木下 華子(国文学)

私の専門は、日本の中世文学、平安時代後半から鎌倉・南北朝・室町時代という動乱の時期の文学である。なぜ、中世文学の研究者になったのか。どういう選択を重ねてここに至ったのか。それを問われているのだと思うのだが、大きなきっかけがあって、何かに感銘を受けて、選択を行ってきたわけでもないように思う。後になって、「ああそうか」「だから私はこうしたのか」と納得することのほうが多い。そんな私でも研究者を続けていられるのだから、それでよいのかもしれない。
国文学を学びたいというのは選択するまでもなかった。幼少期からいわゆる本の虫で、物語の類いが大好き。本を選ぼうと本棚を見ているうちに、その場に座り込んで読み始めてしまい、気が付いたら辺りが暗くなっているような子どもだった。中学・高校になると、水がさらさらと流れるように古文に惹かれ始め、大学は文学部、学ぶのは国文学と自然に定まっていったように思う。
最初の岐路らしきものは、本郷に進学した後に訪れた。3年生の前半くらいまでは、中古文学、『源氏物語』で卒論を書こうくらいの気持ちだっただろうか(駒場の期間に他の時代や作品を勉強していなかっただけかもしれない)。しかし、授業、特に演習を経験する度に、異なる感覚が大きくなっていったのである。中世文学の演習が楽しくてしかたない。3年次の演習で読んだ作品は、鴨長明の『無名抄』。『方丈記』の作者が書き記した、歌論・歌学の書である。私の担当は「ますほの薄」という章段であり、登蓮法師という人物が、「ますほの薄」という歌語を知る人を訪ねて、雨の夜に京都から摂津(大阪)まで蓑笠もなしに走り、その秘伝を手に入れて後に長明に伝えるというものだった。この人は何をしているのだろう、と思ったのだ。雨が止むのを待てばいいではないか。なぜ夜の危険をおかしてまで何十キロも進むのか。それを書きとめて共感している作者は何を考えているのか。ただただ不思議だった。その不思議なことが成立する背景、必然性を知りたくて、卒論のテーマとし、おのずと中世文学研究に分け入ることになったのである。ただ、さすがに安直かなと思い、3年生の春休みに総合図書館で上代から近世までの作品を叢書で読んだ。今思えば、私が惹かれているのは中世文学だと納得するための実感のようなものがほしかっただけだろう。案の定、卒論のテーマは維持されたのだった。
さて、好きなだけでは限界が生じるもので、大学院進学後は見事に打ちのめされた。できない、かなわないのである。勉強と経験が足りないだけなのだが、若い時というのは思考が直線的なのか、研究者は無理だからやめようと思った。実家の両親にも、修士課程を修了したら就職すると宣言したほどである。そうは言っても、やめるにしても、修士論文はちゃんと書こう。ずっと好きだった道から離れるのだから、けじめをつけなければという思いだったのだろう。そこで、改めて件の『無名抄』を読み、曲がりなりにも研究の手付きで調べ始めたのだった。

「マスホノスヽキ」の章段の写真
出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム
(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/B-3181?locale=ja)
結果、また、楽しくなってしまったのである。しかも、今度の楽しさは深かった。これまで教わってきた研究の手順を踏んで作品に向き合うと、今まで見えなかったものが見えてくる。私はよく、言葉の向こう側に景色が見えるという言い方をするのだが、その感覚を得た最初の経験だったかもしれない。新しい景色が見えること、その景色が重なりながら道筋や世界が立ち上がってくることがぞくぞくするほど楽しくて、次へ次へと手を進めたくなっていた。私は文学研究の魅力(魔力?)につかまってしまったらしい、そう感じたことをはっきり覚えている。
こうなると、またまた直線的な思考で研究を続けたいと思うものである。第二の岐路はこのあたりなのだろうが、選択した感覚はない。もう逃げられないと覚悟したというのが近いだろう。中世文学とそれを研究することに、私は抗いがたい魅力を感じているらしい。逃げたところで、結局つかまってしまう。ならば、無駄な抵抗はやめて、手放すなんて思わないで、正面から向き合おう。何のことはない、悩める若者がようやく自分と向き合うことができた、自分に正直になっただけの話である。
そのようなわけで、研究の道で生きていこうと腹をくくり、今に至っているのだが、もちろん紆余曲折も逆境も経験した。あんなに本が好きだったのに、活字一つ読めなくなってしまった時期もある。ただ、どのような折も、研究をやめるという選択肢は現れなかった。もはや、研究は選択する対象ではなく、私を支えてくれる存在になっていたからだろう。
さて、振り返ってみると、私の研究人生のうち、選択らしきものはたった一つ。卒業論文をどうしようか迷っていた3年生の終わり頃、中世文学を選んだというものである。ただ面白かった、好きだったからなのだが、この段階では、それがなぜ中世文学なのかはわかっていない。だから、この選択も、主体的に選んだものではなく、するすると引き寄せられたというのに近い。ただ、最近になって、少しだけ、私が惹きつけられた理由、中世文学を選択した理由がわかったような気がする。
周知のごとく、日本の中世文学は「無常」という言葉で象徴される。中世は「無常」の時代、中世文学に宿るのは「無常観」。確かに、中世は、数多くの戦乱によって、社会のシステムが何度も再構築される激動の時代であった。おそらく、日本の歴史の中で、一定期間に最大数の戦乱が生じた時代と言って差し支えないだろう。人々が数多くの困難や社会変動に直面せざるを得ない中で、物事は永続しないという「無常」の感覚と、そこに対してどのような姿勢でのぞむべきかという自覚、いわゆる「無常観」が醸成し、中世文学のそこここに現れるのも道理である。
しかし、中世文学に向き合うと気付くのだが、作品もそれを担う人々も、明るく、たくましく、したたかなまでに躍動している。和歌・連歌、説話、軍記、能・狂言、御伽草子、様々なジャンルの文学が、前代からの革新を遂げ、互いに連関し合って、縦横無尽な展開を見せる。「無常」が充満する時空間において、困難を受けとめ、乗り越えて、新しさを拓く骨太のエネルギー。奪われてもひしがれても、めげることなく、ひこばえのように芽吹く言葉の数々。なるほど、私が惹きつけられてやまないのは、「無常」の時代におけるたくましい生命力としなやかな創造力なのだろう。私は、この不思議な矛盾を、その必然性と機構(メカニズム)を解き明かしたいのだ。研究のとば口に立って30年、ようやく自分と自分の好きな対象を識ったということだろうか。


3年生の時の選択は間違っていなかったようである。好きな理由も、それで何ができるかもわからない。それでも、惹きつけられてやまないもの。そんな抗いがたい魅力──中世文学研究──につかまって、しがみつきながらここまでやってきて思うのは、「これでよかった」である。