浅野 倫子(心理学)
私は子どものころから、「この人はなぜこのようにふるまうのだろう」というような人間の行動や思考に漠然とした興味があり、自然と、大学でも心理学を学びたいと思った。心理学とは人の心(mind、何かを思考したり認識したりする際の人間の内面での活動)の働きの仕組みを知ろうとする学問であるが、その中でも私は、物体の認識や記憶、言語の理解などの認知処理を研究する認知心理学に興味を持ち、2000年代の初め頃、東大の文学部の心理学専修課程(心理学研究室)に進学した。
学部3年生の終わりごろになると、「せっかく本格的に心理学を学べる環境に触れたのだから、もう一歩専門的に学びたい」、それと同時に、「広い一般社会の中で生きてみたい」と考えるようになった。特に認知心理学は、人間がどのように物事を認識しているか、裏返せばどのように物事を見落としたり、間違えたりするかを知ることにつながる分野である。これは一般社会の中の企業における物づくりなどにも生かせるはず。そのように考えた私は、修士課程の入試を受験し、口頭試問で先生方に「合否には関係しない質問ですが、修士課程を修了した後の進路についてはどのように考えていますか」と問われた際に、企業に就職して一般社会に出たいと答えた。そうしたところ、先生方のうちのお一人が、ひょいと眉毛を上げ、そんな学生はついぞ見たことがないけれど、と前置きをなさった上で、温かみのあるユーモラスな口調で「面白いから応援するよ」とおっしゃった。今でこそ心理学研究室では修士課程を修了して一般企業に就職する学生も多いが、当時はそうではなく、修士課程に入ったら博士課程まで進み、研究者を目指すものだったのである。しかも当時は就職氷河期のピークといってもよい時期。そのような中で、私のような者は相当「面白い」やつだったのだろう。
さて、そのように温かく応援していただいたのに、私はうっかり道を踏み外して博士課程に進み、現在に至るまで研究者として生活している。「学問をするのは修士課程までなのだから、その間はしっかり勉強や研究に取り組もう」としているうちに、研究が面白くなったのだ。ここで博士課程への進学を決めたというのが、今から振り返れば、現在の自分につながる「選択」だったのだと思う。
さきほどつい筆が滑って「うっかり道を踏み外して博士課程に進み」と書いた。道を踏み外した先が博士課程、そして研究者の世界だと表現したことについて、関係者の皆様には大変な失礼をなにとぞお許しいただきたい。しかし自分の中では、世の中全体から見れば一般的とは言えない進路をとったことと、いまだに「なんて選択をしたんだ私は」と思う瞬間もあること、しかしながら一筋縄ではいかない面白さと豊かさに満ちた道だとも感じていることとで、(自分自身のことを語る場面においては)そのような表現がしっくりきてしまうのだ。そしてさらに言えば、「より良い道に進めるように選択した」というよりは、「選択した結果がより良いものだと思えるように、つまり『結果オーライ』になるように頑張っている」という感覚が強い。
実のところ、博士課程に進んでからはかなり鬱々とした状態が続いた。文を読む際の視覚認知処理メカニズムを研究していたのだが、試行錯誤することになり、博士論文に載せられるような研究を立ち上げられたのは2年目以降のことだった。その研究の結果も、英語論文として海外の学術誌に投稿するも、私自身の能力不足に加えて既存の研究からやや離れた着眼点と手法の研究だったためか、6誌だったか7誌だったかに門前払い(デスクリジェクション)された末にやっと出版できたというありさまだった(ちなみにその後何年か経ってからこの論文に注目してくださり、さらに研究を展開されている海外の研究グループがある。嬉しい)。その頃は様々な研究発表を聞いても面白さがわからないと感じたりと(もちろん問題は私の側にあった)、今から思えば随分やさぐれていたと思う。どうにか博士号を取得し、ポスドク研究員になった後もしばらく内心やさぐれ状態は続いたが、投げやりになって寝転がりしばらくするといつも、いま自分にできる最善の策は「つべこべ言わずに目の前の仕事を頑張る」しかないことに冷静に気付くのが、我ながらなんだかおかしかったのを覚えている。自分で選択した道なのだから、自分で落とし前をつけるしかない。そうこうしているうちに、不足していた能力や知識が補われてきたのだろう、少しずつ仕事が回るようになっていった。この間、温かく見守ってくださった指導教員の横澤一彦先生をはじめとする先生方、研究者が身内にいない中で謎の世界に足を踏み入れた娘を心配しつつも口出しせずに見守ってくれた両親、この時期を一緒に過ごしてくれた心強い同期や仲間たちに今でも深く感謝している。その後、ポスドク時代、前任校への教員としての就職、そして2022年春の東大の文学部心理学研究室への着任と、一貫して師や同僚・仲間、学生たち、環境に非常に恵まれて今日に至る。
以上のように「結果オーライになるようにしている」と書くとなんだか後ろ向きに聞こえるかもしれない。少なくとも、ちょっと格好は悪い。それに、大学教員という職業に就いたことを「なかなかややこしい職業を選んだなぁ」と思うことも多々ある。うまく結果オーライにしきれていない部分だって多々ある。しかし、いまだに結果オーライになるように日々努める中で、研究や大学教員の世界は当初の自分の想像以上に豊かで奥が深いことに気付かされ続け、うっかり道を踏み外した自分を楽しんでもいる。研究の世界は広大だし、学生たちから良い刺激を受け、学んでいる。これは、このような進路を選ぶ前の私のちっぽけな知識と想像力では十分にわからなかったことだ(ちなみに、もしかしたら、あの時に一般企業への就職を選んでいた場合も「結果オーライ」行動を発動し、満足して生きていたかもしれない。それはそれでいい)。世の中には、自分の進むべき先をしっかりと予想し、それを見据えて行動できる人もいる。ひょっとしたら、この雑文をお読みの方の中には、「そのような人でないと研究者にはなれないのではないか」と思っている方もいるかもしれない。しかし、実際には私のような不器用者もいるということで、ご参考までに。