この論文では、1320年ころから40年代までパリで活動した、聖王ルイ伝の画家という通称で知られる世俗彩飾画家について研究をする。14世紀前半最大の彩飾画家、ジャン・ピュセルの周辺の画家として位置付けられ、宮廷様式の優美さと独特の諧謔味を特徴とする画風を持ち、これまでに10点あまりの写本によってその存在を知られてきた聖王ルイ伝の画家は、その作品と活動についてはほとんど何も研究されてこなかった。図版及び2巻から構成されるこの論文では、第1巻において画家をモノグラフィーの中心に据える、美術史研究で最も伝統的な形式を踏まえながら、6章に分けて画家の作品と活動、その表現法の特徴について考える。
問題提起と論文の構成を予告する序章に続き、第1章で聖王ルイ伝の画家の作品を紹介し、そこから画家の活動のクロノロジーを再構成する。
第2章では、パリ大学の構成員で、同じ教区内に住み、しばしば同じ写本を分担して彩飾する分業システムによって関係し合うパリの世俗彩飾画家の活動のあり方を踏まえ、聖王ルイ伝の画家の共同制作者について取り上げる。
第3章においては、奥行き感のある空間表現の展開について考察する。1320年代半ばから、イタリア絵画を起源とする新しい絵画表現への聖王ルイ伝の画家の関心の高さを示し、それが、ジャン・ピュセルとの交流を通じてもたらされたものであるのと同時に、1320年代に宮廷でイタリア絵画がもてはやされたことも反映するもので、高名なイタリア画家の作品のモデルが、ジャン・ピュセルを経由するばかりでなく、パリに流布していた可能性も示唆する。1335年以降、聖王ルイ伝の画家は、絵画空間そのものを三次元的に表す試みを一見放棄するが、その理由について考察する。
第4章では、欄外余白装飾について取り上げる。ドロルリーは、ジャン・ピュセルの影響をこうむる一方、幻想的な怪物はまれで、職人尽くし的な人物モティーフが大半を占める。これらは、多くの場合意味不明だが、ページ上のテクストと対比させることで、それぞれに異なった意味を持ちうる。文字を追うのに疲れた目と頭をリフレッシュさせ、テクストの意味を改めて別の角度から読み解くきっかけを与える機能がドロルリーにはあったと考えられる。
第5章では、彩色について考える。パリの写本彩飾の伝統である、青と赤を主調とする彩色の起源について、12世紀以降の中世の色彩観の変化があると捉える。聖王ルイ伝の画家は、青・赤の配色を2次装飾では厳格に踏襲し、挿絵においては、中間色をふんだんに用いる。それらは,自然主義的な傾向によって用いられるようになったものだが、青・赤の対立的な配色と類似する、補色に近い色同士を組み合わせて用いる色使いを特徴とする。
色彩とも密接に結びついて、人物像に象徴的な意味を付加する役割を果たしているのが、第6章で扱う服飾である。聖王ルイ伝の画家の服飾表現は、四半世紀の経歴を通じほとんど変化がなく、人物の社会的身分を区別するために描き分けられている。各衣装の意味する社会的身分について概説し、具体的な作例を通じて、人物の身分、状態を示すのは衣装の色ではなく形状であることを確認する。同時に、特定の人物の服飾の色を意図的に他の人物のそれと変えることで、その人物が持つ特性を暗示する場合もあることを例証する。また、紋章の特徴を挿絵に利用し、特定の家系を強調したり隠蔽したりする表現について考察する。
第2巻は、32点34冊を数える聖王ルイ伝の画家のカタログを収める。各作品を写本学的なデータ、彩飾画家たち、挿絵やドロルリーの主題一覧などの共通項目で記述し、第1巻では扱うことのできなかった個々の作品の特徴と問題点を解説に論じる形をとる。また、図版を第3巻に収録する。