本論のテーマは、ドイツの社会学者J.Habermasの社会理論の全体像を示すことである。Habermasに関する言及は数多いが、彼の理論全体を体系的・組織的に理解しようとする試みは少ないように思われる。本論の中心的な狙いは、首尾一貫した批判理論を構築するため従来の批判理論のイメージを一新し、デモクラシー理論の探究者として独自の社会哲学を作り上げているHabermas理論の全体像を示すことである。
最初の2つの章では、Habermasの出発点となった認識批判に照準を合わせた批判理論と、その理論が陥ったアポリアについて検討する。1960年代までのHabermasは、Horkheimer,Adornoの批判理論と同じようなタイプの認識批判を行い、「実証主義」批判を展開していたが、やがて「言語論的転回」と呼ばれる理論戦略の変更を行う。このHabermasの「言語論的転回」の意義については、これまでの研究で必ずしも明らかにされていない。1章では、この「転回」の意義を明らかにするために、HorkheimerとAdornoの批判理論が陥っていたアポリアについて明らかにし(第1節)、次いで60年代当時のHabermas自身の理論も同じような問題に直面していたことを示す(第2節)。2章では、Habermasにおける言語論的転回の意義を明らかにするために、先ずHabermasの「言語論的転回」の基本プログラムをスケッチし(第1節)、Habermasがどのようにして首尾一貫した批判理論を構築できたのかを示し(第2節)。その上で、「システムによる生活世界の植民地化」という有名なテーゼの妥当性について検討したい。われわれはいくつかの点でこの理論は欠陥があると考えるが、それは、真理の合理節を導入したことで必然的にHabermasが支払うことになった対価であることが示される(第3節)。
次の2つの章では、真理の合意説から出発したHabermas理論がたどったもう一つの道、批判的空間を擁護するという道について詳述する。今やHabermasにとって社会成員が等しく抑圧されるような全面化した批判理論は放棄され、代わって成員に共通の批判的コミュニケーション空間をいかにして確保し維持していくか、という目標に向けて新たな理論構築が開始されたのである。Habermasが特に力を入れているのは、規範的認知主義の立場を擁護し、道徳・倫理といった規範的な問題もディスクルスによってその正しさを検討し批判する場を確保することである。3章では、正義の合意説とも言うべき「ディスクルス倫理学」の妥当性を批判的に吟味するために、その論証ロジックをいったん再構成し(第1節)、その特徴を明らかにし(第2節)、Habermasの論証について批判的に検討してみる(第3節)。われわれはこのことを通じて、現代の批判理論を構築する際に立ち現れる条件(あるいは課題)を明らかにできると考える。この規範的認知主義を擁護することは、批判理論にとって譲るわけにはいかない基本的立場であるが、これを見落としているいくつかのHabermas批判を取り上げ、コミュニケーション(ディスクルス)の位置価について指摘する(第4節)。続く4章では、『事実性と妥当性』で展開されている法の理論、特に人権と人民主権という2つの原理のディスクルス原理的な和解と、法・政治的秩序の正当性をコミュニケーションに結びつけようとする審議的デモクラシーの構想について整理し(第1節)、さらにArendtの権力や政治的秩序の概念とHabermasのそれを対比させることで、Habermasの理論がもつ特徴を示すことができると思う(第2節)。
最後の章では、Habermasの構想する批判理論の理念について検討する。真理の合意説を採り入れて、その上に批判理論を構築したHabermas理論は、Horkheimer,Adorno的と同じ批判理論の概念はもはや維持できず、新しい批判理論の理念が要請されているのである。初めに、メタ規範としてHabermas理論を捉えているいくつかの解釈によってもしばしば主張されている合意説に対する批判を取り上げ、そうした批判が捉え損なっているHabermas理論の狙いを明示的に示し(第1節)、次に、「ドイツ歴史家論争」やHeine論に見られる彼の「知識人論」を取り上げ、Habermasにおけるドイツ社会に対する「知識人」としての責務について検討する(第2節)。