十九世紀に読本作者が、「国字小説」(都賀庭鐘『繁野話』序、寛延二、一七八六)を名乗ってから百年後、明治十八(一八八五)年に、坪内逍遙が「小説」の語に「ノベル」という振り仮名を付したとき、「小説」は、さらに別の概念として再生した。戯作を指す「小説」が、「小説」へと生まれ変わる前、「小説」は明治維新という変革期を迎えた。明治維新が革命revolutionであるか、改革reformであるか、復古restorationにすぎなかったのか、一概に結論は出せないが、日本列島が、中国大陸以外の文明と接触し、そこから大量の文物が到来したのはこのときが初めてであった。実際の変革の成果は別として、この西からの衝撃を軽視することはできない。「小説」は、この衝撃をどう受け止め、この変革期をどう生き延びたか。
第一、二章では、幕末から明治初期の実録小説を扱う。幕末期、戯作・演劇に実録ものが流行した。幕府の検閲機能が弱体化したという事情が、この流行を促したのはたしかだが、一方にはまた、戯作の虚誕性を否定するような思想の高揚が存在したと考えられる。そしてこの動きが、維新後に勃興した歴史創出の潮流に接続したのである。この間の実録の流れを見通すため、幕末実録や末期戯作、新時代の小説家による実録小説を検討する。分析の対象は、『近世紀聞』(一八七四・三~一八八三・二、金松堂)や『開明小説春雨文庫』(一八七六・四~、文永堂)などの実録小説、そしてアヘン戦争や台湾出兵に取材した実録類である。
第三、四章は、政治小説を扱う。政治小説は、これまで基本的に自由党系の政治小説作者の研究に偏っていた。政治小説作者のありかたを政党への帰属という条件のみにおいて考えてきたことがその原因である。そうした現状に新たな局面を開くために、改進党系や非政党系の小説類を幅広く取り上げ、分析する。
第五、六章は、翻訳の問題を考察する。明治維新後の言説空間を比喩的にいえば、〈翻訳〉空間と名付けることができる。政治や経済などの諸領域に分化される以前の、混沌とした状況は、異なる複数の言語によって成立した空間的な〈翻訳〉空間であり、同時に、維新以前の言語の再編成が試みられた時間的な〈翻訳〉空間であった。ここでは、坪内逍遙や河島敬蔵によるシェイクスピア翻訳を分析対象とする。
第七、八章は、坪内逍遙『小説神髄』(一八八五・九~一八八六・四、松月堂)が小説界の主導権を握っていく過程を、諸領域の言説との相関において考察する。分析の視座のひとつは、〈美〉学である。明治十年代の〈美〉をめぐる言説は、東京大学を中心とする知的パラダイムの転換において、重要な役割を演じた。概括的にいえば、それは啓蒙思想や功利主義、実証主義から、観念論的傾向への転換である。そうした動向のなかで、『小説神髄』によって、江戸・明治期の稗史小説とは異なる〈小説〉の生産が提唱され、その後、〈美〉と〈小説〉とは急速に結びつけられる。そのような動きを美学化aestheticization─理性の普遍性と感性の特殊性とを媒介する試み─と呼び、〈小説〉に関する言説を中心にその動向を分析する。