吉田 寛(美学芸術学)

「私の選択」という与えられた問いに素直に答えるなら、私は二度、東京大学文学部・大学院人文社会系研究科を「選択」しています。一度目は1996年に大学院の進学にあたって、そして二度目は2019年に勤務先の変更にあたっての選択でした。当然ですが、この二つの選択はまったく性格が異なるものです。いずれの選択も、それについて人前で話したこともなければ、文章にして書いたこともない(その価値もない)個人的で瑣末な出来事ですが、それが東京大学文学部・大学院人文社会系研究科とはどういうところかを理解するための一助になるかもしれませんので、この機会に書いてみようと思います。

文学部・大学院人文社会系研究科の教員や学生のご多分に漏れず、私も東京大学の文科三類に入学しました。しかし後期課程への進学振分けでは、文学部ではなく、教養学部の表象文化論分科を選択しました。当時の私は、現代音楽の研究を志しており、表象文化論にはジョン・ケージの研究者として知られる故・岩佐鉄男先生がいらっしゃったからです。

先生の指導のもとで卒業論文のジョン・ケージ論を書き上げた私は、しかしながら、大学院進学にあたり、駒場を離れて、本郷の人文社会系研究科に進む「選択」をします。最大の理由は「リベラルアーツを旨とする教養学部で、専門的知識を身に付けるために大学院に進むというのはおかしいのではないか?」と思ったからなのですが、今から考えると浅はかだった、というか大きな誤解がありました。言うまでもなく教養学部の大学院である総合文化研究科は、多くの優れた研究者を輩出しています。この選択を促したもう一つのものには、後期課程で履修した美学芸術学研究室の藤田一美先生のゼミがありました。アットホームな雰囲気で、ときにお茶やお菓子をつまみながら、美と芸術について真剣に議論を交わす、そのゼミは、私が初めて経験した「学問の場」でした。

私が美学芸術学研究室の修士課程に進学したのは1996年のことです。この年、音楽学者の渡辺裕先生が研究室に着任されたのは、私にとって大きな幸運でした。進学直後の最初の面談で、先生からその存在を教えていただいたエドゥアルト・ハンスリック『音楽美について』の批判校訂版が、私の修士論文の主たる考察対象となりました。修士課程修了後は、そのまま美学芸術学研究室の博士課程に進学し、渡辺先生には博士論文の主査もお引き受けいただきました。博士論文のテーマは、近代ドイツのナショナル・アイデンティティと音楽の関わりについてでした。卒業論文、修士論文、博士論文と、その都度、大きくテーマを移してきた私は、音楽学者の仲間うちではけっこう珍しがられましたが、私にとっては必要に応じてテーマをずらしてきただけで、そこにさして本質的な「選択」はなかったように思います。今思えば「私の選択」はその後にやってきました。

博士学位取得後、私は美学芸術学研究室で助手、助教を勤めました。2007年がちょうど文学部・大学院人文社会系研究科全体で「助手」が「助教」に切り替わった年でして、同期の助手仲間とは「何もしなくても履歴が一行増えてラッキーだね」と言い合ったものです。しかし私の助手・助教時代は悲惨なものでした。どんどん出世していく同世代の研究仲間の後塵を拝し、自分だけ就職も決まらず(「教員公募30連敗」という戦歴を誇ります)単著も出せず、生まれたばかりの子どもを抱え、焦っても逆効果だと分かりつつ焦るばかりの日々でした。

私は2008年に京都の立命館大学に着任しました。設立されて間もない大学院先端総合学術研究科が、「表象」領域の教員として、音楽学者としての就職に挫折した私を「拾ってくれた」のでした。そこで私は「ゲーム研究」という新たな分野に取り組むことになります。立命館大学での同僚の一人に、「ファミコンの父」と呼ばれる元任天堂の故・上村雅之さんがいらっしゃいました。産学連携を早くから進めていた立命館大学ならではのことです。まさに運命でした。私は美学や芸術学といった旧来の学問をすべて捨て去るつもりで──もちろん「利用」はしますが──ゲーム研究に身を投じてきました。2011年には上村さんと一緒に、日本の大学で初めてのゲーム専門の研究センターも設立しました。いつの間にか私の肩書きは、「音楽学者」や「美学者」ではなく、完全に「ゲーム研究者」となっていました。

一旦、美学や芸術学を捨て去った人間にとって、教員として美学芸術学研究室に「戻る」ことは大きな「選択」でした。渡辺先生の後任として音楽学者としての役割が期待されているのであれば、お断りするつもりでしたが、「今やっていることをそのままやってもらえばよい」とおっしゃっていただけたので、それならば、とお引き受けしました。

2019年に美学芸術学研究室に着任してからの私は、長年取り組んできたゲーム研究を美学や芸術学のディシプリンにつなげることを試みています。その際、文化資源学やデジタル・ヒューマニティーズといった文学部・大学院人文社会系研究科内の諸分野と連携できる可能性を感じています。そして私がこれからの世代に期待するのは、ゲーム研究を発展させることだけでなく、既存のディシプリンを活用して、現代のニーズにマッチした新たな学問や研究領域を創り出すことです。

私くらい野放図に転向や遍歴を重ねた研究者が、また博士論文のテーマと現在の研究テーマがこれほどまでにかけ離れた研究者が、教授職に就くことは通常ありえないでしょう。私の存在自体が、美学芸術学研究室の、さらには東京大学文学部・大学院人文社会系研究科の「懐の広さ」を証明しています。その意味ではたいへん感謝していますし、またそうした「懐の広さ」を今後も維持するのが、私ができる(そしてすべき)最大の「恩返し」だろうと思っています。

東京大学文学部・大学院人文社会系研究科は「新たな学問を創造できる場所」です。そして「旧来の学問の保守」と「新たな学問の創造」は、矛盾しないばかりでなく、完全に両立し、相互補完します。さあ次は皆さんの番です!