18世紀オスマン朝官僚機構における文書行政

高松 洋一

オスマン朝史は、中東イスラーム世界の歴史研究の中であって例外的に豊富な一次史料に恵まれており、近年ますます研究が活況を呈している。しかしながら、オスマン朝の文書そのものに関する研究は、古文書学と史料館学の双方の分野で乏しく、通説の誤りや未解決の問題も多い。とりわけ各文書様式の機能の解明と、官僚機構の中でいかなる文書行政が行われていたのかという根本的な問いに答えることが急務である。
こうした問題の解決のための多くの糸口を与えうる文書の様式が梗概である。梗概はオスマン朝中央の官僚機構において、地方からの様々な報告など上申文書の案件を処理する必要から、提出された文書を要約したものである。様式の点でも機能の点でも固有の特徴を有するが、これまで研究は皆無である。梗概には、大きく分けて数点の文書をまとめて大型の用紙に項目ごとに箇条書で要約したものと、それから一項目ないし数項目のみを抜粋して小型の用紙に記したものの2種類があり、前者を包括型梗概、後者を項目型梗概と呼ぶことにする。包括型梗概は原文書とともに君主の奏覧を仰ぐために提出され、梗概の各箇条の上部余白には註釈が書かれるが、それがその箇条に記されている事案をいかに処理したのかを示している。後者は各項目について大宰相が案件を処理させるため各原文書に代わり担当部局間のやりとりに使用されたことが、各種の文書の比較や梗概に補筆された情報から明らかとなる。
また、包括型梗概の本文中に実際に到着した文書の数と種類が明示されることから、当時文書の種類がどのように認識されていたかが判明する。これによって従来文書の様式の名称であると信じられてきたタフリーラートは、独自の様式をもった文書の種類ではなく、文書の一般的な総称に過ぎないことが明らかとなった。このように梗概は、オスマン朝中央政府において地方からの受信文書の実際の情報処理に使用された文書として、政策決定過程と文書行政の実体の解明に大きな意義を有する史料である。梗概が官僚機構における受信文書の情報処理の要となる文書様式であったのに対し、情報処理の結果として発信文書として作成されたのが勅令である。しかしながら勅令の正文の伝存量はきわめて少ないため勅令のテキストを知るには、勅令のテキストを控えとして作成された枢機勅令簿が参照されてきた。勅令正文と枢機勅令簿のテキストの異同に関しては、これまでも指摘され、枢機勅令簿のテキストは正文から写されたのではなく、草稿から書き写されたのであろうと推定されていた。しかしながら、勅令の草稿の実例を利用して枢機勅令簿のテキストが勅令草稿から書き写されたことは立証されていなかった。そこで勅令のテキストを1枚の料紙に記した文書を検討して勅令草稿の実例を発見し、勅令と枢機勅令簿、草稿の3者を比較を行なった。その結果従来の主張通り草稿と枢機勅令簿のテキストが完全に一致することが確認された。さらに文章の加筆修正の結果に着目し、テキストの変化の跡をたどると、時間軸にしたがって草稿、枢機勅令簿、正文の順で作成されることが明らかになった。従って枢機勅令簿のテキストは、従来の研究で指摘されたように正文の構成要素を部分的に記録したものであるばかりか、正文のテキストとの間に異同が存在する可能性があると指摘できる。
さて勅令の草稿は枢機勅令簿に書き写されただけでなく、別の料紙に複写されて、大宰相府から財務長官府への通知として用いられた。これが「勅令の写し」と呼ばれる文書である。その一方で1人称の直接話法ではなく、3人称の間接話法でしるされた「通知のカーイメ」と呼ばれる文書も大宰相府から財務長官府への通知として用いられた。これらは双方とも同じように財務長官府内の主計局をはじめとする部局の帳簿に記録され、勅令のテキストというかたちで情報は蓄積され、部局間で共有されていた。一方勅令のテキストは、帳簿に記録されるだけでなく、帳簿から書き抜いて別の文書に書き写された。帳簿に記録された抜書きされることで、先例を示し、また新たな勅令のテキストの土台を提供した。このためオスマン朝の官僚機構における文書行政の柱となるのは、勅令テキストを帳簿に記録することと抜書きすること、すなわち情報のインプットとアウトプットの繰り返しであった。
オスマン朝の文書はおおむね上記の文書処理プロセスのサイクルの中に位置づけることが可能であり、これこそが18世紀のオスマン朝の官僚機構で行われていた文書行政の実態なのであった。

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