物体認知の不変性に関する実験心理学的研究

光松 秀倫

人間が、物体を観察する場合、照明、視点、視線方向の変化によって、物体の網膜像は、変化する。照明が明るい場合には、物体の外側だけでなく、内部の輪郭まではっきりと観察できるのに対して、照明が暗いと、物体はシルエットとして観察され、内部の輪郭は、観察することができない。視点が変化すると、観察できる物体の部分や面が変化する。視線方向が変化すると、視線を基準にした物体の位置が変化する。物体の認知が、観察条件の変化の影響を受けないことを物体認知の不変性という。本論文では、物体認知の不変性に関する従来の研究が提示した問題に関して、実験心理学的手法を用いて検討した。第1章では、従来の研究を概説し、問題点を指摘した。照明に関しては、正面の角度から物体を観察した条件に限って、線画に比べてシルエットの認知成績が低下する。視点に関しては、視点が変化すると認知成績が低下する(視点依存効果)。位置に関しては、位置の変化が予測できる実験環境において、位置の変化が予測と同じ条件に比べて、位置の変化が予測と異なる条件では、認知成績が低下する。
本論文は、大きく3つに分けられ、それぞれ、照明、視点、位置の問題を扱った。第2章では、照明の問題を扱い、なぜ物体を正面から観察したときに限って、線画に比べて、シルエットの認知成績が低下するのかを検討した。第2章の実験では、物体画像に先行して、物体の対称軸の方位を示す矢印を手がかりとして提示した。その結果、線画とシルエットの認知成績の差は消失した。このことから、シルエットに欠如している内部輪郭は、物体の3次元的な方位情報を提供することが示唆された。この知見は、物体の形態の表象形式が3次元的であることを示唆している。
第3章では、視点の問題を扱い、物体の形態の表象形式について検討した。視点依存効果が形態の表象形式の視点依存性を反映していると主張する研究者たちは、表象形式が、テンプレート的であるという仮説を提唱している。一方、視点依存効果が表象形式を反映していないと主張する研究者たちは、形態の表象形式が、視点に不変な構造記述であるという仮説を提唱している。構造記述仮説では、物体認知が、物体の部分の視点不変な特徴に基づいてなされることを仮定している。この論争は、現在に至るまで決着が付いていない。その大きな理由は、視点依存効果が非常に頑健であるために、視点依存効果を消失させる要因を特定することが困難であるからである。第3章では、物体と観察者の位置関係を変化させることによって、網膜像の変化を予測可能にし、視点依存効果が消失するかどうかを検討した。その結果、網膜像が変化した条件の物体認知成績が、網膜像が変化しなかった条件と等しく、視点依存効果が生起しなかった。この結果は、物体の形態の表象形式が3次元テンプレート的であることを示唆している。つまり、網膜像の変化を、脳内に作られた物体の3次元モデルを回転させることによって、予測することができたと考えられた。これは、物体が、観察者を中心とした観察者中心座標で表象されていることを示唆している。
第4章では、位置の問題を扱い、位置の表象の座標が、網膜上での位置を基準として表象されているのか(網膜座標)、環境内のある位置を基準として表象されているのか(環境座標)について検討した。方法として、比較すべき2条件で、網膜に投射される物体の配置を等しく保ち、環境内での物体の配置が異なる実験環境を考案して,物体認知の成績に差が生じるかどうかを検討した。その結果、2条件間で物体認知成績に差が生じたことから、位置の表象が、環境座標で表象されていることが示唆された。
第5章では、物体認知の不変性の全体像に関して、総合的に考察した。本論文の研究から、従来の研究の仮説に対して、新たな示唆を与えることができる。従来の仮説では、脳内の視覚経路が2分岐し、1つは、形態の処理に特化し、もう1つは、視点、位置の変化の処理に特化していると考えられてきた。本論文では、第2章と第3章から、形態の表象形式が3次元であるという、整合的な知見が得られていることから、形態は、3次元的に処理され、照明と視点の変化に関する処理と密接に結びついていると考えられた。また、第3章から、形態が、観察者中心座標で表象されていることが示唆されているのに対して、第4章から、位置が、環境座標で表象されていることが示唆されている。形態と位置の表象が、それぞれ、異なる座標系で表象されていることは、2つの表象が、異なる神経経路で処理されていることを示唆している。以上の考察をまとめると、本論文の実験結果から,人間の脳内には、照明、視点に依存した3次元的形態の処理経路が存在し、それとは独立した処理経路として、位置の処理経路が存在する可能性が示唆された。

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