春秋時代の盟誓に関する基礎的研究

呂 静

盟誓は、未開の社会に人間が互いにコミュニケーション手段である。それは宗教的な信仰を前提に、人々が自らの行為を制約し、社会秩序を維持するものとして機能していた。盟誓は汎世界的な事象であるが、中国春秋時期の「盟誓」は古代史上の一つの特色をなしている。盟誓がこの時代盛んに行われただけでなく、国際間から国内まで社会のあらゆる面で用いられる。また、この時代の盟誓では盟書が作られている。春秋の歴史はこうした特異な「盟誓」を通して展開してきたといっても過言ではない。本論は春秋盟誓を対象として全面的な検討を進めるものである。
戦国時期に成立される書物に現われる「盟」と「誓」の使い方には、それ以前との差異が存在することをはじめて明らかにした。甲骨文・青銅器銘文に見える「盟」は「牲血」を用いて先祖を祭る儀式である。しかし、「盟」の祭儀には祭祀を行う者が神の前で自らするべきこととなさざるべきことをちかう、という内容はまだない。当時の人々が自己のちかいの感情を表すのに用いたのが「誓」という字である。青銅器銘文に記録される誓いの事例をみると、当時の誓いは、法の規範に類似しており、法の領域に踏み込んだ特質をもつものであったことを明らかにした。
春秋の盟誓は社会秩序維持の機能をもつと一般には認識されている。しかし盟誓を結ぶほど戦争が減るとは限らない。春秋初期の現実はその逆である。つまり、盟誓は秩序を安定させるのではなく、社会の激動を促進する触媒であった。この混乱の局面を収拾するため、対立勢力を統合しようとする動きが起こった。すなわち、「小伯」と呼ばれた鄭荘公・斉僖伯の登場である。彼らの主宰する盟誓は、調停的・容認的、あるいは寛容な性格を帯びている。その後の斉桓公と晋文公は彼らの覇業を継承・発展させ、ついには中原圏諸侯国の統制を実現した。しかし、長江流域の楚・呉・越の制覇権威は、中原式の盟誓を受け入れず自らのやり方で行う。それとは戦争であった。
春秋の「覇者」は同盟を結ぶ場で生まれた。盟誓には、元々周王が独占した霊的、あるいは政治的な権威が染み込んでおり、「覇者」はこのような宗教性の濃厚な盟誓祭儀を行うことによってこそ、霊的・政治的権威の継承者であることを衆人から承認され、そして諸侯を統制する正当性を説明し得たのである。本論では、盟誓の具体的な儀式、とりわけ、「殺牲」、「執牛耳」、「歃血」、「載書」といった代表的な手順を再考証した。
本論の最後に、春秋時期の国内盟、およびその新しい動向を検討した。国内盟は、春秋中期の後半から急速に増加した、これは、当時諸国内部の政治情勢が激しく動いていたことの結果というほかに、この時期盟誓の新しいやり方が現われたことでも説明できる。要するに、盟誓は、もはや国君や大夫など国の支配階層による秩序維持の手段であるだけでなく、国内秩序全体を再編する手段としても用いられるようになったのである。
国内盟の地域的な特質も注目される。国内盟は最初に鄭・晋・衛三国と周王朝で頻繁に行っていた、中期後半から、魯・斉では諸大夫間の盟誓がはじめて見られる。ところが、『左伝』には秦・楚・呉・越諸国の国内盟の記事が一例も見えない。国内盟が出現時期に注目すれば、社会の新しい動きには地域的特質が見えてくる。
本稿では、春秋時代(殷周も含む)の盟誓を全面的に検討した。このように盟誓を系統的に論じた研究は稀である。その意味から、本論で述べたように、このことを本稿第一の意義として強調できるだろう。とりわけ、最初の原義に述べたように、本論の具体的な検討によって初めて明らかにできた点が存在すること、さらには従来の体系的研究をどう継承し、どう批判するのかについて一つの方向性を提示し得たことを特筆しておきたい。

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