負のプライミングに関する実験心理学的研究

永井 淳一

本論文は、視覚認知心理学において、今日に至るまでさかんに研究されている「負のプライミング(negativepriming)」と呼ばれる現象について、その総合的な理解を試みたものである。負のプライミングとは、先行する試行で妨害刺激(ディストラクター)として無視された刺激が、後続の試行では標的刺激(ターゲット)として注意を向けられる場合に、反応時間が遅延するという現象である。この現象は、認知心理学における「視覚的注意(visualattention)」の研究文脈の中で、ディストラクターの処理が抑制されることを示す現象として注目され、多様な刺激・課題状況の下で普遍的に生起することが報告されてきた。ここ10年間における研究数の増加は瞠目に値するが、現象の生起メカニズムを巡って理論的な対立が続いており、この現象をどのように理解すればよいのかは大きな問題であると思われる。そこで、本論文では、負のプライミングが(1)なぜ、(2)どのようにして生じているのかという二つのアプローチから問題点を整理するという立場を取り、第1章において先行研究を概観し、未解決の問題を指摘した。
前者のアプローチでは、ディストラクターに対する抑制処理を示す負のプライミングが、人間の合目的的な情報処理の反映であるとの観点から、現象の理解を試みた。個人差研究の知見や、抑制処理が行動目標に依存することを示した知見から、この観点は概ね妥当であることが推察される。そして、もし、ディストラクターに対する抑制が、ターゲットの選択を効率化するための合目的的な処理であるならば、負のプライミングとディストラクターの「干渉(interference)」との間には対応関係がみられることが予想される。しかしながら、ディストラクターの干渉と負のプライミングの関係については、対応関係を支持する知見・支持しない知見が共に存在しており、問題が残されている。そこで、本論文の第2章では、文字の同定課題において、ディストラクターの文字を回転したときの干渉と負のプライミングを測定する実験を行い、両者の対応関係を検討した。実験の結果、ディストラクターの回転に伴い、文字表象レベルでの干渉が低減された場合に負のプライミングも消失することが示された。このことから、負のプライミングは、課題目標にクリティカルな表象レベルにおける干渉との間に対応関係をもつことが示唆された。それゆえ、負のプライミングが人間の合目的的な情報処理を反映しているという本論文の基本的立場は妥当であると結論した。
一方、後者のアプローチでは、負のプライミングがどのように生じているのかという観点から、そのメカニズムの理解を目指した。しかし、負のプライミングの生起メカニズムを巡っては、無視されたディストラクターの処理効率が一時的に低下するというメカニズムを想定した「選択的抑制説」と、無視されたときに形成されたディストラクターの表象の想起メカニズムを想定した「エピソード想起説」の間で、今日に至るまで論争が展開されてきている。そして、この文脈の中では、親近性が高い刺激のほうが負のプライミングが大きいという知見と、新奇な刺激のほうが負のプライミングが大きいという知見がそれぞれ報告されている。前者は、内的表象の活性化に応じて抑制メカニズムが機能することを示す、抑制説を支持する知見であるのに対して、後者は、内的表象が既存しない場合であっても、入力表象の符号化と想起によって負のプライミングが生じうることを示す、想起説を支持する知見である。本論文の第3章では、二つの知見間の実験課題の相違(同定課題・マッチング課題)に注目し、その課題差の影響を検討する実験を行い、先行研究における逆の結果が共に再現可能であることを示す結果を得た。このことから、負のプライミングの生起には、刺激の内的表象の抑制メカニズム、および入力表象の想起メカニズムの双方が関与している可能性が推察された。
第4章では、全般的考察として、まず第2章・第3章における実験結果を総括した。そのうえで、本論文でいう「内的表象」と「入力表象」の概念が、いわゆる「タイプ」と「トークン」の概念にそれぞれパラレルに対応すると考えられることから、タイプ表象がクリティカルになる課題状況では抑制メカニズムが機能し、トークン表象がクリティカルになる状況では想起メカニズムが機能するという、二つのメカニズムを想定した仮説を提案した。最後に、他の類似現象との関係を含めた最新の研究動向を展望し、タイプ・トークンの概念的枠組みが今後の研究においてキーワードになるとの見通しを示した。

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