文学部とは、人が人について考える場所です。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル
「ご自身の研究の魅力を学生に伝えてくださいませんか」。
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編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル
「ご自身の研究の魅力を学生に伝えてくださいませんか」。
阿部 賢一 教授(現代文芸論研究室)
現在、所属しているのは「現代文芸論研究室」というセクションである。何をやっているところかわからないとよく言われる。2007年に開設された研究室のHPには「欧米近代の文学を中心に、世界の文学を広く現代的な観点から研究すること」と説明されている。
私自身も、東京外国語大学でチェコ語を学び、プラハのカレル大学で言語学とチェコ文学を専攻し、さらにはパリ第四大学でスラヴ研究および比較文学の研究を行った。専門は何かと訊かれたら、「中東欧文学」「比較文学」と答えているが、あくまでも便宜的なラベルにすぎない。
だが振り返ってみると、自分の研究には一つの特徴があることに気づく。それは、「外に出る」ことだ。プラハに留学中、イジー・コラーシュ(1914‐2002)という詩人に出逢った。まずは詩集を手にし、そのあと、本人とも何度か言葉を交わすことがあった。当初、彼は庶民の声を取り入れた詩を書いていたが、ある時、脳卒中を患ってしまう。言語機能に障害が生じ、文字が書けなくなった彼は病床でもペンを取り、「落書き」のようなメモを記していく。のちに彼はそれを「文字を知らない人が書いた詩」と名付けるが、同時に「詩とは言葉だけではない」と悟り、造形的なコラージュを作りはじめる。その営みに感銘を受け、後年を過ごしたパリでの活動を辿るべく、私は博士課程でフランスへの留学を決意する。そう、ある時までチェコ語の本を読んでいたのに、気づいたら、パリでフランス語の文献を読んでいたのだ。
ミラン・クンデラ(1929‐2023)もまたフランスで活躍したチェコ出身の作家だ。映画化もされた小説『存在の耐えられない軽さ』は彼の代表作でもあるが、日本語訳は千野栄一氏が訳出した集英社版と西永良成氏が翻訳した河出書房新社版の二種類がある。前者はチェコ語から、後者はフランス語から訳出されている。1975年、社会主義のチェコスロヴァキアからフランスに移住し、チェコ語で書籍を刊行する可能性が制限された彼は、自らが翻訳に関与したフランス語版もチェコ語の原書と同等のものと見做す。その結果、日本では二種の翻訳が流通することになった。クンデラの営みから明らかなように、文学作品は「翻訳」されないかぎり、他の言語圏に届くことはない。だがそれは美学的嗜好だけではなく、時に政治的な、時に文化的な利害が複雑に絡み合っている。

現代文芸論研究室にて
とはいえ、母語で読めば、必ずしも作品の理解が担保されているわけではない。大江健三郎(1935‐2023)の作品に「人間の羊」(1958年)という短篇がある。バスに乗った学生が居合わせた酔っ払った兵士たちにからかわられ、下半身を裸にするように迫られるという話だ。文芸評論家の江藤淳は同作について「主人公のアルバイト学生は、社会主義を楯にとって、彼がバスの中で米兵からうけた屈辱を公開するように迫る教員と決定的に対立している」(「解説」『死者の奢り・飼育』新潮文庫、2013年改版、302頁)と記し、作中の兵士が「米兵」と明言している。これに対して、クンデラは大江が「米兵」という表現を用いず、「外国兵」と表現している点に注目する。そうすることによって、この作品が、単なる「政治的なテクスト」に帰することなく、「人間の実存の予期せぬ可能性に光を投げかける」(『カーテン 7部構成の小説論』西永良成訳、河出書房新社、2005年、84頁)とする。クンデラによる大江作品への指摘は、翻訳を介した読解でも優れた批評眼があれば鋭い指摘が可能になることを示している。それは、クンデラ自身もまた「外」に出た経験を重ねたこととも無縁ではないだろう。
プラハ出身の作家ミハル・アイヴァス(1949‐)は『もうひとつの街』で、「本当の出会いとはどういうものであろうとも、既存の世界を破壊するものだ」(拙訳、河出文庫、2023年、100頁)と述べている。これからも、言語や固定観念の「外」に出て、文学研究を積み重ねていきたいと思っている。
私自身も、東京外国語大学でチェコ語を学び、プラハのカレル大学で言語学とチェコ文学を専攻し、さらにはパリ第四大学でスラヴ研究および比較文学の研究を行った。専門は何かと訊かれたら、「中東欧文学」「比較文学」と答えているが、あくまでも便宜的なラベルにすぎない。
だが振り返ってみると、自分の研究には一つの特徴があることに気づく。それは、「外に出る」ことだ。プラハに留学中、イジー・コラーシュ(1914‐2002)という詩人に出逢った。まずは詩集を手にし、そのあと、本人とも何度か言葉を交わすことがあった。当初、彼は庶民の声を取り入れた詩を書いていたが、ある時、脳卒中を患ってしまう。言語機能に障害が生じ、文字が書けなくなった彼は病床でもペンを取り、「落書き」のようなメモを記していく。のちに彼はそれを「文字を知らない人が書いた詩」と名付けるが、同時に「詩とは言葉だけではない」と悟り、造形的なコラージュを作りはじめる。その営みに感銘を受け、後年を過ごしたパリでの活動を辿るべく、私は博士課程でフランスへの留学を決意する。そう、ある時までチェコ語の本を読んでいたのに、気づいたら、パリでフランス語の文献を読んでいたのだ。
ミラン・クンデラ(1929‐2023)もまたフランスで活躍したチェコ出身の作家だ。映画化もされた小説『存在の耐えられない軽さ』は彼の代表作でもあるが、日本語訳は千野栄一氏が訳出した集英社版と西永良成氏が翻訳した河出書房新社版の二種類がある。前者はチェコ語から、後者はフランス語から訳出されている。1975年、社会主義のチェコスロヴァキアからフランスに移住し、チェコ語で書籍を刊行する可能性が制限された彼は、自らが翻訳に関与したフランス語版もチェコ語の原書と同等のものと見做す。その結果、日本では二種の翻訳が流通することになった。クンデラの営みから明らかなように、文学作品は「翻訳」されないかぎり、他の言語圏に届くことはない。だがそれは美学的嗜好だけではなく、時に政治的な、時に文化的な利害が複雑に絡み合っている。

現代文芸論研究室にて
プラハ出身の作家ミハル・アイヴァス(1949‐)は『もうひとつの街』で、「本当の出会いとはどういうものであろうとも、既存の世界を破壊するものだ」(拙訳、河出文庫、2023年、100頁)と述べている。これからも、言語や固定観念の「外」に出て、文学研究を積み重ねていきたいと思っている。