正徳5年(1715)正月に江戸中村座で上演された歌舞伎「坂東一幸曽我(ばんどういちことぶきそが)」の辻番付。『曽我物語』に由来する芝居の主要な役割と、一番目から四番目までの見せ場の図(鳥居清倍<とりいきよます>画)が掲載されている。右上が一番目、左上が二番目、右下が三番目、左下が四番目。一番目・三番目・四番目では曽我五郎の荒事を演じた二代目市川団十郎(1688~1758)が、二番目では美麗な虚無僧に扮して中村竹三郎(化粧坂少将の役)との濡れ事を演じた。この芝居は半年間にわたる前代未聞のロングランとなり、翌年正月の「式礼和曽我(しきれいやわらぎそが)」以来、傘や尺八を用いて虚無僧の演技を当て込むことが「助六」劇の規範となった。少将の襠に描かれた寿字の模様は、団十郎が編笠に付けたことで大流行した。国文学研究室が所蔵する歌舞伎関係資料の中で最古の番付。