郭店楚墓竹簡の儒家思想研究 —郭店楚簡研究序論—

李 承律

本研究は郭店楚簡の儒家系の諸篇の内、特に『唐虞之道』『魯穆公問子思』の両篇を中心に、その思想的特徴、思想史的位置及びその意義、成立時期、所属学派などの諸問題を明らかにするものである。
本研究は「序」、「第一部研究編」、「第二部訳注編」という、主に三つの部分から成り立っている。そしてさらに、第一部は「本編--『唐虞之道』」・「附編--『魯穆公問子思』の忠臣観について」、第二部は「I郭店楚墓竹簡『唐虞之道』訳注」・「II郭店楚墓竹簡『魯穆公問子思』訳注」というそれぞれ二つの部分から構成されている。「序」ではいわゆる「考古類型学」の問題点を指摘し、第一部では両篇の思想的特質及び位置・意義を論ずることに重点をおき、第二部では最近の古文字学の成果を利用しつつ、両篇の一字一句の意味及び思想的特質を解明している。
「序」は、現在中国で楚墓の下葬年代を推定する方法として最も盛行しているいわゆる「考古類型学」の方法論の問題を分析し、郭店一号楚墓の下葬年代の見直しを提唱したものである。郭店一号楚墓の下葬年代を推定する際、その拠り所となっている楚墓の中には、包山二号墓のように紀年資料から年代がほぼ確定されつつある墳墓の場合はさておき、望山一号墓のように今でも共通の結論に至っていないものもあれば、包山一号墓・武昌義地楚墓・当陽趙家湖楚墓・雨台山楚墓のように、年代推定の方法論において根本的に見直すべき深刻な問題を多く抱えているものもある。したがって、下葬年代の不確かなものや『史記』の記事(「白起抜郢」)に対する表面的な捉え方を根拠にして、郭店一号楚墓の下葬年代の推定の拠り所としたり、ひいては「考古類型学」の方法論によって行われている楚墓研究は、方法論それ自体に対する根本的な見直しの必要があることを指摘した。
第一部の本編は、『唐虞之道』のメインテーマである堯舜禅譲説及び「愛親」と「尊賢」、そして堯舜禅譲説を特徴づける「利・養生・命・謙遜」という四つのキーワードを考察したものである。第一章では「利天下而弗利」にまつわる社会的「利」思想及び「弗利」の観念、第二章では養生思想、第三章では禅譲される前の舜の態度・能力を指す「知命」、第四章では禅譲された後の舜の為政者としての態度を指す謙遜思想、第五章では堯舜禅譲説、第六・七章では堯舜の実践した二大事績である「愛親」と「尊賢」、をそれぞれ中心テーマに据えている。その結果、まず儒家の外部においては、特に墨家(社会的「利」・「天人」相互関係・普遍的「愛」の思想)及び道家(「命・安命」・謙遜思想)の思想が、『唐虞之道』の成立において最も甚大な影響を及ぼしたと考えられた。そして、儒家の内部において『唐虞之道』と最も近いのは『荀子』である。すなわち、(1)社会的「利」及び「弗利」思想、(2)人為的努力を強調する「天人」思想、(3)謙遜思想、(4)「忠・孝」が並称されたり、かつ立場は違うが両者の矛盾・衝突をより高い次元から統一・解消している点、(5)尚賢論、大略以上の問題において『唐虞之道』の先駆をなしている。ただ堯舜禅譲説においては『荀子』正論篇と鋭く対立していることから、『唐虞之道』は正論篇の後、その論理を舜の倫理的政治的能力・資質の再定義及び禅譲への新たな意味づけ(養生思想・「弗利」)という方法をもって克服できる理論を整えつつ、後出の諸文献に大きな影響を与えたと考えられる。そうして、『唐虞之道』は『荀子』正論篇よりやや後れて、それ以前の諸学派のいくつかの最も特徴的でかつ重要な諸思想を積極的に旺盛に取り入れて、既存の堯舜禅譲説を再構築しようと試みた儒家の一派の手になったものであることを論証した。
第一部の附編は、『魯穆公問子思』の中心思想である忠臣観や、「爵禄」と「義」をめぐる思想的歴史的背景を、先秦時代の様々な文献資料と比較考察したものである。その結果、「忠臣」という語は『荀子』以前の文献にはほとんど登場せず、『荀子』前後の戦国後期から末期にかけて本格的に議論され始めたものであろうということから、『魯穆公問子思』は『孟子』より遅く、『荀子』臣道篇や『墨子』魯問・貴義・耕柱篇よりやや早いことを論証した。
第二部は、最近の古文字学の成果を利用しつつ、両篇の一字一句の意味及び思想的特質を解明したものである。郭店楚簡の文字は、中国古代の文字の中でも最も難解と言われる戦国時代の六国文字の一つであり、文字学的な操作を経ることによってはじめて、我々はその内容を理解することができる。これはすべての出土資料に共通する問題でもあるが、一つの文字を誤って判定・解釈することは、その資料全体の文脈や意味を損なってしまう危険性を常に有している。それを解決するために、甲骨文や金文から見た文字の成り立ち、音韻学的な面からの考察、他の竹簡・帛書の文字との比較検討、文献資料との比較考察などといった作業を通じて、ある程度その輪郭が明らかになったと思う。

一覧へ戻る