文学部とは、人が人について考える場所です。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル、
ひとつは「今、あなたは何に夢中ですか?」、
そして、もうひとつは「それを、学生にどのように伝えていますか?」。

渡部泰明教授 (日本語日本文学(国文学))

第1の答え

和歌は、7世紀から一部は現代まで、1300年近く続いてきました。なぜこんなに長く続いたのか、それを考えたいと思って研究を続けてきました。ひと月ほど前(2019年10月)、その答えを見つけたと思いました。夢中といえば、いま、そのことに夢中です。和歌を煮詰めていくと、「演技」(行為レベル)、「縁語」(言語レベル)、「祈り」(価値レベル)の三つの本質が残る、と思っていますが、その三つをつなぐ視点が見つからないのが悩みの種で、まあ、ここまで来ただけでも自分にしては上出来かな、と思っていたのですが、物事は、未練たらしく考え続けてみるものです。その答えは、和歌史をまとめる予定の本の中で論じるつもりです。「和歌は境界領域を表すもの」だと見なせば、1300年近い歴史もおおよそ見通せるのでは、と思った次第です。

 

第2の答え

30代の頃、講義を終えて研究室に戻る私の惚けたような顔を見て、「お、先生、ワン・ステージ終わりましたね」と言った学生がいましたが、授業は私にとって、舞台です。そうやって全身を使って伝えようとしているわけですが(さすがに今はだいぶ枯れましたが)、それは古典のありかたとも、また教育というもののあり方とも、無縁ではないと思っています。それで、「演技」を一つの本質とする和歌、和歌を根幹とする日本古典の特性を知ってもらうためにも、学生にも演技してもらう授業をやっています。一応「国語」の教職課程のための模擬授業をする授業の中で、ですけれども。和歌も日本古典も、参加型であるところに本質があると思っていますので、古典の先生になる人にも、それを理解してもらえたら、と願っているからです。演劇、日本文学研究、古典教育という、まがりなりにも夢中になった三つの分野が、ようやっとつながった気がしました。これもあきらめが悪くて良かったと思っている例です。そういう未練がましい探究を許してくれるのが、この文学部の美点だといえるでしょう。

 
主要著書: 『和歌とは何か』(岩波新書)
『古典和歌入門』(岩波ジュニア新書)

 

 

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