本研究は、多様な身分と職分の共在する都市江戸東京における戸籍政策の変化を追い、近世身分制の解体過程と戸籍政策の関係を明らかにすることを目的とする。
明治四年戸籍法は、資本主義発達の前提たる封建的束縛(身分制)を撤廃し、「四民同一」「臣民一般」の新理念によって社会を平準化するところに意義を求める学説が通説とされてきた。
本研究は、明治初年の戸籍政策をそのような視座からのみ見るのではなく、幕末維新期の戸籍政策を移行期独自の構造をもつものとして分析し、近世身分制解体過程を明らかにするものである。
近世後期の江戸における「身分」と「職分」の語が対比的に用いられる例を手がかりとして検討すると、身分化を求める幅広い社会的動向を反映して、支配の側は「身分」と「職分」の即時的な合致を原則とする近世身分制の原理が、両者を分離し操作的、観念的に扱う方策に徐々に転換を遂げていく動向が窺える。このような動向は、近世身分制原理を堀り崩すものであり、また、このように「身分」と「職分」の分離が進行してゆくことが、明治初年の、職分や集団に直接依拠しない再編身分制に適合的な側面を形作った。
以下の各章の分析の結果、第一に、天保一四年天保人別改令から明治四年戸籍法にいたるまでの戸籍政策の具体的な内容(法令の制定・施行の時期、法令の内容、法令の実施機関、施行結果など)を把握し、特に明治初年の戸籍分析において混乱している部分の事実確定を行った。また、第二に、都市への流入民対策としての天保人別改令によってうまれた人別把握の虚構性は解消されたことを指摘し、幕末維新期の人別帳・戸籍簿には三つの類型があることを論証した。
第三に、明治初年の「華士卒籍」・「市籍」・「弾支配籍」等による近世身分制の再編統合政策について具体的に明らかにし、明治初年の身分制は、近世身分制と同一ではなく変容した身分制であることを示した。また、第四に、明治四年四月戸籍法について検討した。同戸籍法は、このような再編身分制に半ば依拠し、身分別行政と身分を越えた戸籍編成を同時に行おうとするものであったが、寄留人調査失敗の過程をへて急速に身分制的要素の克服が課題とされていく。