、米国籍とはいえ、イタリアで生まれ育ち、そこを一生の住まいとしたクロフォードにとっては、イタリアは現実の生活の場所であり、統一運動後の都市化、産業化が進んだ「永遠の都」はロマンスの舞台となりえなかった。
ジェイムズ、クロフォードの場合、リアリズム小説、ロマンスの攪乱された境界の延長線上に、「超自然」というジャンルがあるように思われる。しかし、このジャンルの意味は、両作家にとって微妙に異なる。ジェイムズにとっての「超自然」とは、表現様態を実験する場であり、それはリアリズム描写を超え、ロマン主義以外の新たな様態を可能にした。かたやクロフォードにとって、彼好みのイタリア貴族たちのロマンスが時代遅れになったとき、「超自然」のジャンルは新たな創作の可能性を開いたといえる。
他にも創作と歴史観や、作品の映像化という諸問題でも両作家は対照的な位置にある。特にクロフォードのファミリー・サーガにあらわれる歴史性や、ロマンスというジャンルの問題が後世の評価に影響し、二作家の運命を逆転させることになる。本格的なテクスト分析が少ないという事実もクロフォードの再評価を阻む理由と考えられる。かくして、ジェイムズとクロフォードは、その経歴、作品、評価、大衆文化への影響という点において、独特な関係を保ち、互いに「光と影」となり続けてきたといえる。