1930年代広東省の財政政策 —中央・地方・商人の三者関係を中心に—

姜 *亜

本稿では、1930年代広東省陳済棠政権の財政政策とそれをめぐる南京政府及び広東省内外の商人階層の動向を分析するため、1930年代広東省政府の財政政策を三つの側面から検討した。
第1章では、1930年代広東省の最大財源となった専税を考察した。南京政府の関税引き上げ政策と「裁厘加税」政策に対抗し、広東省は自らの財源を保護するため地方関税である専税を創設した。専税は、財源調達の意味合いのほかに、自省保護主義的な貿易障壁の役割を果たしたが、反面、日本との国際問題となり、1935年の汕頭事件を引き起こした。とりわけ、広東省は中国最大の食糧市場であったので、洋米専税は莫大な税収をあげた。しかし、洋米専税は、南京政府の洋米輸入税政策を破壊したものであった故に寧粤関係を緊張させ、食糧への課税は広東省内の世論の反発をかった。この論戦は、1936年の両広事変以降は、洋米課税と国産化を主張する上海及び産米省と洋米免税と食糧供給の安定化を主張する広東省の間で新たな形で再現した。
第2章では、財政における請負制度の改革過程を検討した。広東省政府による請負改革の特徴は、公開入札を通じて請負商人を選択し、請負商人の準商人的な性格を薄め、準官僚的な性格を強めようとした点にある。なお、政治力が弱く、行政システムが完備していない政府にとって、商人による税金請負は、徴税費用を最小化でき、定額の税収を保証する魅力があった。結果的に、請負制度は当該時期の広東省のインフラ建設において最小資本による最大効果を発揮し、大いに寄与した。
第3章では、陳済棠広東省政府の貨幣金融改革及び両広事変以降繰り広げられた大洋と小洋との交換レート論争を考察する。広東省の金融は独自の小洋圏を形成し、上海を中心とする中国の大洋圏と隔離されていた。折しも1930年代は、中国の貨幣・金融統一の機運が高まり、如上の状況の転換期となった。広東省政府と南京政府は、改革の主導権をめぐって対立したものの、幣制改革と金融統一の方向性は共有した。1935年11月に南京政府が幣制改革を行うと、広東省政府は独自の小洋圏に基づく幣制改革を行った。しかし、金融・為替市場は広東省政府の小洋法幣に対して割引風潮と取り付け騒ぎで反応し、省政府の厳格な取り締まりにもかかわらず、香港ドルとの為替市場で小洋法幣は更に急落した。為替危機はついに陳済棠政権の政治的な没落の引き金となった。
以上の検討を通じて、本稿では以下の諸点の結論を帰納しえた。第一に、中央政府の「国家建設」と広東省政府の「国家建設」の間には相互補完・相互依存的な側面が強かった。第二に、1930年代は統制経済の強化による国家権力の民間社会への浸透が強化された点である。世界大恐慌の影響下で、経済における「国家代行主義」の台頭と同様に、国家の財政政策が民間経済に及ぼす影響力をかつてなく強化させ、財政国家としての現代国家の姿が現れた。なお、広東省政府の割拠的・自立的統制経済の志向は南京政府及び上海を中心とする中国の主流経済圏の膨張により頓挫した。第三に、商人階層は、組織化された請願運動をはじめ、密輸・紙幣の取り付け・為替投機等で積極に国家の浸透に応戦し、自らの階層利益を貫徹させ、なお時代的に共有されつつあった「国家利益」との共存を図った。そして、その経済的な行為は陳済棠政権の没落を導いた為替危機のように政治的な民意の反映として集結されうるのである。

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