李朝後期地方財政史の研究

孫 炳圭

李朝財政は、財源が王権の下に集中し、国家の公共業務を遂行するためにそれを再配分する専制国家の財政として成立していた。しかし、一方では各級国家権力機関がそれぞれ各地の地方財源を把握、徴収する個別分散的な財政運営も、全国的に存在した。
17世紀における賦役の地税化、17世紀末以降における軍役の定額化、また18世紀半ばにおける良役価の均一化とその一部の地税化、そしてこれらの役負担に対する中央財政機構の一元的な徴収は、中央政府による一元的な財政体系、全国の行政区域を対象とする広域的な財政運営を目指す財政中央集権化の一環であった。
李朝における地方財政とは、地方行政機構として国家の公共業務を分担する国家機関の財政でありながら、中央財政と対比される存在である。地方官庁は、分担された業務を遂行するための財源を国家財源から支給されるほかに、みずからの財源を調達していたという点において、独自の財政権をもつ国家機関の一つであった。李朝における地方財政は、地方行政業務を遂行するための経済活動だけでなく、財源や財源の根拠に対する把握と管理、国家財源の徴収と輸送など、国家収取に関わる諸業務を含んでおり、地方財源支出のなかには、自身の地方経費のみならず、一連の徴収業務を遂行するための費用が含まれていたと言える。
地方財政は、地方統治秩序や農業再生産の維持、国家財政業務の一つとして配分された徴収業務といった地方統治業務を遂行するための地方官庁の経済活動である。しかし、李朝の地方財政には、そのほかの国家権力機関の個別分散的な財源確保活動に対応し、自らの地方統治・財政業務を遂行するための法制的な保障が与えられておらず、財政運営の実務において国家財源の徴収体制を維持する限りでの地方自治的な運営が許されていた。李朝後期における地方財政の変化は、国家財政の中央集権化にともない、それぞれの国家財源の徴収や管理、輸送、活用について、独自的な機能が保障される過程でもあった。
国家財政の中央集権化とともに国家収取体制における地方官庁の機能が増大し、地方統治・財政業務が専門化、体系化していった。その反面、地方財政の規模も肥大化し、それに伴う独自の財源確保が要求された。正規の財政部門における均税・均役的徴収の実現が地方財政の役割として委任されるとともに、追加的・付加的な財政部門の運営が許されたわけである。
中央集権的な国家財政体制と独自的な地方財政運営とが並立する李朝財政の構造は、地方官庁への国家財源徴収業務の委任だけでなく、地方統治・財政業務の配分と統合、財政運営主体の階層性といった地方財政運営の構造をその特徴とする。地方統治・財政業務は、諸業務機能と、租税や国役の上納処及び業務上の関連機関によって地方官庁傘下の諸統治組織に配分され、地方統治組織自らの財源調達によって遂行された。財源調達の個別分散性は、地方統治・財政業務が在地支配層の階層的な分担によって成り立っていた。地方統治・財政業務の実務は、業務の専門化とともに郷吏層の族的な業務継承によって掌握されたが、それに対する監督と牽制は、地方における国家支配イデオロギーの宣伝と統治秩序の維持を業務とする在地両班層によって行われた。
地方財政の構造は、内部の各種統治組織の個別分散的な財務を特徴とし、在地の支配的な階層によって19世紀後半まで維持されていた。その地方なりの多様な運営方式は、地方官と在地の支配的諸階層の改善策として、そして納税者みずからの要求として創出された。地方財政運営におけるこのような地方自治的な性向は、国家財政の一元的な体系における新たな進展を促すものでもあったが、財政の中央集権化を進めつつも、その原理への硬直性を見せはじめていた国家財政からは、恣意的な運営としてしか認識されなかったのである。李朝末期における農民抗争についても、李朝後期的な国家財政と地方財政の形成、展開過程から理解することができる。

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